第1話 空と青

 二〇四一年。福岡。


 この春、僕たちは中学三年生に進級した。つまり初めての受験を迎える年だ。


「今日からあなた達は受験生。まだ部活などで忙しいと思いますが、今年は勉強を中心に考えていく年となります」


 と、担任はありきたりな事を言いながら進路希望調査を配る。


 僕からすれば進路なんてどうでもよかった。どの高校に行っても一緒だし、どの高校も受けられる学力は有していた。


「提出は来週の月曜ね。保護者とよく話してね」


 そう言って始業式の日のホームルームが終わった。進路希望調査の紙をクリアファイルにしまい、さらにそのクリアファイルを鞄に入れる。帰ってゲームでもするか、とそう思った時だった。


「コウタロウ! 今日、一緒帰れるー?」


 泉コウタロウ。それが僕の名前だ。栗色のロングの髪の毛を肩にかける彼女が星海ソラである。


「今日? うん。別にいいけど」


 僕らは幼馴染とまでは言わない幼馴染といった関係だ。家が近かった関係で、小さい頃からよく遊んでいた。そこまで仲が良かったというわけではない。ただ本当に、家が近かったから、という理由だけだ。しかし気がつけば、幼稚園、小学校、中学ともう十年以上も共に過ごして来ている。友達なのかよくわからない関係が十年以上続いているのだ。


「あ、ねえ、ソラちゃん! 先生からね、このプリントの整理頼まれたんだけど、よかったら手伝ってくれない?」


 僕らの近くを通りかかった委員長の子が大量のプリントを抱えていた。


 まさか、これやる気じゃないだろうな? という視線を彼女に送ると、予想通り彼女はそれを快諾してしまった。


「やっぱ無理だ。コウタロウ先に一人で帰ってて。普通に用事あったから五時くらいに私の家来れる? なんなら夕飯もこっちで食べていけばいいよ」


 僕は言われた通り一人で帰ることにした。委員長の子の「あんたらそういう関係なの」とでも言いたげな目が気になったが別に構わない。僕は気にしない。


 ソラには昔からああいう所がある。とても優しくて、頼りがいがあり、成績優秀運動能力抜群才色兼備。男子から見ても女子から見ても、彼女は天使のような存在だった。しかしどんなに天使でも悩みの一つや二つ抱えている。僕はそんな面の彼女も知っていた。




「もう夕方だっていうのに、よく女子の家にやって来れるよね。一周回って尊敬だよ」


 ピンクのジャージを着た彼女はそう言って僕を出迎えた。平常運転過ぎるソラに僕はもう何と言っていいかわからず、彼女を無視して家に入る。


「お邪魔します」


 ちょっと無視? なんて頬を膨らませながら彼女も僕が中に入ると扉を閉めた。


 ソラの家は豪邸だ。豪邸と言っても、中世ヨーロッパ頃のようなものではなく、現代日本において豪邸と言える家だった。一般的な家の約二倍はあるだろう。さらに広い庭もある。別に彼女が大金持ちというわけではない。彼女の祖父母も一緒に暮らしているから。ただそれだけだ。だから内装は極々一般的な家のそれと同じで、目が痛くなるような装飾などはまったくない。


 そんなもう何度も見て来た、何度も通った階段を経て、三階のソラの部屋へ辿り着く。僕の後ろをついて来ていたソラが扉を開けて僕を招き入れた。


「どうぞー」

「はいどうも」

「冷たっ」

「いつも通りだけど」


 部屋も特別女子女子しているわけではなく、カジュアルな部屋だ。本棚の隅にフレグランスがあるものの、匂いも別段酷くなく、むしろリラックスできる香りだ。無難にオシャレという言葉がすごく似合うと思った。


「まあ適当に座ってな」


 と、ソラが丸いクッションを投げて来た。慌ててそれをキャッチしたが、座るものか抱くものかよくわからない。模様の熊のくるみの様な目が僕を見ていたので座る気にはなれず、それを抱えたまま彼女のベッドにもたれた。


「で、用事って?」


 僕は本題を促す。彼女もクッションを抱きかかえながら、自分の机の椅子にどさっと腰を下ろした。


「進路希望調査のこと。コウタロウは今のとこどこ書くつもり? どの高校受けるの?」


 ああ、なるほど。その事か。


 僕は正直に答える。


「まだ決めてないし、考えたこともないよ。全然興味なかったから」

「そっか……」


 僕の回答に不満があったのか、彼女は少し顔を曇らせた。そんな彼女の顔を覗き込んでみる。


「どうかしたの?」

「いやあ、コウタロウがどこ受けるか決めてるなら、私もそこにしようと思ってたんだけど……」

「ソラも進路とか考えてなかったのか。行きたい高校ないの?」

「うーん……、ないってわけじゃないんだけどね。まあ高校っていうのも違うっていうか、場所が場所だからさ」


 彼女らしくなかった。僕に対しては思っていることはズバッと言う。それがいつもの星海ソラだ。何が彼女にストッパーをかけているのだろうか。僕にはわからない。


「何だよ。どこか言ってみろよ」


 すると彼女はクッションに顔を沈ませながら蚊の鳴くような声ではあったが答えてくれた。


「……ヴセア訓練学校東京校」

「え、マジで言ってんの?」


 驚きと、恐怖と、こんなことを考えていたことに気づけなかった自分に対する不快感。そういったものが同時に僕の心を揺さぶった。


「なあ、ソラ、そこがどんな所かわかってる?」

「もちろん、わかってるよ」

「きつい訓練を経て、晴れて正式にヴセア隊員になれたとして、死と隣合わせの生活だぞ? 国外遠征だって、毎度何人も死者が出てる」

「それは戦闘課の話でしょ。研究課とか、事務課は遠征に行かないからエレメントに殺されることもないよ。それに死者数は減ってきてるよ」

「でも、……仮にソラが訓練学校に入って、ヴセアに入って、どの課を志望するつもり?」


 確認しておきたかった。嫌な予感がした。いや、確信に近い予想はあった。彼女の事はよく理解しているつもりだったのだ。


 人の力になりたい。


 それが彼女。星海ソラだ。


「……戦闘課だよ」


 僕は思わず両手で頭を抱え込む。


「やっぱりか……」


 ソラは椅子から立ち上がり、僕の前に座った。


「コウタロウ、私のことをよく理解してるって思ってるでしょ? それは私も同じだよ。コウタロウの考えていることはいつも何となくわかる。私が人の力になりたいと思っているから訓練学校に入りたいと思ってるってコウタロウは思ってるはず。でもそれだけじゃない。私、強くなりたい。今までコウタロウに助けてもらってばっかりだったから」


 僕は彼女の顔を直視できず、足元しか見ることができなかった。ソラは十分強いよ……その言葉は声にならない。


 彼女はその優しさ故か、心を病ませてしまう事が多々あった。


 誰にも見せない涙を僕だけには見せていた。そんな時僕はいつもどうすればいいかわからず、ただ彼女を抱きしめることしかできなかったのだ。それなのに、いつもの調子をすぐに取り戻す。充分強いと言える。


 僕だってソラに何度も助けてもらった。数え切れないくらい。どんなに辛くて悲しい時も側にいてくれたのはソラだった。


 僕に彼女の夢を止めさせる権利はない。でも、僕にはソラが必要だった。


「わかった……じゃあ、僕もそこに行く」

「待って、コウタロウも同じところに来たら……意味ないじゃん!」

「大丈夫。僕が行くのは研究課にする」


 僕のその決心に彼女は目元を濡らしながらゆっくりと頷く。


「それならいいよ……」

「ありがとう」


 この選択が正しかったのか、今の僕にもわからない。ただ、この頃の僕はソラと一緒にいたい。ただそれだけを考えていた。


 世界の広さを全く理解していなかった。





 ヴセア訓練学校東京校入学式。


「本当に来てしまった……」


 僕が東京のとんでもない人の多さとこの訓練学校の空気にげんなりしていると、ソラに背中を叩かれる。


「来たくないなら来なくてもよかったんだよ? 私が頼んだわけじゃないし」

「そうだけど……」


 僕と彼女は運良く同じクラスであった。


 学校には三年間通うが、このクラスの仲間と過ごすのは初めの二年間(白兵戦用レギオンスーツ訓練、対エレメント鉱石ES取り扱い訓練、重力変換装置訓練、エレメント生態学基礎訓練などなど)だ。最後の一年間は、志望課に合わせた専門的な授業(戦闘課志望であれば模擬戦闘訓練、ES応用など。研究課志望であれば、エレメント生態学、エレメント理論、エレメント化学などを始めとする科学分野)が行われるためクラス替えがある。


 そして、星海ソラはその圧倒的センスで毎度の実技・筆記テストで次位に大差をつけ首席。例を見ない逸材として、なんと三代目赤鬼パイロットに抜擢されるのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る