第20話 姉さんの舞台
カラオケから出ると、空はオレンジ色になっていた。桜さんはさっきから、私と目が合いそうになるとすぐにそらしてしまっている。
「ロリコンさんのえっち……。ま、まさか本当にキスをするなんて」
「……嫌だったかな?」
私は不安を感じながら、桜さんに問いかける。
でも桜さんは私の手をぎゅっと握ってくれた。そのままぼそりとつげる。
「嫌なわけ、ないです」
私が自転車に乗ると桜さんはいつも通り後ろに乗って、ぎゅっと抱き着いてくる。なんだかしんみりした空気になったのが落ち着かなくて、私は桜さんに笑った。
「だったら見せて欲しいなぁ。桜さんが魔法少女に変身する瞬間」
ニヤニヤしていると桜さんは「ロリコンさんの変態……」とささやく。まぁ桜さんがどんなボディラインをしているかは、嫌というほど分かってるけどね。なんて考えていたら、密着していた体が離れていって、片手でぽこぽこと背中を叩かれる。
「な、なんで叩くの……」
「なんか失礼なこと考えてるような気がしたので」
魔法少女の第六感は侮れないらしい。私は苦笑いをして、自転車を走らせる。夕暮れの街は休みの日ということもあってか人が多くて、桜さんは黙り込んでいた。
「桜さん。別に黙らなくてもいいんだよ?」
「千鶴さんが変な人だって思われるのが嫌なんです。だから喋りません」
お腹にまわった腕がぎゅっと私を抱きしめてくる。
「そっか。ありがとう。桜さん」
「私だって千鶴さんの幸せを願ってるんですからね?」
「……うん」
私が幸せになれば桜さんは私と会えなくなってしまうのに、本当に他人思いのいい子だなって思う。
私は自転車を走らせて、劇場にたどり着いた。自転車を降りると、桜さんは指先を絡め合わせて恋人つなぎをしてきた。だけどやっぱり目を合わせてくれない。顔を真っ赤にして歩いている。
「返事しなくていいですから、ただ聞いててください」
桜さんはささやくように告げる。
「私、誰かに恋をするのもキスをするのも初めてで、だからなんていうか。誇張だって思われるかもしれないですけど、世界が変わってみえるんです。全てがキラキラしてみえて」
桜さんは顔を真っ赤にしながらも、私と目を合わせてくれた。
「ありがとうございます。私と付き合ってくれて。私、今とっても幸せです」
満面の笑みを浮かべる桜さん。私は無言で頷いて、人ごみの中を歩いていく。
神様の与えた「幸せであれ」という義務に従順なほど魔法少女は力を増す。もしかすると今ならあの化け物も倒せるかもしれない。そうなれば桜さんはお母さんを甦らせられるのだ。
でも仮にお母さんを甦らせたとしても、お母さんは桜さんを知覚できないだろう。そんな状態で果たしてお母さんは幸せになれるのだろうか?
分からない。でも大切な人に生きていてほしいという気持ちは分かる。例えその人を苦しめることになったとしても。
受付でチケットを二枚提示すると受付の人に不思議そうな顔をされた。仕方なく一枚だけ渡す。これなら豊岡さんにも来てほしかったけれど、きっとあの人なりの気づかいなのだろう。
私のことを好きだ、とか言ってるくせにとんだお人よしだ。
私は桜さんと手を繋いだままホールに入る。比較的前の方の席でここからなら舞台を良く楽しめそうだ。桜さんは目に見えてワクワクしているみたいだった。ホールを見渡したり、私の手をつんつんとつついてから微笑んでみたり。
かくいう私も少しだけ高揚感を感じている。舞台を見に来るのなんて初めてなのだ。
席に着いてからしばらくすると、舞台が始まった。魔法少女の姿をした姉さんが現れるけれど、全然コスプレって感じはしない。普通、人は服装を選ぶけれど、姉さんは服装を選ばない。
それだけの美貌と存在感を放っている。
「すごいですね。流石大女優です」
「……そうだね」
演技も上手であっという間に時間が過ぎていく。気付けば舞台は終わっていて、会場のところどころからすすり泣きが聞こえてきた。どの演者も上手だったけれど、特に姉さんは次元が違っていた。
「相変わらず姉さんはすごいな……」
無意識にそんな声が出てしまうほどだった。隣の席で桜さんは感動のあまり涙をこぼしているし、私もしばらく席を立てなかった。
劇場を出る頃になると、辺りは暗くなっていた。私と桜さんは自転車に乗って家に帰っている所だった。並木道は車通りが多く、ライトをつけた車がたくさん行き交っていく。
そこから私たちは曲がりくねった小道に入った。しばらく走ると、アパートがみえてくる。自転車置き場に止めて降りると、桜さんは大きく伸びをした。
「ふぅ。やっと帰ってきましたね。今日は楽しかったですけど、ちょっと疲れました」
「そうだねぇ……」
かなりの距離を自転車で走った気がする。こんなに動いたのは高校生以来かもしれない。
「ということで、千鶴さん。今日は私と一緒にお風呂に入りませんか?」
なにが「ということ」なのか理解できないけれど、桜さんは顔を赤らめながらもじもじと私を上目遣いでみつめていた。
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