第31話 結婚の約束

 お風呂上り、私たちは恋人つなぎをしてテレビをみていた。


 半透明になるだとか気配が薄くなるだとか「見えなくなる兆候」みたいなものがなかなか桜さんにやって来ないから、二人していつも通りの雰囲気に戻っていたのだ。


 でもこれは現実逃避みたいなものなのだと思う。私たちは緩やかに終わりへと近づいている。いつか来る別れの未来なんて、考えるほどに苦しくなってしまう。お互いにそれから逃げるように明るいふりをしているのだ。


 ちょうど知らないホラー系の洋画が流れていたから二人できゃーきゃー言いながら見ていると、えっちなシーンが流れて気まずくなってしまう。


「あ、あの千鶴さんっ」


 桜さんはふとももの間に手を挟んで、もじもじしている。


「……ち、違うチャンネルにしませんか?」

「そ、そうだねっ」


 私は慌ててリモコンに手を伸ばした。そして普通のバラエティ番組に変える。動物の特集をしているから、そんなシーンが流れる心配はないだろう。


 前まではこんなのじゃなかったのに。お風呂場でキスしたせいだ。私の馬鹿。そのせいでこんな、いやらしい空気になっちゃってる。どうしよう。


 ちらりと横を見ると、桜さんと目が合った。


 かあっと顔を赤くしたかと思うと、逃げるようにテレビに視線を向けている。でもそのテレビでは二匹の犬が重なり合っていて……。桜さんは何を考えたのか耳の先まで赤くしてしまっている。


「あ、あの。ち、千鶴さん……」


 涙目にまでなってしまっていた。私は慌ててテレビの電源を切った。


「……」

「……」


 テレビの音が消えて、気まずい沈黙がリビングに広がる。それに耐えられなくなってテレビをつけると、まだ犬が二匹重なり合っていた。私は無言でテレビを切った。


「……桜さん?」

「……は、はいっ」


 桜さんは裏返った声で体をびくりと震わせた。横目で私をちらちらとみつめている。


「そろそろ寝よっか……」


 これ以上、この空気に耐えられそうにない。きっと寝て起きたら元通りになっているはずだ。立ち上がり寝室に向かおうとする。でも桜さんは座ったままだ。


「桜さんはまだ起きてる?」

「そ、そうします。あの映画続きが気になるので。その、あのシーンも終わってると思いますし」

「そっか」


 私もちょっと気になるけど、あまりに気まずすぎる。ごめんね。桜さん。


「おやすみ。桜さん」

「おやすみなさい」


 私はリビングを立ち去って、寝室に向かった。ベッドの中に入って横になると、なんだか寂しさに襲われた。桜さんが隣にいない。ただそれだけで、自分の半分が消えてしまったような感覚に陥るのだ。


 リビングからは女性の悲鳴が聞こえてくる。ホラー映画の声だろう。大丈夫なのかな? 一人でそんなの見て。私ならきっと怖くて無理だ。


 そんなことを思っていると、リビングから音が聞こえてこなくなった。しばらくすると足音が寝室に近づいてくる。寝室の扉を開けて現れたのは、涙目でぶるぶる震えている桜さんだった。


「ち、千鶴さんっ」


 どうやらホラー映画は桜さんもだめだったらしい。私はベッドの端によって「おいで」と桜さんを手招きする。すると桜さんは顔を赤くして、ためらいがちに私の隣に寝転んだ。


 だけど今日は、どうしてか抱きしめてくれない。私と体が触れ合わないように距離を取って、しかも背中を向けてしまっている。私は寂しい気持ちになって、桜さんの後姿をみつめる。


 小さくて華奢で可愛らしい。今すぐぎゅっとしてしまいたい。でもあんなことがあったあとだしなぁ……。これ以上、私から桜さんに触れようとすればえっちな人だと思われかねない。


 だからここはぐっと我慢する。


 暗闇を沈黙が流れていく。桜さんはなかなか眠れないようで、もぞもぞと動いていた。でもしばらくするとゆっくり私の方へと体を向けてくれる。


「千鶴さんっ。映画のせいで眠れそうにないです……」


 その目はうるうるしていた。


「どうすれば眠れそう?」

「そ、それは……」


 桜さんの顔がかあっと赤くなっていく。別に辱めるつもりで聞いたわけじゃないから、ちょっと罪悪感を感じる。ただ推測が当たっているか不安だっただけなのだ。


 桜さんは言い淀んでいるみたいだった。もうお互いがお互いを好きだってことは分かってるのに、キスだってたくさんしたのに、むしろそのせいで距離を取ってしまうなんてことになりたくない。私は微笑んで桜さんを抱きしめた。


「えっ。ええっ……!?」

「こうして欲しかったんじゃないの?」

 

 私の胸に顔をうずめた桜さんは顔を真っ赤にして、こくりと頷いた。


「どう? 落ち着く? 怖くない?」

「……はい。千鶴さん、あったかいです」


 私はよしよしと頭を撫でてあげる。すると桜さんは私を上目遣いでみつめた。


「幸せ、です。抱きしめて欲しい時に抱きしめてくれて、一緒にいて欲しい時に一緒にいてくれる。千鶴さんは私の理想の……」


 そこで桜さんは視線をさげて言い淀む。

 

 でも目をぎゅっと閉じた後、笑顔でつげた。


「理想の、ロリコンさんです」


 まるで花が開くような。でもその花はきっと地球上のどの花よりも美しくて、可愛くて、桜さんにしか咲かせられない花なのだ。


「千鶴さんがロリコンさんで良かったです……。これからもずっと一緒にいてくれますか? 老いない私と生きてくれますか?」


 お母さんを失って、自ら命を落として、孤独に毎日を過ごして、勝てもしない化け物に無謀にも挑み続けて、だけど私と出会ってくれて。


 私はずっと誰かを待っていたような気がする。運命の人、なんて言葉じゃ片付けられない。もっと強いつながりで結びついた相手。それはきっと桜さんなのだろうと思う。


 もしも桜さんがいなくなったら、私はもう生きていける気がしない。


「……大人になったら結婚しようね」

「け、結婚ですかっ?」

「うん」


 女子中学生に結婚を申し込む女子大学生。傍からみればかなりまずい構図だ。でもみんなに後ろ指をさされようと、私は桜さんを手放したくない。死ぬまでそばにいたい。そばにいて欲しい。


 不幸が染み付いていた私なんかよりも桜さんに相応しい人は、たくさんいると思う。子供じみたわがままなのかもしれない。でも桜さんにも同じ気持ちでいて欲しいのだ。


「……結婚」


 桜さんはうっとりとした表情で、その言葉を口にした。


「本当に、ロリコンさんなんですね」

 

 くすりと笑う桜さん。


「いいですよ。結婚。幸せな家庭を築きましょうね。この世界のどんな夫婦ですら太刀打ちできないような、世界で一番幸せな二人になりましょう」

「うん!」


 私の心は幸せでいっぱいになった。きっと世界一の幸せ者だった。


 その翌日、桜さんが忽然とこの世界から姿を消すまでは。


 私たちはすっかり勘違いをしていたのだ。幸福と不幸の重みは等しくない。幸福はほんの一滴だけで、命を殺すほどの不幸を中和してしまう劇薬だということ。そのことに、気付けなかった。


 私が桜さんを知覚できていたのは、私が「幸福」を知らないからだった。そして「幸福」を知ってしまった今、私にはもはや桜さんと共に過ごす資格はない。


 そう気付いたときには、もう全てが遅かった。

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