四日目

幸せの分からない女子大学生

第26話 宇宙一の幸せ者

 桜さんの朝は早い。枕もとの時計を見るとまだ八時なのにもうキッチンから美味しいにおいが漂ってきている。ちなみに今日の大学は午後からだ。桜さんと買い物に行きたいけれど、それは午前中だけでは足りないと思う。


 買いたいもの、たくさんあるからね。パジャマだけじゃなくて桜さんの私服とかも沢山買ってあげたい。幸いにも私にはバイトで稼いだお金がある。学費や家賃は女優として大成した姉さんが払ってくれているから、お金は貯まっていく一方なのだ。


 私を一人置いて幸せになったことは今となっては素直には喜べないけれど、お金の負担をしてくれることにはいつも感謝している。もちろん社会人になれば自分で稼いで、自分で生きていくつもりだ。


 桜さんと二人だけれど、たぶん大丈夫だろう。桜さんは浪費家という感じではないし、むしろ必死で節約とかしてくれそうなタイプにみえる。


 なんて考えてしまうけれど、桜さんはどう思っているのだろう。ゆくあてがない桜さんを私の傍に置くのは、全く問題ない。むしろ大歓迎だ。けれど桜さんはそれを望んでくれているのだろうか? そういえばはっきりと言葉で聞いたことはない。出会ってそんなに日はたっていないから当然なのだけれど。


「千鶴さん! ご飯できましたよ!」


 考え込んでいると、桜さんの元気な声が聞こえてくる。この可愛い声は私にしか聞こえていないのだ。そう考えるとちょっと嬉しくなってしまうけれど、それはよくない傾向だ。


 確かに可愛い桜さんを独占できるのは普通に嬉しい。でも桜さん自身は仕方なく今の状況に身を置いているのだ。それを喜んではいけない。私はベッドから起き上がり、リビングへと向かう。


 それにしても自分で料理をせず、中学生の女の子に料理してもらう大学生って……。言葉にするとなかなかに情けない。だからこそ桜さんにはたくさんいい所をみせたいのだけれど。


「お茶いれますね」


 ささっと冷蔵庫からお茶を持ってきてくれたり。


「醤油いりますか?」


 求めているものをぱぱっと運んできてくれたり。


 私は机の前でただただ座っているだけになってしまうのだ。申し訳ないというか、情けないというか。桜さんは健気で可愛いけれど、私にだっていい所をみせさせてほしい。


 でも私の特技といえば体力があることくらい。高校時代に通学路の片道四十分を自転車で毎日走っていた賜物なのだけれど、体力があるから助かることって日常生活においてはほとんどないんだよね。


 私はローテーブルの上の食事に箸を伸ばし、口に運ぶ。


「千鶴さん。おいしいですか?」

「うん。とってもおいしいよ。ありがとう」

「どういたしまして!」


 桜さんはニコニコして私をみつめている。最初の頃の桜さんは割と刺々しかったような気がしなくもないけれど、今日はもう本当に理想の恋人って感じだ。私も桜さんにとっての理想になりたい。


 でも、食事が終わってお皿を洗おうとすると。


「私が洗うので千鶴さんは楽にしておいてください」


 なんて言ってくるし付け入る隙がないのだ。私は仕方なくリビングに戻って、大学の前期試験の勉強をする。試験が近いから、これまでさぼっていた分を取り返さないといけない。


 私は豊岡さんほど頭が良くないから時間をかけるしかないのだ。


 集中していると、気付けば桜さんがテーブルの向かいから私を笑顔でみつめている。なんというべきか、微笑ましいものを見ているような表情だ。


「どうしたの?」


 私はペンを持ったまま首をかしげて問いかける。


「真剣な顔してる千鶴さんって、やっぱりかっこいいなって」


 突然褒めてもらったものだから、顔を熱くしてしまう。


「私を引き留める時も、私が傷付くのを止めようとする時もそうでしたけど。こうしてみると、本当にかっこいいです」

 

 桜さんから目をそらして、肩をすくめる。


「そ、それ以上言わないで……」

「どうしてですか?」

「恥ずかしいからっ……」


 人に褒められることがあまりないものだから、落ち着かないのだ。だけど桜さんはむしろ私の反応をみて味を占めてしまったのか。


「千鶴さんの彼女にしてもらえた私は、世界一の幸せ者ですね」


 なんて口にする。でもその言葉は流石に桜さんからしても恥ずかしかったようで、顔を真っ赤にしてうつむいてしまっている。可愛い。……可愛すぎるでしょ。


 私は衝動に任せて、桜さんをぎゅっと抱きしめた。そして微笑みながらささやく。


「私こそ宇宙一の幸せ者だよ」


 その一言で桜さんの顔はゆでられた蟹のようになってしまう。幸せという感情も恋愛というものも私には分からないけれど、それでも客観的にみれば私がそうである事実は変わらないように思う。


「な、なっ。いきなり何を言うんですかっ!」


 桜さんは私の腕の中でばたばたと優しく暴れていたけれど、私が抱きしめるのをやめずにいるとやがて静かになった。そして小さく告げるのだ。


「……私も千鶴さんのこと、好きです。だからずっと一緒にいてくださいね」

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