第15話 ずるい女子大学生

 しばらく抱きしめ合っていると気分が落ち着いてきた。桜さんは恥ずかしそうに橋の欄干にもたれかかっている。私もなんだか少しだけ気恥ずかしくて、ちょっとだけ桜さんから離れて、夜空の星を見上げていた。


 そんな私たちを見かねたのか、豊岡さんがこんなことをいう。


「そうだ。明日、というか今日かな。十二時回ってるし。桜ちゃんと二人で舞台見に行くのはどう? きっと楽しいと思うよ?」


 そういえば姉さんが出演する舞台は今日なんだっけ。


「二人でデートして来たら?」

「で、デートですかっ?」


 桜さんは顔を真っ赤にしている。


「うん。デート。二人はまだ付き合ってないみたいだけど、油断してたら私が取っちゃうよ?」

「えっ。そ、それはだめですっ」


 豊岡さんは桜さんをおちょくっているつもりみたいだけれど、桜さんは真に受けてしまっているようで、おろおろしている。というかもしかして桜さんって結構私のこと、好きなのかな?


 試しに顔を近づけて、じーっとみつめてみる。


「な、なんのつもりですかっ? 豊岡さんの前で、そんな……」


 といいつつも、桜さんは耳の先まで赤くしてそっと目を閉じた。だけどしばらくの間、私が何もせずにいると、唇を尖らせてよそを向いてしまう。


「桜ちゃんって千鶴ちゃんのこと大好きなんだね!」とニヤニヤする豊岡さん。「そんなわけないです! こんないやらしいロリコン女のこと好きなわけないです!」と怒る桜さん。


「だったら私が取っちゃおうかなー」


 豊岡さんが私の腕に抱き着いてくると、桜さんは慌てて私の反対側の腕にしがみついていた。……どういう状況? 両側から冷たい体に抱き着かれて確かに心地は良いけれど、内心穏やかではない。


 プレッシャーが凄まじいのだ。豊岡さんはお姉さんぶっているけれど、めらめらと桜さんに対抗心を燃やしているし、桜さんだって引くつもりはないらしい。


「はいはい。二人とも。私のために争わないでね」


 棒読みでつげると、二人とも何とも言えない表情で私をみつめてきた。


「ひどい女だよね。千鶴ちゃんって。私、付き合ってもいいくらい千鶴ちゃんのこと好きなのにさ、桜ちゃんに告白しちゃって」

「ですよね。千鶴さんはひどい女です。私に告白したのに、豊岡お姉さんにも思わせぶりな態度ばかり取るんですから」


 私は肩をすくめて微笑んだ。


「まぁまぁ。そろそろ帰りませんか? 豊岡さんも桜さんも。もう夜も遅いですし」

「それもそうだね。千鶴ちゃん。はい。チケット二枚」


 豊岡さんは私に手を差し出した。強い風に吹き飛ばされないように、気を付けてチケットを受け取る。


「ありがとうございます。あとでお金は払いますね」

「いいよ。その代わり、ちょっとしたお願いを聞いてくれたらそれでいいから」


 豊岡さんは悪い顔で微笑んだ。桜さんがほっぺを膨らませている。


「なにを頼むつもりなんですか。豊岡お姉さん……」

「さぁ? なんだろうね? ただ一つ忠告しておくのなら、キスは早くしておいた方がいいよ」

「……なっ。豊岡お姉さん、千鶴さんに何をするつもりですか!?」


 私は豊岡さんに何をされるのだろう……。


 よく分からない不思議な会話に怯えながら、私は自転車にまたがった。


「桜さん。帰るよ。後ろに乗って」

「……むぅ。チケットをくれたことには感謝しておきます。さようなら豊岡お姉さん」

「さようなら。桜ちゃん。千鶴ちゃん」

「さようなら」


 桜さんは私のお腹に細い腕を回した。空いた一方の手で、豊岡さんに手を振っていた。


 自転車をこいで人気のない深夜の住宅街を走る。桜さんはさっきからぺたりと私の背中に体を押し付けていた。そしてこんなことをささやいてくるのだ。


「千鶴さん。告白の返事、聞かせてあげてもいいですよ。聞きたいですか?」

「……うん」

「どうしても千鶴さんが付き合いたいって言うのなら、付き合ってあげてもいいです」


 桜さんを一人にするわけにはいかない。私は笑顔で頷いた。


「付き合いたいよ。どうしても」

「やっぱりロリコンさんですね。あの綺麗な豊岡さんじゃなくて私を選ぶなんて」


 嬉しそうな声で、ぎゅーっと後ろから抱きしめてくる桜さん。やっぱり胸は平坦で感触がない。


「……今失礼なこと考えてませんでしたか?」

「そ、そんなことないよ。可愛いなって思っただけ」


 突然桜さんは黙ってしまった。かと思うとぼそりと。


「ずるいです」


 小声でささやいていた。


「千鶴さんが可愛いって言ってくれるだけで、なんで私はこんなにドキドキしないといけないんですか? 本当にずるいですよ。私は千鶴さんのこと全然ドキドキさせてあげられないのに……」


 こんなに体を密着させていれば、鼓動だって分かってしまうはずだ。でも私の心臓は凪いでいる。もしかして、私の桜さんへの思いも見抜かれてしまったのだろうか。


 私の桜さんへの好意は、恋人へのそれには達していない。そもそも私は人を好きになるということがよく分からない。ずっと体の火傷痕のせいで人から避けられて、いじめられて、恋人どころか友達すらいなかったのだ。


「ドキドキしてるよ」

「してないです。魔法少女は感覚が鋭敏なので分かるんですよ?」


 私が黙り込んでいると、桜さんは微笑んだ。


「でもいつかドキドキさせてみせますからね。待っててください。千鶴さん」


 思わぬ言葉に私は目を細める。でも悪い気はしない。桜さんは私のことを本気で好いてくれているのだ。誰かにここまで強く好かれるなんてなかったから、私は小さく笑みを浮かべた。


「……うん。待ってる」


 ふと夜空を見上げると、たくさんの星が綺麗に瞬いていた。私は桜さんの鼓動を感じながら、ペダルをこいでアパートに帰った。

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