幸せになってしまう女子大学生

第29話 幸せ

「桜さん! だめ! 入らないで!」


 私は必死で叫ぶ。でも布ずれの音は消えてくれなかった。どうしよう。このままだとみられてしまう。だめだ。そんなの絶対にダメだ。頭の中に蘇るのはこの火傷痕のせいでずっと孤独に過ごしてきた人生。そして両親にすら拒絶された記憶。愛されなかった記憶。もしも桜さんまで私を嫌いになったら……。


 そんなことになったら、私はもう生きていけない。


 嫌だ。……そんなの嫌だっ。

 

 浴室を見渡すも、当然逃げ場はない。


「だめ! 桜さん!」


 そう叫ぶも桜さんは止まってくれない。


 気付けば私は涙を流していた。せめてもの抵抗で、桜さんのいる方に背中を向ける。そして止まってくれない涙を誤魔化したくて、お湯の中に顔を沈める。そのとき、浴室の扉が開いた。


「一緒に入らせてください。えっちなことなんてしないので。頑張ってえっちな目で見ないようにしますから!」


 なんて告げながら裸の桜さんが私の隣に入ってきた。すると桜さんは驚いた表情で私のお腹をみつめている。


 絶対に嫌われた。胸が張り裂けそうだった。桜さんと入れ替わるように浴室から逃げ出そうとする。幻滅されたに違いないのだ。でも例えもう手遅れなのだとしても、やっぱり見てもらいたくない。桜さんに、大切な人に私の醜いところ、見て欲しくない。


 だけど立ち上がろうとすると、桜さんに腕を引っ張られる。


「……これ、どうしたんですか?」


 桜さんは真剣な表情で私の醜い所をみつめていた。桜さんの瞳には憐みも嫌悪もなく、ただただ私への心配で満ちているようにみえた。だけど私はそれを信じられなかった。


「……やだ。みないで。汚いからっ」


 私は涙声で懇願する。でも何も気にしていないみたいな表情で桜さんは微笑んだ。


「汚くなんてないですよ。千鶴さんの体なんですから、とっても綺麗です」


 桜さんは優しい。だからそんな風に嘘をついてくれるのだ。私の火傷痕を見た人はみんな私を気持ち悪い人に分類した。「美人なのにもったいない」とか、あるいは私のことを何も知らない癖に「なにか悪いことしたからあんなけがをしたんでしょ」なんて言ってきて。


 だからきっと桜さんも……。


「嘘なんてつかないで」

「嘘じゃないです」


 桜さんは私のお腹に手を伸ばした。私はそれを手で払った。


「やめて。嘘なんてつかないで! 気持ち悪いのならそう言ってよ!」

「……どうすれば信じてくれますか?」


 寂しそうに桜さんは眉をひそめる。私は瞼を堅く閉ざして、湯船の中で体育座りをした。小さく丸まったまま、全てを拒絶するような態度で言い放つ。


「信じないよ。絶対に信じない。裏切られたくないし、惨めだって思われたくない。桜さんならなおさらだよ。……だから、嫌いになったのなら、そう言ってよ。はっきりと私を拒絶してよ!」


 私が泣き叫ぶと、桜さんはぎゅっと私を抱きしめてくれた。


「嫌いになんてなりませんよ。私、千鶴さんのこと大好きですから」

「私は好きじゃない。桜さんのことなんて好きじゃないっ!」

「そんなつまらない嘘なんてつかないでくださいよ」


 桜さんは優しい笑顔を浮かべていた。


 私はなおさら嫌になる。火傷痕を見れば誰もが私を避けた。こんなに温かい表情、誰一人私に向けてくれなかった。だからこそだ。


 だからこそ「好き」だと感じてしまうのだ。


 「幸せ」だと感じてしまいそうになるのだ。


「なんでっ。みんな、みんな私のことなんてっ。私なんかが幸せになっていいはずないのにっ……」

「……。もしかして、この痕は誰かにつけられたものなんですか?」

「……」

「だったら私、その人のこと絶対に許しません。泣いて謝っても許してあげません。土下座しても許してあげません。どんな罪を背負ってでも、絶対に……!」


 桜さんは痛みを伴う程強い力で、私を抱きしめた。表情は見たことないくらい険しくて、私はなおさら涙を溢れさせてしまう。私のためにこんなに怒ってくれるのが嬉しくて仕方なかった。


「さく、桜さんっ。お父さんとお母さんに、小さなころ熱湯、かけられてっ」


 誰にも話したことなんてなかったのに、ずっと一人で抱え込んでいたのに、口が勝手に動いていた。溢れ出してくる涙は止まらなくて、止めようとしても止められなくて……。


 桜さんはそんな私を目を見開いてみつめていた。


「なんで、そんな……」

「二人ともっ、私のこと、愛してなかったっ……。生まれて、こなければっ、よかったのにって怒鳴られてっ。私、ずっと殴られてて……」


 桜さんはなおさら強く私を抱きしめる。


「私。思ったの。本当にその通りだなって。辛いことばかりでっ、幸せも分からなくてっ、なんで私、生まれてきたんだろうって……」

「おかしいですよ! そんなの、おかしいです!」


 桜さんは大粒の涙を流しながら、叫んでくれた。


「望まれない人なんていないはずなのに。誰だって幸せになりたいはずなのに。どうして、そんな。そんな酷いことするんですか? 私、許せないです。絶対に、許せないです!」


 私はぎゅっと桜さんを抱きしめて、溢れる言葉を、これまでずっと押し殺してきた本心たちを叫んだ。


「私だって、本当は、幸せになりたかったっ。他の子たちみたいに、両親に愛されてっ、友達作ってっ、恋人とか作ってっ、笑い合って、幸せになって……」


 桜さんは私を真剣なまなざしでみつめた。


「私が幸せにします。千鶴さんのこと、絶対に幸せにしますから!」


 まぶしい笑顔で微笑んだ。


「だから、泣かないでくださいっ」


 桜さんの唇が私の唇に優しく触れる。私は嫌なことを全て忘れてしまいたくて、何度も何度も溺れるように桜さんと唇を触れ合わせた。


 人間が生まれ持った幸せになりたいという本能。そして桜さんの心からの願い。その二つの力はあまりにも強大だった。


 間違いだって分かってる。なのにこの衝動には逆らえなかったのだ。


 

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