第41話 離れ離れ

 桜さんが最後に作ってくれていた朝食を食べてから、自転車で大学に向かった。

 

「おはよう。千鶴ちゃん」

「……おはようございます」


 豊岡さんはいつも通りの笑顔で私に挨拶をしてくれた。だけど不思議そうに首を傾げたかと思うと。


「桜ちゃんは?」


 と問いかけてくる。いつも私の隣には桜さんがいた。でも今日はいない。これから先、私が桜さんの隣を歩くことはないのだ。うつむいて肩を落としながらつげた。


「もういないです」

「……どういうこと?」


 豊岡さんは私の顔を不安そうな表情で覗き込んできた。


「……桜さんは、親戚の家に行きました。その家がどこなのか私は知りません」

「そっか」


 私の表情をみてどう思ったのか、それ以上何も聞いてこなかった。


 一緒に不幸になる。私はそれでも良かった。


 でも桜さんは涙ながらにその考えを否定した。千鶴さんには幸せになって欲しいと。


「私だっていつか千鶴さんのことを忘れて幸せになれるはずです。だから大丈夫です」


 そう桜さんは笑っていたけれど、私にはどうにもその言葉は信じられなかった。それでも桜さんを止めなかったのは、引き留めたところで何もできない。そう分かり切っていたから。


 私が魔法少女になって桜さんのお母さんを蘇らせたところで、桜さんは幸せにはなってくれないだろう。私が犠牲になることを桜さんは心から恐れている。私が桜さんが犠牲になるのを心から恐れていたように。


 お互いがお互いのために犠牲になろうとする。一緒にいれば、それが無限に続いて永遠の不幸のスパイラルに飲み込まれるだけだ。だからこそ、離れなければならなかったのだ。これ以上、お互いを不幸にしないために。


 でも、と私は思う。桜さんは話していた。


 人は誰しも生まれつき「幸せ」へ転がっていくようにできているのだと。


「幸せ」こそが神様が人類に与えた義務なのだと。


 だけど「幸せ」であることは、本当に全てに優先されるべきことだろうか?


「幸せ」のためなら、大切な人のことすら忘れてしまっていいのだろうか?


 うつむいていると豊岡さんが声をかけてきた。


「千鶴ちゃん。勉強、ちゃんとしてきた?」

「……え?」

「今日から前期試験だよ?」

 

 そうだった。大慌てするべきなのだろう。ほとんど勉強していないわけだから。けれど今の私には試験なんてどうでもよかった。ただただ桜さんを失った純度百パーセントの不幸にだけ浸っていたかったのだ。


 その間だけは桜さんを感じることができるから。


〇 〇 〇 〇


 私はお母さんのお姉ちゃん。伯母さんのところにバスで向かっていました。運転手さんは私のことがみえるし、乗客だってみんな私の座っている所に座ろうとしませんでした。


 これが普通の人生なのだと思います。誰からも無視されずそこに存在するものとして扱われる。でも私は、中学時代の私はいつだって孤独で誰からも「そこに存在するもの」だと扱ってもらえませんでした。


 私はお母さんと一緒に不幸になりたかったのだと思います。お母さんは毎日仕事ばかりで自分の好きなことも出来なくて、昔はとても綺麗だったその見た目もやつれてしまって。


 私の前でこそ笑顔を浮かべてくれるけれど、それが作り笑いだってことは明らかでした。だから私は幸せになんてなりたくなかった。遊びに誘われても断ったし、声をかけられても無視したし、徹底的に自分を不幸にすることに励んでいました。


 でも昨日、千鶴さんは言いました。


「私と一緒に不幸になろう?」と。


 大切な人にそう言われて、初めて私は気付きました。良かれと思ってお母さんにしていたことは、結局、お母さんの善意を踏みにじることでしかなかったのだと。


 誰だって大切な人には幸せになってもらいたいのです。


 例え自分が不幸になるとしても。


 そんなことにすら、私は気づいていなかったのです。


「……でも今、やっと気付けたんだよ。お母さん」


 窓の外を流れていく景色をみつめます。慣れ親しんだ町はもう遠く離れていました。


「これでよかったんだ」


 言い聞かせるように、私は繰り返します。そうしなければ、今すぐにでも千鶴さんの元に戻ってしまいそうでした。本当は千鶴さんと二人で不幸になってしまいたいのです。千鶴さんの言葉に甘えたいのです。


 けれどそれはきっと間違った関係。


「……ごめんなさい。千鶴さん」


 そうつぶやくことしかできませんでした。

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