第5話

「秋鹿、食慾ないの、」


 全く手をつけようとしない秋鹿に、ハルがたずねる。秋鹿はあわててスプーンを取ろうとして、指がすべって落としてしまう。皿に当たって、耳ざわりな金属音を立てた。


「ごめんなさい」


 秋鹿は小声で謝る。


 ハルはちっとも不快な表情を見せず、


「無理して食べることはないのですよ」


「……」


 秋鹿はうつむいた。


「秋鹿の好きなものは、なあに、」


 ゆっくりとピラフをスプーンにすくいながら、ハルはいてきた。


 ……レモンタルト。


 瞬時に思いうかんだ言葉を、しかし発しはしなかった。


「……ナポリタン」


「良いですね」


 ハルは目をほそめた。


「では、夜はナポリタンスパゲティにしましょう」ピラフを口に運ぶと、完全に糸のような目になった。


 昼食が済むと、ハルは秋鹿を店の二階にある住居に案内した。空いている客間を、秋鹿の部屋として与えてくれた。


「好きに使ってね」


「はい」


 秋鹿は持ってきた鞄を部屋の隅に置いた。鞄は夏紀が用意してくれたものと、秋鹿自身が用意したものの二つあった。


 室内には扇風機と、文机の他、何も置かれてはいなかった。文机の上には子猫の形をした香立てがあった。


「疲れたでしょう。夕飯まで休んでなさいな。私はお店にいます。何かあったら、いらっしゃい」


 そう云うと、ハルは秋鹿を残して一階へと下りていった。


 秋鹿は夏紀が用意してくれた鞄を開けてみた。中には新品の夏服が詰められていた。忙しい仕事の合間をぬって、急いで準備してくれたのだろう、いずれ商品札のついたままだった。


 秋鹿がたくさん汚すと考えたのか、それとも単に焦っていたのか、同じ柄の靴下が八組も出てきて、秋鹿はつい笑ってしまう。それから、母親にすまない気持ちでいっぱいになった。


 自分で用意した方の鞄から枕を取り出すと、……夏紀が見たら、どうしてそんなものまで持ってくるのだと、怒られそうだ……畳の上に横になる。エアコンはないが、扇風機だけでも十分涼しかった。山が近いからだろうか、そのままうとうとと、眠りについた。


「秋鹿、そこにいますか、」


 ハルに呼びかけられて目を覚ますと、窓の外は日が傾きかけていた。


「はい」と、いかにも寝起きの声で答えた秋鹿に、ハルは笑って、


「まあ、起こしてしまいましたね」


「大丈夫です」


 秋鹿は顎に垂れたよだれを拭った。ハルには見えないのがさいわいだった。


「お店が終わったから、これから夕飯を作るのですが、苦手なものはありますか? 人参にんじんとか、ブロッコリーとか」


「いえ、ありません」


 本当は生ものが苦手だが、ナポリタンには関係ないだろうと思った。


「そう。夏紀とは違うのね」


 ハルが例に挙げた人参にんじんとブロッコリーは、夏紀の嫌いなものだった。


「小さいときからあの子は野菜が苦手だったのだけれど、秋鹿は大丈夫なのね」


 はいと、秋鹿は答えた。


「じゃあ、夕飯が出来上がるまで、少し待っていてね」


「て、手伝います」


 と、とっさに云って、姿の見えない自分ではただの邪魔になるかもしれないと、後悔する。


 しかしハルはあっさりと頷いて、


「では、お願いするわ」


 家で食べる料理も店のキッチンで作る為、二人は一階に下りた。

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