第46話 これからも人生は続いていく
「桜さんの伯母さんの家って、自転車で行ける距離?」
問いかけると桜さんは首を横に振る。
「バスじゃないと無理です」
「そういうことなら、一度アパートに自転車を置いてこないとだね」
「そうですねっ」
桜さんは嬉しそうにしている。私が自転車にまたがると、桜さんは私の背中にぎゅっと抱き着いてきた。懐かしい感覚だ。心の底から幸せが湧き上がってくるようだった。
私たちは見慣れた街を走って、アパートに向かう。その間中、桜さんはすりすりと背中に頬ずりをしてきていた。私は穏やかな気持ちで風を切って、アパートにたどり着いた。
「……また、一緒に暮らせると良いですね」
桜さんはアパートを見上げながら微笑んだ。私もよしよしと桜さんの頭を撫でてあげる。
「そうだね」
本当に心からそう思う。一か月も離れていた分、これからはずっと一緒に居たいのだ。
恋人つなぎをして、バス停へと向かう。バスがやってくると、私たちは二人で席に着いた。
窓の外を景色が流れていく。バスは山際の道路を登っていき、見下ろせば西日を反射して輝く街がみえた。地平線の向こうへと夕日が沈んでいく。空はもう、紺色に染まっていた。
窓の外をみつめていると、桜さんがぎゅっと手を握って来る。
「……今は、私だけを見て欲しいです」
振り向くと、桜さんは上目遣いで私をみつめていた。その姿があまりにも可愛らしくて、私はそっとほっぺにキスをした。その瞬間、桜さんは真っ赤になってしまう。でもとても嬉しそうだ。
「世界ってこんなに綺麗だったんだって思ってさ」
一人でみる景色と、好きな人と二人でみる景色。同じはずなのに全然違うのだ。
バスを降りる頃になると、辺りは暗くなっていた。私と桜さんは腕を組んだまま、桜さんの伯母さんの家に向かった。閑静な住宅街の一角にその家はあった。
とても緊張する。表情がどうしても強張ってしまうのだ。そんな私を見て桜さんはニヤニヤしていた。私は意を決して、インターホンを押す。すると玄関の扉が開いて、綺麗な女性が出てきた。
とても若々しくて、二十代くらいにみえる。桜さんと同じショートヘアーだからか、桜さんに似た雰囲気を放っていた。でも身長は高く、すらりとしている。モデルさんみたいだ。
「伯母さん。ただいま」
「おかえり。桜ちゃん。……あれ。隣の人は誰かしら?」
私にいぶかしむような視線を向けてくる伯母さん。私は意を決して、言葉を紡ぐ。
「私は桜さんの……。桜さんの恋人ですっ!」
そう告げると、伯母さんは目をまん丸にしていた。
「恋人……? 桜ちゃん、本当なのかしら?」
「私の大切な人ですっ。ずっと一緒に居たい人ですっ」
桜さんは必死な声を表情でつげていた。
するとどうしてか伯母さんはぽろぽろと涙をこぼしている。
「良かったわ。ずっとふさぎ込んでいた桜ちゃんにも、やっと大切な人ができたのね。伯母さん、心配だったのよ? 目を離したら消えちゃうんじゃないかって感じだったから……」
桜さんを優しく抱きしめる伯母さん。私と離れていた間の桜さんはよほど退廃的な生活をしていたのだろう。
「千鶴さんと一緒なら、消えたりなんてしないよ」
桜さんは笑顔でそうささやいていた。
私は伯母さんに家に招き入れられて、晩ご飯をごちそうになった。桜さんと一緒に暮らしたいと伝えたけれど、流石に大人になるまではだめだと言われてしまった。けれど待つのはもう怖くない。
桜さんの気持ちも自分の気持ちも、もう知っているから。
〇 〇 〇 〇
「姉さん。大学卒業したら、私と一緒に暮らさない?」
桜さんと別れてアパートに帰った私は、姉さんに電話をかけていた。スマホの向こう側から息をのむ音が聞こえた。
「……本当に良いの?」
「いいよ。だって姉さんは私のこと大切に思ってくれてるんでしょ? 私だって姉さんのこと大切だって思ってた。煌びやかな世界で幸せそうにする姉さんに良くない感情抱いたことはあったよ。でもね、結局姉さんはずっと私のことを考えてくれてた」
姉さんは私のことを本当に大事に思ってくれていたから。女優だって、私がそう願っていると思っていたから、頑張っていたのだ。だったらその頑張りに私は報いたいし、なにより私自身もまた姉さんと一緒に暮らしたい。
「そっか。……そっかぁ」
ぐすぐすと鼻をすする声が聞こえてくる。でも声はとても嬉しそうだった。
「……いろいろとけじめつけないとだから時間かかるかもだけど、千鶴が大学卒業するまでには、全部終わらせとくね?」
姉さんは大女優だ。私と暮らすことになれば、色々面倒ごとが生まれてくる。それでも姉さんは私を選んでくれるのだ。嬉しいけれどちょっとだけ恥ずかしい。
「ありがとう。姉さん。またそのうち、デートしようね?」
「……うん!」
それから私は桜さんとのことを話して、電話を切った。
完璧なハッピーエンドではないのかもしれない。けれど、今となってはこれでよかったのだと思う。桜さんはお母さんを選ばなかった罪悪感を抱え続けるかもしれない。私だって姉さんを不幸にしたことに責任を感じずにはいられない。姉さんだって同じはずだ。
でも私たちならこれからはきっと、いい人生を送れる。
私はゆっくりと目を閉じて、桜さんと姉さんを思い浮かべた。
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