第8話

「こら、無礼なのはあなたたちの方ですよ。人の寝ている部屋に勝手に入って」


 ハルが犬たちを叱ると、犬たちはしゅんとしてうなだれた。


「あいすみませぬ、ハル殿……何やらこの部屋からき香りがしたものですから」


「ここに人がいるなんて思わなかったんですよお……。ハル様には見えるのですか?」


 白いポメラニアンの方もしゃべった。ハルは当たり前のように犬たちを会話をする。


「いいえ、私にも秋鹿の姿は見えないの。けれど秋鹿はちゃんとここにいます。声も聞こえるし、気配も感じるわ」


「気配なんて、判らなかったです」


「それはあなたたちが、秋鹿のことを知らなかったからよ」


「しかし姿が見えぬとは、なんと面妖な人間もいたものだ」


 黒い犬の言葉に、秋鹿の胸がそっと痛んだ。


「秋鹿は私の大事な孫よ。仲良くしてちょうだいね」


「あいわかりました」


「まごー? まごって何ですか?」


 神妙に黒犬は頷き、白犬は目をくりくりさせてくびを傾げた。


 まだ布団の上でぼうっとしてる秋鹿に、


「ご飯にしましょう。顔を洗ったら、お店に下りてきてね」


 そう云って、ハルは犬たちを連れて部屋を出ていった。


 顔を洗って着替えると、秋鹿は一階へ下りていった。


「来ました」と、キッチンにいるハルに声をかける。犬たちはカウンターの下で大人しく寝そべっていた。


「手伝います」


「じゃあ、お皿を運んでちょうだいね」


 皿の上には、オムレツと、かりかりに焼けたベーコンがのっていた。秋鹿はうろつきはじめた犬たちを蹴飛ばさないよう気をつけながら、皿をテーブルに運んだ。


 朝食を食べはじめると、犬たちが秋鹿のそばに近づいてきた。食器だけ浮かんで見えるのが面白いのだろう、揃って目で追いかけている。


「どうして人の言葉を喋れるんですか、」


「驚いた?」


「はい……」


 ハルはにっこりと笑って、


「さあ、どうしてしゃべるのかしらね。私にも判らないわ」


「はあ……」


 はぐらかす為にそう云っているのではないようだった。ハルにとっては、この犬たちが人の言葉で喋るのは至極当然のことで、奇妙なことでも何でもない……そんな風に、感じられた。


「でもこの子たちは喋るの。なぜだか判らないけれど、喋るの。そう云うことって、たくさんあるわ。そうじゃない? 秋鹿」


「──はい」


 自分のことを云っているのだと、秋鹿は思った。自分もまた、どうして消えたのか判らない。けれど、消えてしまった。確かな事実だけをハルは見て、受け入れてくれているのだ。


「秋鹿ー、秋鹿ー、その肉おくれよう」


 白犬が秋鹿に向かってねだる。


「こら、よさないか。はしたないことをするな」


「だって兄者あ、すっごくおいしそううなんだもん。ねえ、秋鹿ー、おちかづきのしるしに、おくれよう」


「あげてもいいの、」


 秋鹿はハルにたずねた。もちろん、と、ハルは頷いた。


「じゃあ、お近づきのしるしに……」


 二切れあったベーコンを、どちらもフォークに刺して、犬たちの鼻先に差し出す。


「ひと切れずつ、どうぞ」


「やったあ、やったあ」


 と、すぐに白犬は器用に一枚だけひきちぎって持っていく。


 その様子を羨ましそうに眺める黒犬に、秋鹿はフォークを傾けた。


「君もどうぞ」


「……かたじけない」


 黒犬は小さく礼を云って、もうひと切れを食べた。


「秋鹿には私からお近づきのしるしをあげましょう」


 ハルが自分のベーコンを秋鹿の皿に分けてくれる。


「ありがとう、おばあちゃん」


 そう口にしてから、はじめてハルを「おばあちゃん」と呼んだことに気がついた。

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