第7話 トラウマ

 部屋がピカピカになっていた。床も壁も天井も机も椅子も全てピカピカ。


 ほんの一瞬目を離した隙にこれだ。


「……もしかして、魔法使った?」

「使いましたよ?」


 さも当然のように、ステッキを握った桜さんはつげた。


「もしかして、手動で掃除しなくても魔法だけでよかったんじゃ」


 橋の上で、桜さんは「消滅せよ」と自分にステッキを向けていた。思い出したくない記憶だけれど、あの魔法を掃除に応用すれば……。


「そうですけど、怠惰な千鶴さんに楽をさせるのは私の主義ではないので」


 私は徒労感にばたりと床に倒れ込む。


「うわーん。雑巾がけたくさん頑張ったのにーーー!」


 桜さんは子供のように駄々をこねる私をあきれ顔でみつめていた。しばらくして立ち上がった私はその脇を通り、疲れ果てた体を引きずって部屋を出ていく。


「どこに行くんですか?」

「お風呂だよ。桜さんも一緒に入る?」

「ロリコンさん……」


 桜さんはジト目で私をみつめている。


「冗談だよ。ちゃんとお湯も張り替えておくから、安心して私の後に入ればいい」

「……あの、ありがとうございます」

「いいよ。お礼なんて。私の方こそありがとう、って感じだから」


 桜さんは首をかしげていた。


「だってさ、私も魔法少女になれば万事解決でしょ? 桜さんは一人じゃなくなるし、私自身も存在を消すことができる。不幸な人以外からはみえなくなるんでしょ?」

「なんでそんなに消えたいんですか?」


 桜さんは興味津々みたいだ。でも私の不幸話を聞いたらたいていの人がドン引きしてしまう。そして私と距離を置こうとする。だから私は作り笑いを浮かべてつげた。


「大した理由じゃないよ」


 桜さんは寂しそうな顔をしていた。私はそれを心苦しく思いながら、お風呂場に向かった。服を脱いで鏡をみつめる。ひどいやけどの痕が、お腹を覆っていた。昔、親に熱湯をかけられた時についた痕だ。


 この痕のせいで中学でも高校でも友達はできなかった。体育の着替えの時間にみられてしまうのだ。こんな醜い痕を持っている人は普通じゃないって思われて、最初は親しくしてくれた人も次第に遠ざかっていく。


 私はいつだって一人ぼっちだった。大学に入ると豊岡さんが声をかけてくれて、友達になってくれたけれど。それでも私はずっと一人でいたせいか、あるいは幼いころ親にひどい扱いをされたせいか「幸せ」という気持ちの感じ方をすっかり忘れてしまっていた。


 その一方で不安とか心配とかは人一倍強く感じてしまうのだ。それは自分だけでなく他人の感情に関してもそう。そのおかげで親切な人だと大学に入ってからは褒められることが多くなったけれど、親切心からそうしているんじゃない。人の不幸を放っておけない。ただそれだけなのだ。


 私は脱衣所を出て、湯船につかる。桜さんの前では明るく振る舞っているけれど、本当の私はもっと暗い。お酒を飲んでふわふわした気持ちにならないと、マイナスな感情に押しつぶされそうになるのだ。


 それでも桜さんと一緒に暮らすからには、お酒、控えないとだね。


 桜さんを不安にはさせたくないし、飲んでも一本くらいにしないとだ。

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