魔法少女と女子大学生は苦悶する
第34話 無力
やっと大切な人を見つけられたと思ったのに、桜さんは砂粒のように私の指の間を零れ落ちていった。
朝ごはんが用意されているリビングに桜さんはいない。泣いても叫んでも、桜さんはやってこない。玄関の扉が乱暴に開かれる音が聞こえて外に飛び出しても、桜さんはいない。
いや、違う。きっと私は桜さんがみえなくなってしまったのだ。あれだけ幸せにはならないと誓ったのに、私は愚かにも幸せになってしまったのだ。
涙を流しながら青空を見上げる。また私は一人ぼっちになるの? 桜さんを不幸にしてしまうの? そんなの嫌だ。絶対に嫌だ。
「桜さん! 桜さんっ!」
無駄だって分かってる。それでも私は桜さんの名前を叫びながら、住宅街を走った。すると正面から豊岡さんが私に近づいてくる。そうだ。同じ魔法少女の豊岡さんなら桜さんがみえるはず。
私は藁にもすがる思いで、豊岡さんに声をかけた。
「と、豊岡さんっ。桜さん、桜さんがっ……」
激情のあまり言葉が上手く出ない。それでも豊岡さんは私の伝えたいことを理解したようだった。
「桜ちゃんがみえなくなっちゃったんだよね?」
「……はい」
私はぼろぼろと零れ落ちる涙をぬぐいながら、豊岡さんをみつめた。すると豊岡さんは私の頭を撫でながら告げる。
「『今夜、私は願いをかなえます。千鶴さんを幸せにしてみせます』。これが桜ちゃんからの伝言。桜ちゃんはお母さんを諦めることにしたみたいだね。千鶴ちゃんのために」
私は愕然とした。もしもそんなことをしたら、桜さんは幸せにはなれなくなるだろう。だって桜さんはお母さんのこと大切に思ってる。そのためにこれまでずっと化け物に挑み続けてきたのだ。
どうにかして夜までに不幸にならなければならない。いや、そもそも今だって十分に不幸なはずだ。なのにどうして桜さんがみえないの……?
私はよろよろと豊岡さんの元を去ろうとする。理由は分からない。でも今以上に不幸になる方法なら山ほどある。自傷行為でも、なんでもすればいい。死にたくなるくらい、自分を痛めつければいい。
小さなころ両親にされたみたいに。
そうすれば桜さんにまた会える。そのためなら、私はなんだってする。
「千鶴ちゃん。待って」
「……嫌です。時間がないんです。早く不幸にならないといけないんです」
「たぶん、無駄だと思うよ」
振り返ると、豊岡さんは悲しそうな顔をしていた。私は焦りのあまり豊岡さんを睨みつける。
「やってみないと分からないじゃないですか。私は桜さんのためなら腕だってなんだって切り落としてみせます」
そう言い捨てて、私は歩いていく。
「そんなので桜ちゃんが幸せになれるとでも思ってるの?」
そんな言葉を投げかけられて、思わず足を止めてしまう。
「桜ちゃんの幸せは、千鶴ちゃんの幸せなんだよ?」
そんなの、分かってる。桜さんは優しい。本当に優しい。だから私は桜さんを本気で好きになったのだ。私のトラウマを受け入れてくれたから。私を好きでいてくれたから。
私はきっと間違っているのだろう。でもだったらどうすればいいっていうの? 今だって十分に不幸なはずなのに桜さんをみることができなくて、だったらもっと不幸になるしかないでしょ?
「……どうすればいいって言うんですか」
拳を握り締めて告げた。すると豊岡さんは「あくまで推測なんだけど」とつげる。
「神様が言うには人間って生まれ持って、幸せな方に転がっていくようにできてるんだって。ほら、とてつもなく大きな不幸があったとしても、人生のほとんどが苦難で満ちていたとしても、人ってほんの少しの幸福だけで生きていけるでしょ?」
そういうものかもしれない。もしも不幸と同等の幸せを味わわなければ生きていけないというのなら、人類はとっくの昔に絶滅していただろう。
「だから幸福を感じる能力を取り戻した千鶴ちゃんはもう、これまでと同じくらいの不幸には到達できないんだよ。1の幸福が100の不幸と釣り合ってしまうから。ちょっとしたこと、大学の講義終わりの解放感とかさ、販売機であたりを引いたときの喜びとかさ。そういうので、不幸は帳消しにされてしまう」
豊岡さんは暗い表情でつげる。
「実際、桜ちゃんも私も千鶴ちゃん以外に出会ったことないしね。魔法少女を目視できるほど不幸な人なんて。だからね、もう千鶴ちゃんにはできることなんてなにもないんだよ」
言葉がでなかった。豊岡さんは愕然とする私をぎゅっと抱きしめる。
「桜ちゃんの気持ちを尊重してあげて。桜ちゃんは千鶴ちゃんのことが大好きなんだよ。そんな尊い気持ちを裏切ろうなんて思わないで。もしも桜ちゃんの気持ちを無視して、自傷行為に励むなんてしたら、それはもう「最低」だよ」
私は地面に立っていられなくなって、膝をついてしまう。豊岡さんはそんな私と視線を合わせるためにしゃがみ込んでくれた。
「桜ちゃんは苦しんでた。でも苦しんだ末に千鶴ちゃんを選んだんだよ。桜ちゃんの決意を無駄にしないで」
頷くしかなった。拒絶できるはずがなかったのだ。
アスファルトが涙で濃い色に染まっていく。
私は桜さんのことが好きだ。だからこそ、桜さんがどれだけ私を好いてくれているかも知っている。好きな人が傷つけば、どれほど傷付けるかだって分かってる。私のこの気持ちは自己満足でしかないのだ。
本当に桜さんのことを思うのなら、全てを受け入れるべきなのだ。
「……分かりました」
私は頷いて、よろよろと自宅に戻ろうとする。でも豊岡さんは私を一人にするのが不安だったのか「一緒に大学行こう?」と笑う。そうだった。今日も大学があるのだ。
私は小さく頷いた。
豊岡さんと一緒に準備のために家に戻ってから、大学に向かった。
いつもなら桜さんがそばにいるはずなのに、すりすりと頬ずりをして甘えてくれるはずなのに、今日はどこにも桜さんはいない。心が苦しくて泣きたくなってしまう。でも一番泣きたいのは桜さんなのだ。
夕暮れになると、私は一人で家に帰る。そして桜さんが帰ってくるのをただひたすらに待った。時計の針は進んでゆき、外はすっかり暗くなっていた。それでも桜さんは帰ってこなくて、私の心はだんだんと不安に侵食されていく。
いつまで経っても桜さんが帰ってこなくて泣きそうになってしまったそのとき、玄関扉の鍵が開く音がした。私は立ち上がり、扉が開くのを待った。
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