第3話

 知らぬ間に眠ってしまったようだった。


「秋鹿、」


 呼ばれて目を覚ますと、車は山道を走っていた。鬱蒼とした木々のかげが車体を覆い、窓の向こうには川の流れが見えた。


「もうすぐ着くわよ」


 曲がりくねった山道を抜けると、水田の間に、ぽつぽつと民家が現れはじめる。緑ばかりで、興味をそそられるようなものは何もない。小さな商店はいくつかあっても、いずれも薄暗く、すすけた感じがした。もしかしたら、もう潰れてしまっているのかも判らない。


 車の通りも、人の通りも、少ない。やたら静かなところだなと、秋鹿は思った。しかし今の自分が過ごすには、ちょうど良い処なのかもしれない。どこに目をやっても、青々とした山が見えるのが不思議であった。これがここの風景なのだと思った。


 一軒の建物の前で、夏紀は車を止めた。


「さ、降りて」


 うながされて秋鹿が降りると、そこは喫茶店のようだった。ふるい洋館のような造りである。入り口のまわりには白や淡い色の薔薇ばらが咲きこぼれている。思わず見とれてしまうほど、見事だった。


「入るわよ」


 と、夏紀が中へ入っていく。一休みでもするのだろうか。からん、と、ドアベルが鳴って、カウンターの奥の方から若い女性が出てきた。


「いらっしゃい……まあ驚いた」


 女性は夏紀の姿に、大きく目を見開いた。


「久し振りね、夏紀。一瞬、誰だか判らなかったわ。すっかり洗練されて、大人っぽくなって」


 親しげに女性は微笑む。母さんの友人だろうかと、秋鹿は思った。だが夏紀はサングラスをかけたまま、にこりともしない。


「疲れたでしょう。お腹空いてない? 何か作るわ。座って」


「いらないわ。すぐに帰るから」


 硬い口調で云うと、「秋鹿」と、呼ぶ。事情を知らない他人の前で返事をしても良いのか秋鹿は迷い、かわりに夏紀の腕にそっとふれた。


「秋鹿?」と、女性がたずねる。


「電話で話した、私の息子。今、ここにいるの。私の腕を握ってる。……見えないと思うけど」


「まあ、本当に姿が見えなくなったのね」


 女性は驚きも怖がりもせず、むしろ感心したように云った。秋鹿のいる方に見当をつけて手を伸ばす。肩に、ふれた。秋鹿がはっとして息を呑むと、微笑んで頷いた。


「どうして姿が見えなくなったの、」


「判らない。そんなことどうでも良いわ。とにかく夏休みの間、この子を預かってくれる、」


「ええ、もちろん。私も自分の孫と暮らせるなんて、嬉しいわ」


 え、と、思わず秋鹿は声を出した。


「おばあ……ちゃん……?」


「そうですよ」


 女性はにっこりとして答える。


 唖然として秋鹿は目の前の女性を見つめた。夏紀よりもずっと若い姿のこの人が、自分の祖母だとは信じられない。どう見ても二十歳前後の肌であり表情であり声だった。

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