第16話

 爪にマニキュアを塗りながら、麗ら彦が清明行者に云う。


「あんたたち、ほんとにそれ面倒ね」


 はっはっと、清明行者は笑って、


「なあに、お前の化粧ほどじゃないさ」


 まあ、と、麗ら彦は眉をつり上げた。


「失礼ねえ。これだからデリカシイの無い男っていやだわ。ねえ、秋鹿」


 いきなり話を振られ、秋鹿はまごついた。


 そうかそうかと、清明行者は笑い、


「今宵は久方振りのつどいがあるからなあ。それはお前も念を入れる訳だ」


「やだもう、そんなんじゃないってば」


 麗ら彦は白い頬をあかくした。


「秋鹿、手伝ってちょうだい」


 ハルに呼ばれ、秋鹿はそばに行く。


「おばあちゃん、集いって、何、」


 小声で囁く。


「私もよくは知らないのだけれど、夜にたちが集まって、何事かお話しするそうよ」


 の集会とは、どんなものだろうと、秋鹿は想像した。


何処どこでやるの、」


「さあ、何処かしら。何分、集いのこと自体が、人間には秘密のようだから、きっと訊ねても教えてはくれないでしょうね」


「そう……」


 さあ、持っていってちょうだいと、盛りつけの済んだケーキ皿を両手に持たされる。秋鹿は緊張しながら客席に運んでいった。皿をひっくり返してはいけないと、手元ばかり見て足元に注意がいかなかった。茶漬けがいるのに気がつかず、思いきり尻尾を踏んでしまう。


「きゃあー! 痛いっ!」


 叫び声に驚いて、思わず皿から手を離した。派手な音を立てて皿は割れ、ケーキは床に落ちて潰れた。


「まあ、大丈夫ですか、秋鹿、茶漬け、」


 ハルがすぐさま駆け寄ってくる。秋鹿はその場に棒立ちになって、声も出ない。何事か起こったのか、とっさには理解出来ず、ただ自分が酷く悪いことをしたのだけは殴られたみたいにありありと判った。


 茶漬けが甲高い声で吠え立てる。


「痛いー、痛いよう、兄者あ、兄者あ、俺の尻尾取れてない? ねえ、取れてない?」


「ご、」


 ごめんなさいと、云いたいのに、喉がつかえてしゃべれない。耳の奥が、うわんうわんと気持ちの悪く鳴り響く。


「秋鹿あ、ひどいよお。せっかくおちかづきになったのに、俺の尻尾をちぎるなんて、酷い奴だー。秋鹿なんか嫌いだあ。大嫌いだあ」


「落ち着け、茶の字。そうわめくでない。お前の尾っぽは、ちゃあんとお前の尻にぶら下がっておるよ」


 清明行者が云う。茶漬けはぴたりと喚くのをやめて、


「本当ー? 本当にー? 兄者あ、本当ー? 俺の尻尾、取れてない?」


「ああ、行者殿の云うとおり、ちぎれてなどおらぬ」


 助六は頷いた。


「本当ー? やったあ、良かった-! 俺の尻尾ついてるー!」


 茶漬けは大きく左右に尻尾を振った。


「折れてもいないようだ。良かったな、茶の字」


「良かったなあ、ちゃのじー」


 清明行者の言葉を野遊丸がくり返し、皆は笑った。


 ハルが秋鹿にそっと云う。


「私が片づけておきますから、秋鹿は二階で少し休んでいらっしゃいな」


 ね、と、やさしく促す。


「はい……」


 と、秋鹿は答えて、二階に上がった。自分の部屋に入ると、枕を抱えてうずくまった。何も考えられなかった。指の先が、冷たくて痛くてどうしようもなかった。

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