第36話 して欲しいこと

 私たちは一緒に湯船につかった。これからはきっとこんな毎日が当たり前になるのだ。ずっと一緒で、死ぬまで寄り添い合う。そしてもしかすると、死んでからも一緒にいるのかもしれない。


 だって神様は人類に幸せを義務付けている。


 もう私は桜さん以外と幸せになれる気がしないのだ。


 浴室はとても静かで、お互いの息遣いだけが聞こえてくる。私はそっとお湯の中で桜さんの手を握った。桜さんの体がぴくりと震える。緊張しているのだろう。さっきも昨日もたくさんたくさんキスをしたというのに、初々しい。


 それが可愛らしくて、私は優しく桜さんを抱きしめる。桜さんの柔らかくてすべすべな肌を撫でると、桜さんはうるんだ瞳で私をみつめた。


「……して欲しいこと、なんでもいいんですか?」


 桜さんは私の体に視線を落としてもじもじしている。


「例えば、その、えっちとか……」


 耳の先まで真っ赤にして、桜さんはささやいた。


 桜さんがそんなことを言うなんて考えてもみなかった。けれど一度離れ離れになった手前、その気持ちを否定するのは間違っているように思えた。桜さんは大切なお母さんを諦め、私を選んだのだ。


 これまでの私なら拒んでいたことだろう。でも今日はどうしたって拒めそうにない。桜さんが本当にそれを望んでいるのなら、どんな要求だって呑んであげたい。私が差し出せるものなら、なんでも。


「いいよ」

「本当にいいんですか? 中学生と大学生はだめだって言ってませんでしたか?」

「桜さんが本気で私のこと好きだって分かったから。……それで桜さんを幸せにできるのなら、私はえっちだってする。……というか、したい」


 そう告げた瞬間、体がとても熱くなる。桜さんも恥ずかしそうに、はにかんだ。


「……本当にロリコンさんなんですからっ」


 うるうるした視線が私に向けられる。私たちはどちらからというわけでもなく、体を寄せ合って、そして唇を交えた。特別なキスはしたこともないのに、自然と好きな人を求めて舌を絡めあう。


 私はこれまで理性で抑え込んでいた。それは常識を裏切ることが怖かったからだ。でも本当に桜さんがそれを望んでいるというのなら、それをすることで幸せになれるというのなら、私はそういうことだってする。


 桜さんはきっと罪悪感を抱えているはずだから。


 それを綺麗さっぱりとはいわない。でも少しくらいは忘れさせてあげたいのだ。


 すっかり頬を上気させた桜さんは、お腹を撫でまわしていた手を下へ伸ばして、大切なところに触れようとしてくる。かあっと全身が熱くなるのを感じた。このまま流されてもいいかもしれないとは思った。


 でも私はすんでのところでそれをそっと制止した。


「……そういうのは、ベッドでしようよ。雰囲気とか、あるし……」


 桜さんは恥ずかしそうに下に伸ばした手を引っ込めた。


「そ、そうですねっ。ごめんなさい」


 桜さん。本当に可愛いなぁ。私のここ、そんなに触りたいんだ。なんだかさっきからドキドキで心臓が壊れてしまいそうだ。桜さんだって同じようで、緊張で表情を強張らせながら湯船を出て、体を洗っていた。


 幸せだなって思う。でもやっぱり不安もある。


 私とえっちするだけで、桜さんが楽になるのならそれでいい。でももしも楽になるどころかもっと苦しんでしまったら? お母さんがいないこの世界で、私と幸せになることに強い抵抗感を抱えているとしたら?


 もしかすると私は桜さんに嘘をつかせることになるかもしれない。表ではニコニコとした笑顔を浮かべさせて、でも裏ではそんな自分を責めさせて。そんなことは絶対に避けなければならない。


「……ねぇ、桜さん」

「なんですか?」


 体を洗うのをやめて、こちらに顔を向ける桜さん。そういう状況じゃないって分かってるのに、意外と女性らしい体の曲線に目が向いてしまう。私は目をそらしながら、問いかけた。


「幸せになっちゃいけない、なんて考えてないよね?」

「……。大丈夫です。もう、お母さんのことは消化しましたから」


 桜さんはほんの一瞬、悩むような表情を浮かべた。でもすぐに屈託のない笑顔を浮かべてくれた。嘘じゃない、と思いたいけれどやっぱり不安になる。


「……本当に?」

「本当ですよ。千鶴さんに嘘なんてつきません。それより千鶴さん」

 

 顔を真っ赤にした桜さんがジト目で私をみつめてくる。


「どうしたの?」

「ちらちらみるんじゃなくて、もっとじっと見てください」

「……えっ」

「そっちの方が、私としては嬉しいですっ」


 確かに私はさっきから目のやり場に困って視線をさまよわせているけれど、まさか桜さん本人がそんなことを言ってくるなんて。ぷるぷると恥ずかしそうに震える桜さんを私は凝視する。桜さんから頼んできたんだもんね。仕方ないよねっ……。


 そのお返しとして、湯船から上がると今度は私が凝視されることになるのだけれど、そのえっちな視線すら、どこか愛おしかった。

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