第42話 死
桜さんを失ってからの毎日は、暗闇そのものだった。ほんの数日を共にしただけのはずなのに、生きる意味を失ってしまったかのような感覚に陥るのだ。
ベッドから出たくない。
ずっと眠っていたい。
もう何も考えたくない。
消えてしまいたい。
桜さんに会いたい。
それが叶わないのなら、もういっそ、一生不幸でいたい。
でもそれは叶ってはいけない願い。桜さんは私と一緒にいたら、私を不幸にすると考えた。私の幸せを願って、私から離れることを選んだのだ。
それでもベッドの上から体は動かなくて。無力な胎児のように丸まった姿勢で瞼を閉ざしていると、チャイムが聞こえてきた。
「おーい。千鶴ちゃん。いい加減起きなよ! ほら、一緒に遊びに行こう?」
夏休みに入ってから、豊岡さんは毎日私の所へと訪ねてくれている。その優しさが辛くて、ますます自分の情けなさを痛感させられてしまうのだ。自己嫌悪の連鎖が、私を日に日に追い詰めていく。
でも私は自発的な死が無意味だということを知っているし、なにより桜さんを裏切るわけにもいかない。桜さんのためにも、幸せにならないといけないのだ。
それはもはや、幸せという名の呪いだった。
動かない体を無理に動かして、ベッドから降りる。よろめきながら玄関まで歩いて扉を開くと、心配そうな表情の豊岡さんが現れる。何が入っているのか、両手に袋をさげていた。
どうして私なんかに構うのだろう。
私は豊岡さんではなく、桜さんを選んだのに。
「やーっと開けてくれた。それにしても酷い顔だねぇ。もしかしてご飯まともに食べてないんじゃないの?」
「……」
私がうつむいて何も答えずにいると、豊岡さんは部屋の中に入ってきた。それを止める気力もなく、扉を閉じて鍵をかける。
ため息をついている間に、豊岡さんはキッチンをに向かう。食材なんてないから、料理は無理だ。でも豊岡さんのもっていた袋の中には、それを見越したみたいにたくさんの食材が入っていた。
「今から料理するから、待っててね」
そうして微笑む豊岡さんは、ちょっと悲しそうだった。
「もしも別れたのが私ならさ、きっと千鶴ちゃんはそこまでショックを受けなかったんだろうね」
「……」
「なんていうか、どうして私じゃなかったんだろうってたまに思うよ。もう少し強気に出るべきだったのかな? 譲ってあげるべきじゃなかったのかな? ……まさかこんな風になるなんてさ。好きな人が不幸になるのなら、無理やりにでも奪ってやればよかったって思うよ。結果論だけどさ」
豊岡さんはフライパンでなにかを焼いていた。私はリビングに倒れて、横になる。豊岡さんの言葉に返事をする気力もなかった。
桜さんのために、幸せにならないといけないのに。
しばらくすると、豊岡さんが料理を運んできてくれた。
「ほら、食べて。食べないと元気になれないよ」
私はなんとか起き上がって、机の上の朝食をみつめる。
桜さんの朝食とは、趣が違った。桜さんは洋食混じりだったけれど、豊岡さんのは和食だ。鮭だったり、みそ汁だったり、健康的な食べ物がならんでいる。
「……ありがとうございます。豊岡さん」
「敬語なんていいよ。もう二年も友達なのに、どうして敬語?」
分からない。分からないけれど、私と豊岡さんは相性が悪いのだと思う。豊岡さんは何でもできて、私は助けられるばかりで、だから遠慮をしてしまうのかもしれない。
桜さんは私と同じように、欠けていた。けれど豊岡さんは欠けている場所が見当たらない。
一時は受験のストレスで魔法少女になってしまったみたいだ。でもそのあと、豊岡さんは恐らくたった一人で幸せになって、そして化け物を倒して、願いを叶えた。
「……豊岡さんは何でもできるから。私は助けられてばかりで、対等って感じがしないんです。私が桜さんを好きになったのは、……お互いに歪だったから。何かを失っていたから。あるいは、そもそも与えられていなかったから」
箸を手に取って、鮭をほぐす。
「『不幸』という共通点があったから、だと思います」
でも今の私たちは幸せを求めなければならなくて。
不幸なんてものから、目を背けようとするしかなくて。
「私は幸福な人間だって、そう言いたいの?」
豊岡さんは私をじっとみつめる。
幸福一色な人生を送る人なんていない。けれど、私や桜さんのような、取り返しのつかない途方もない不幸を味わう人もそうそういない。だからそういう意味からすると、豊岡さんは「幸福」なのだろう。
私は小さく頷いた。
「……そっか」
豊岡さんは寂しそうな表情をしていた。
私は胃の中に入れた食べ物たちを吐き出しそうになるのを堪えながら、食事をとっていく。全身が生きることを拒絶しているのだと思った。桜さんを失うこと。それは今の私からすると「死」同然だった。
けれどそんな精神状態も、時間が経つにつれて変化していくことになる。
そのことを、私は知らなかった。
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