女子大学生の覚悟

第21話 偉大なる神への反逆

 私は桜さんに一緒にお風呂に入らないかと誘われていた。


「ごめん。それはちょっと……。流石に犯罪になっちゃうから」

「は、犯罪ですかっ!? なるほど。一緒にお風呂に入ったらえっちなことしちゃいそうなんですね。我慢できそうにないんですねっ! 中学生に欲情するなんて流石ロリコンさんです!!」


 桜さんはどうしてかとても嬉しそうだ。


 別にえっちなことするつもりはないんだけどな……。でもそれを否定すれば桜さんが己の勘違いに耐えられなくなってしまいそうだ。


 本当はお腹の火傷痕を見られたくないからなのだけれど。だってこの痕のせいで私はこれまで孤独に過ごしてきたのだから。


 そんなものを桜さんにみられたくはない。醜い、なんて思われたくない。桜さんには私の綺麗な部分だけしか見せたくない。もしも桜さんにまで嫌われたらと思うと、耐えられそうにない。


「ごめんね。一緒には入れないよ」


 私は階段を上って鍵を開けた。玄関に入ると桜さんはすぐに私に抱き着いてきた。


「もしも一緒に入ってくれたら、目の前で変身してあげてもいいですよ?」


 む。それはなかなか魅力的な提案に思える。私は昔から魔法少女の変身シーンに憧れがあったのだ。子供の心を忘れないピュアな大人なのである。


 でもやっぱり痕を見られたくなんてない。


「ごめんね」

「……そうですか」


 桜さんはしょんぼりしている。そんな桜さんに申し訳なさを覚えながら、私はお風呂に向かった。


 湯船を洗いながら、考え込む。桜さんは私がこれまで不幸な人生を送って来たということを、薄々は察していることだろう。でも具体的にはまだ何も知らない。


 不幸な人生を送ってきた人なんだな、とただ漠然と思うだけなら、人はそれほど突き放しもしないし、同情もしない。でももしも具体的に知られてしまったら、私と桜さんの関係が変わってしまうのではないか。そんな心配があるのだ。


 いや、本当は分かってる。桜さんは私の火傷痕をみたからって、態度を変えるような人じゃないってことは。それでも私の頭の中では繰り返し再生される。


 私に熱湯をかけた両親。そしてその痕をあざ笑う同級生たち。笑いながら私を虐める生徒達。そして誰も私の友達にはなってくれない、たった一人の孤独な世界。


 私だって本当は幸せになりたかった。けれどもそんな孤独な毎日を繰り返しているうちに、忘れてしまったのだ。幸せという気持ちも、幸せになる方法も。


 神様が定めた人類の義務は、私には困難だった。


 幸せが良いものとされるこの世界で、不幸は不要なものなのだ。みせつけずとも視界に入るだけで苦い顔をされて、汚いものをみたかのようにみんな目を背ける。

 

 だから私は、不幸を、自分の抱える不幸を隠すようになった。


 でも私は桜さんを知覚できるというただその一点で、不幸を証明してしまっている。私にはなにか根深いものがあるのだと。桜さんみたいな可愛い女の子とデートしても幸せになれない何かがあるのだと。


「……どうしたものかな」


 私は一人、ぼやきながらお風呂を洗い終えた。ボタンを押してお湯を張る。


 リビングに戻ると桜さんはいなかった。キッチンからいい匂いがしてくる。夕食を作ってくれているのだろう。姉さんはそんな桜さんを通い妻だとか表現していたけれど、これではもはや夫婦みたいだ。


 そう考えると、なんだか顔が熱くなってくる。


 私は誰かに料理を作ってもらったということがほとんどなかった。両親は熱湯をかけて来るし、姉さんも料理は得意じゃないし、私だって似たようなものだ。だから素直に嬉しかった。


 私はキッチンにまで向かって、桜さんにお礼を伝える。


「ありがとう。桜さん」


 桜さんはちらりと振り返ったかと思うと顔を赤らめて「私たちって夫婦みたいですね」と照れ臭そうに笑っている。桜さんも同じことを思ってたみたいだ。


「私、実はお嫁さんになるのが夢だったんです」


 そんなことを桜さんがつげるものだから、私はちょっと驚く。一人で自分を育ててくれたお母さんが苦労しているのを見ていれば、むしろ結婚なんて避けたがるのではないか。私はそう思っていたのだ。


 そんな私の気持ちを見抜いたのか、桜さんは目を細めていた。


「意外ですか?」

「……ちょっと意外」

「私は物心ついたときから母子家庭でしたから、お母さんはいつも苦労してました。でもお母さんは後悔してないって笑ってたんです。あなたが生まれてきてくれただけで幸せよ、と。だから私も別に結婚には悪い印象は抱かなくて」

「桜さんなら、きっといいお母さんになれるね」

「魔法少女じゃなければ千鶴さんの言う通りになってたかもしれないですね」


 桜さんは切なげに笑っていた。桜さんが叶えられる願いは一つだけ。お母さんを甦らせれば一生、魔法少女のままで過ごすことになるのだ。不幸な人にしかみつけてもらえなくなるのだ。


 まともに社会に出ることもできないし、人間関係を作ることもできない。私がそばにいたとしても、きっと幸せとは言い難い人生になるのだろう。


「……やっぱり、お母さんを甦らせるの? 豊岡さんみたいにみんなに見えるようにして貰うんじゃなくて?」

「お母さんを甦らせます」


 料理のために手を動かしながら、桜さんは真剣な表情でそう告げた。


 桜さんは不幸な人にしか見えない。つまり、桜さんと一生を共にできるのは一生不幸な人だけなのだ。


 私にも幸せに憧れる心はある。この世界で不幸が唾棄されるものだということも理解している。不幸を求めるということは、かっこよく言うのなら「偉大なる神への反逆」なのだ。


 それでも私は桜さんのことを知ってしまった。もう、見て見ぬふりなんてできない。もしも桜さんが魔法少女として生きることを覚悟するのなら、私の考えは決まっている。

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