第4話

「これ、秋鹿の荷物」


 夏紀は車から秋鹿の鞄を持ってくると、テーブル席の椅子の上に置いた。


「じゃあ、私、行くから」


「もう行ってしまうの。せっかく帰ってきたんだから、ゆっくりしていったら」


 夏紀は首を振った。


「電話で云ったでしょう。私は今、とても忙しいの。本当はこんなところまで来る暇なんて、ないんだから」


 そう、残念だわと、女性は穏やかに答えた。


「秋鹿、じゃあ、母さん行くから。おばあちゃんの処で、良い子にしててね」


「……うん」


 秋鹿はそれだけ答えるのがやっとだった。急に不安が膨らんで、喉を塞いだ。本当は母親にもう少し一緒にいてほしかったが、とても云えはしなかった。夏紀の顔を見上げると、苦しそうに眉をひそめているのが判った。



「──秋鹿のこと、よろしくお願いします」


 夏紀は女性に向かって頭を下げると、足早に店を出ていった。自動車のエンジンがかかり、走り去っていく音が聞こえると、秋鹿は泣きだしたくなった。


 ぽん、と、女性が手を叩いた。


「さて、そろそろお昼ですね。おいしいものを作って、ご飯にしましょう」


 明るく、やさしい声は、秋鹿を慰めようとしてくれているようだった。


「……あの、」


 秋鹿はおずおずと話しかける。


「はい。なあに、秋鹿」


「本当に、おばあちゃん……ですか、」


「そうですよ。真賀田まがたハル。正真正銘、あなたのおばあちゃんです」


 誇らしげに、云いきる。それでもまだ、秋鹿には信じがたい。


 そんな秋鹿の不安を感じとったのか、「大丈夫ですよ」と、ハルは云った。


「秋鹿は何も心配することはありません。さ、ご飯にしましょう」


 すぐに用意するから待っていてねと、ハルはキッチンの中に入っていた。カウンターの奥にキッチンへの入り口があった。


 秋鹿がテーブル席に坐って待っていると、バターの甘い香りを漂わせてハルが皿を運んでくる。首を巡らせて、


「秋鹿、何処どこにいるの、」


「ここです」


 秋鹿はテーブルの上にあったメニュー表を持ち上げる。ハルは秋鹿の前に海老えびピラフとサラダを置いた。



「秋鹿の声は混じりけのない、良い声ですね。とても繊細。素敵な声です」


 思いがけないことを褒められて、秋鹿はどう反応して良いのか判らない。秋鹿の気持ちを和ませるための、お世辞かもしれなかった。


 ハルは秋鹿の向かい側に座った。


「さ、いただきましょ」


 手を合わせると、実に嬉しそうに食べはじめる。自分で作ったものをこんなにも嬉しそうに食べる人を見るのは、彼女で二人目だった。


 しかしこうして間近で眺めても、ハルの若さに偽りはなかった。長い栗色の髪をひとつに束ねて、珊瑚さんご色のリボンで飾っている。母の云っていた「変わった人」と云うのは、この外見のことなのだろうか。


 父方の祖母とはまるで違う。何だか全然遠い他人と向かい合っているようだった。それにどこか気恥ずかしい。この人とこれからどうやって暮らしていけば良いのだろう。秋鹿はすでに帰りたくなった。

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