第3話 桜の花弁が寄り集まってできた翼
鈍い頭痛と共に目覚めた。頭を抱えながら起き上がると、ベッドに寝かされていた。昨日の魔法少女。あれはやっぱり夢だったのだろうか。そう思って部屋を見渡すと、ローテーブルの上に紙切れが置いてあった。
そこには丸っこい文字で文章がつづられている。
『昨日は介抱してくれてありがとうございました。でも魔法少女は死ぬことがないので、もう介抱してくれなくても大丈夫です。あと、幸せになってくださいね。私がみえなくなるくらい、幸せに。 咲宮 桜より』
昨日の会話はよく覚えていないけれど、確か神様とか、幸福が義務だとか、そんな話をしていたような気がする。この世に生まれ落ちるあらゆる人間が幸福になるように作られている、みたいな。
でも大丈夫なのだろうか? 桜さんはずっと一人だったと告げていた。誰にも見つけてもらえず、桜さんのことを知覚できたのは私が初めてだと。そんな孤独な状態で過ごしてほしくはない。
一人ぼっちはきっと辛いだろうから。
でも桜さんはもういなくて。だから私にはどうすることもできなくて。
暗い気持ちでスマホをつけて時間を見ると、昼を回っていた。そろそろバイトの準備をしないとだ。憂鬱だけれど頑張らないと。私は服を着替えて、スーパーに自転車で向かった。
自転車置き場に自転車を止めて、スーパーに入る。裏の更衣室で制服に着替えていると、私と同じ大学に通っている豊岡さんに声をかけられた。
「今日も辛そうだねぇ。お酒はほどほどにだよ?」
豊岡さんは私と同い年だけれど、お姉さんっぽくて包容力がある。そしてきっと私が持つような悩みは持っていない人間なのだということを伺わせるような、明るい表情をしている。
「豊岡さんもお酒飲んだらどうですか? いいですよあの感覚」
私が笑うと、豊岡さんは苦笑いを浮かべた。
「私は飲みたくないんだよね。だってお酒飲んだら本性が出るとかいうでしょ?」
「豊岡さんって酔ったら、めっちゃ甘えさせてきそうですよね」
私が笑うと、豊岡さんは突然抱きしめてきた。豊岡さんの体は冷たかった。
「こんな風に?」
「いきなり何するんですか」
「いやー。だって千鶴ちゃん、静香さんに似てるでしょー? というより静香さんよりもずっと可愛いもん」
静香、というのは今もっとも人気な女優だ。そして私の姉でもある。ただ出演するだけでどんな映画でもドラマでも、大盛況になるという。そんな静香のファンは多い。
「だからって抱きしめるのはやめてくださいよ……」
私は静香が姉であることを豊岡さんには話していない。話せば面倒なことになるって分かり切っているからだ。
「えー。千鶴さんほどの美人そうそういないんだから良いでしょー?」
「そんなこと言うなら豊岡さんだって美人じゃないですか。自分で満足してくださいよ」
「そんなことないよ。私なんて全然。もっと綺麗になりたいよ。千鶴ちゃんに恋してもらえるくらいにね」と冗談めかしてウインクする豊岡さん。私はやれやれと首を横に振りながら、制服に袖を通す。すると豊岡さんは告げた。
「そういえば静香さん、魔法少女のアニメが原作の舞台に出るんだって。千鶴ちゃん、私と一緒に行かない?」
「……魔法少女」
「恥ずかしいでしょー? なんか子供みたいでさ」
「その恥ずかしいことに私を巻き込まないでくださいよ……」
「だめ……? お金は私が払うからさ」
豊岡さんは上目遣いで目をうるうるさせながら、私をみつめてくる。私は仕方ないか、とため息をついてからささやいた。
「仕方ないですね。ついていってあげます」
「やったー!」と喜ぶ豊岡さんを前に、私は昨日あったことを話すのを諦めた。魔法少女がフィクションの存在だっていうのが一般認識なのだから、話しても変な人だって思われるのが関の山だ。正気を疑われてもおかしくない。
「その魔法少女のアニメ、内容知らないんですけど、見ておいた方がいいんでしょうか?」
「んー。たぶんそっちの方が楽しめるだろうねぇ」
「……じゃあ、一応見ておきますね」
「ありがとう。千鶴ちゃん。それじゃ、そろそろ行こうか」
私は豊岡さんと一緒に更衣室を出て、レジに向かった。レジ打ちをしていると、すぐに時間が過ぎていく。気付けば日が沈んで、暗くなっていた。交代の人が来たから、私はまた服を着替えて、業務を終える。
そしてみんなに挨拶をしてから、自転車で家に帰る。魔法少女――桜さんと出会った大きな橋を渡って、入り組んだ住宅街を抜けるとアパートが現れる。私は自転車を止めて、自分の部屋に向かった。
前日ビールを大量に買い込んでいたこともあって、用事は特になかった。でも桜さんのことが気になって仕方なかった。そこでアパートを出て、深い谷を渡す橋に徒歩で向かう。
するとそこには桜さんがいた。
私は思わず息をのむ。
というのも、桜さんは桜の花弁が寄り集まってできた大きな翼を広げて、谷の上を縦横無尽に飛び回っていたのだ。翼をはためかせるたび、雪のような花吹雪が舞う。その光景は幻想的で目を奪われるほど美しかった。
一方、そんな桜さんと相まみえるように空中に浮いているのは、異常に大きな顔に異常に小さな胴体がちょこんとついた、気味の悪い巨大な化け物だった。
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