第2話 消えたい女子大学生と叶えたい女子中学生
私はアパートの二階、一番手前の部屋の鍵を開けて、少女を背負ったまま中に入った。中はビールの缶やカップ麺の容器なんかで荒れ果てていた。そのうち掃除しようと思い続けて、気付けばこの有様だ。
寝室まで向かって、少女をベッドの上に横たえた。近くでみると整った顔立ちをしている。短い髪の毛だけをみれば活発な印象だけれど、顔も含めれば儚い雰囲気を感じさせた。
手当てをしてあげようと、救急箱を取りにリビングに向かった。だけど戻ってくるとどういうわけか少女からはすっかり傷が消えていた。それどころか裂けたドレスすらも元の状態に戻っている。
私は思わず後ずさりをした。床にたっていたビールの缶が、軽い音を立てて倒れる。ずっとフィクションの中だけだと信じていた魔法少女だけれど、まさか本当に存在しているのだろうか? じゃないとこの魔法みたいな出来事の説明がつかない。
傷がこんなにすぐに治るわけもないし、勝手に直るドレスなんて魔法そのものだ。
私はもしかすると、何かとんでもないことに首を突っ込んだのかもしれない。嫌な予感がしたけれど少女はなかなか目覚めないし、とりあえず座って買ってきたビールを飲むことにする。ビールは良い。嫌なことを忘れさせてくれるからね。
一本目のビールを開けると、心地のいい音が鳴り響いた。ごくごくと一息で飲み干す。私は割とすぐに酔うタイプだから、これだけでも十分だろう。でも二本目も飲む。酔うからには自分が誰か分からなくなるくらい酔いたいのだ。
しばらくすると、体が火照ってきた。なんだか全て、思考も五感も全てがぼやけて楽しい気持ちになってくる。そうしていると、本物かもしれない魔法少女を家に連れ帰ったことに対する危機感も薄れていた。
私はベッドに眠る少女をみつめる。すると目覚めた少女と目が合った。
「……えっ。ここは? っていうか、あなた誰ですか?」
「わたしぃー? わたしはねぇ……」
すっかり酔いが回ってニヤニヤしていると、少女は眉をひそめた。
「……お酒くさいです。離れてください」
「やだぁ……。ねぇ、ちゅーしよ」
私は少女を抱きしめた。その体は冷たかった。少女は抱きしめられたまま、困惑したような表情を浮かべた。
「は、はい!? な、何言ってるんですか!」
少女は慌てた様子で私を突き放し、ベッドから起き上がった。両腕を交差させて自分の体を庇っている。ほわほわした意識の中、少女の腿の上に顔をのせる。
「ちゅーしよ。ちゅー」
「……嫌です」
少女は怯えているみたいだった。
「助けてくれたのは感謝しますが、流石にそれは……」
「寂しいの。ずっと一人で愛されたこともなくて……」
しくしく泣いてみせると、その瞬間、少女は気の毒そうな顔になった。なにか考え込むように目を細めたかと思うと「だから私のことがみえるんですね」とつぶやく。
「みえるよ? もしかして君って、ゆーれい?」
「幽霊じゃないです……。魔法少女ですよ」
少女は不満そうに唇を尖らせていた。私は手を合わせて笑って見せる。
「魔法少女! かっこいい!」
すると少女はほんのりと口元を緩めた。
「魔法少女はですね、不幸な人にしか見えないんですよ」
「不幸な人?」
「はい。神様が定めた基準によると、現代の人々のほとんどは不幸には生きていないみたいで……」
私は首をかしげる。
「毎朝電車に缶詰めにされてるゾンビみたいな人たちも?」
「……そうみたいですね。私の姿、見えてないみたいでしたから。神様が言うには、幸福は義務付けられてるみたいなんです。神様の力でみんな生まれたときから、自ずと幸福になるようにできてるって。だから不幸な人も少ないんじゃないでしょう」
「幸福は義務なんだねぇ」
「ええ。だから神が与えた義務に反している人々が不幸なのは、ペナルティみたいなものなんだと思います。苦しむのも悲しむのも全てが、自業自得なんでしょう」
少女は悲しそうな顔をしていた。私は少女の頭をよしよしと撫でてあげる。
「私は自業自得なんかじゃないと思うけどねぇ。誰だって本当は幸せになりたいんだよ。だからみんなそれぞれの形で頑張ってる。なのに運が悪かったり、環境が悪かったりして、上手くいかなくて不幸になる。神様のことなんて知らないけれどね、自業自得な不幸なんてこの世のどこにもないんだよ」
少女はじっと私をみつめた。かと思うと、突然、涙を流してしまった。私は肩をすくめて戸惑うばかり。頭を撫でても泣き止んでくれないから、私はまた少女をぎゅっと抱きしめた。
「……ねぇ。君も不幸なの?」
「私は。どうでしょう。あなたが私を知覚してくれるまではずっと一人でしたから、不幸だと言えるかもしれません。でも幸福でもある、とは思います」
少女は涙を拭って、笑っていた。
「私に与えられた使命は、人々の不幸が生み出した怪物を討伐することなんです。そうすれば願いをかなえてもらえるんです。たった一度だけですけどね」
「どうやったら魔法少女になれるの?」
「叶えたい願いがあるんですか? やめた方がいいと思いますけど」
「消えちゃいたいんだ。だから魔法少女になりたいの。大体の人から見えなくなるんでしょ?」
「……消えたい?」
少女は眉をひそめていた。私は「うん」と頷いて笑う。
「……怪物に勝てれば願いをかなえてもらえるのに、ただ消えたいから?」
「そうだよぉ。あんまり話したくないんだけどねぇ、ちょっと嫌なことが多すぎるんだよねぇ。だからねぇお酒飲むの……」
私はビールを開けて、また一息で全てを飲み干した。お酒に弱いから、本当に一瞬で酔いが体にまわる。
「誰にも私って存在を知覚されたくない。ただ、それだけなんだ……」
それだけつぶやいて、ばたりと床に倒れた。
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