第10話

「いけない──と、思ったな」


 着物姿の若い男が云った。


「いけない──と、思ったなあ」


 隣りの子どもがくり返す。えっ、と、秋鹿は目を見張った。男は、はっはっと笑って、


「どうして判ったんだ──と、思ったな」


「どうして判ったんだ──と、思ったなあ」


 再び子どもはくり返す。


「秋鹿ね」


 ハルがやさしく声をかけてくる。知らない人の前で返事をしても良いものか、秋鹿は困った。すると、


「この人たちの前で、しゃべっても良いのだろうか──と、思ったな」


「この人たちの前で、喋っても良いのだろうか──と、思ったなあ、たなあ」


 ハルが微苦笑を浮かべて、客に云う。


「まあ、あんまり私の孫をからかわないでちょうだいな」


 はっはっと、男は磊落に笑って、


「いやあ、すまんすまん。あまりに奇異なることに、つい興がってしまったわ。姿が見えぬのに、声ばかりが聞こえるとはな」


「聞こえるとはなあ」


「もうよいよい、野の字」


 男は子どもの頭を撫でる。


 秋鹿は混乱したまま立ち尽くした。この人たちは、一体、何者なんだろう。そこへドアベルが鳴って、


「ハルさーん、こんにちはあ」


 入ってきた新しい客が、秋鹿にぶつかった。


「え、何? 何? あたし、今、何にぶつかったの?」


「ご、ごめんなさい」


 動転する客に、とっさに秋鹿は謝ってしまう。


 その人は──外見は男だが、まるで女性のようなふるまいをする──切れ長のひとみを瞬かせた。


「え? 誰? 誰が喋ったの?」


「私の孫の秋鹿よ」


 ハルがおっとりと云う。


「え、お孫さん? 何処どこにいるの?」


「今、あなたとぶつかったじゃない」


 ああ──と、その人は合点したように頷いて、


「何だ、そうだったんだ。やだ、ごめんなさいね」


 云いながら、手を前方に出して、叩くようにする。


「いえ、あの、こちらこそぶつかってしまってごめんなさい」


 秋鹿はハルの元へ逃げながら云った。


「ハルさんって、お孫さんいたのね。知らなかったあ。ところで、何で姿が見えないの?」


「さあ、どうしてかしらね」


 ハルはにっこりとして答えた。「ふう」と、客は空いているテーブル席に座る。彼は黒く長い髪をしていた。


「ハルさん、あたし、珈琲コーヒーとケーキね。今日は何のケーキがあるの?」


「ガトーショコラと、シフォンケーキと、チーズケーキよ」


「じゃあ、チーズケーキにするわ」


「はい。チーズケーキね」


 キッチンへと入るハルに、秋鹿もついていった。


「おばあちゃん、」


「なあに、秋鹿」


 客たちに聞こえないように、声をひそめて話す。


「あの人たち、どうして僕のこと……」


 変に思わないのだろう。


 その言葉が、上手く云えなかった。


 ハルは秋鹿を安心させるように微笑んで、


「面白い人たちでしょう。私はあの人たちが、大好きなんです」


 皿を出し、チーズケーキを盛って、クリームを添える。それからカウンターに戻って珈琲コーヒーを淹れはじめた。秋鹿は身の置き場のない気持ちで、ハルの仕事を眺めた。

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