第2話

「夏休みのうちに、元に戻れば良いけれど」


 秋鹿の用意したつたない夕飯を食べながら、夏紀は呟いた。照明の下で、仕事帰りの顔は陰影が色濃く見える。あの朝、あわてふためきながら、秋鹿を医者に診せようとして、どんな医者に診せればいいのかと、愕然とした母の表情を秋鹿は忘れられなかった。


 箸が置かれ、溜息が吐かれる。


「どうしてこんなことに……」


 その言葉に、秋鹿は何の答えも返せない。秋鹿自身、どうしてこんな風になってしまったのか、判らなかった。


 そして昨日の晩、唐突に夏紀はったのだった。


「秋鹿、夏休みの間、おばあちゃんのところへ行きなさい」


「おばあちゃん、」


 とまどう秋鹿に、夏紀は付け足して云った。


「お母さんのお母さんのところよ」


 父方の祖父母には何回も会ったことがあるが、母方の祖父母には会ったことがなかった。夏紀が自分の両親について話してくれたことも一度もない。秋鹿がたずねても、口をつぐむばかりで、だから秋鹿はてっきり母方の祖父母はすでに他界しているのだと思っていた。


「明日の朝、早くに出るから。今夜中に荷物を用意しておきなさい」


 夏紀はそれだけ云うと、秋鹿の返事もかずに黙々と夕飯を食べ終えた。もう決まったことなのだと、秋鹿は思った。新規の店舗の立ち上げで、母が忙しいことは承知している。とても秋鹿のことまで気が回らないから、祖母のところに預けると云うのだろう。秋鹿としても、これ以上は母親に迷惑をかけたくなかった。


 しかしこんな状態の秋鹿を見て、祖母は驚きはしないだろうか。祖母と母との間で話はついているようだが、夏紀は何と云って説明をしたのだろう。


 それに、顔も識らない祖母と夏休みの間一緒に暮らすと云うのは、正直なところかなり気が滅入った。厳しい人だったらどうしよう、上手くなじめるだろうか、などと考え込んでしまって、昨夜はなかなか眠れなかった。


 夏紀は祖母がどんな人なのか、祖母の家のあるのはどんな処なのか、一切の説明をしなかった。それ以前に、秋鹿と夏紀はこのところほとんど会話らしい会話をしていない。秋鹿の姿が見えなくなった所為せいもあるのだろう。夏紀はまだこの事実を受け止めきれない様子だった。


 車に揺られているうち、秋鹿は次第に気分が悪くなってきた。緊張の所為せいもあるのだろう、何とか気をまぎらわそうと、夏紀に話しかける。


「母さん、」


「何、」


 夏紀は前を向いたまま答える。


「おばあちゃんって、どんな人、」


 沈黙があった。秋鹿は胃がきりきりと痛むようだった。


 しばらくして、夏紀は口を開いた。


「変わった人よ」


 どんな風に、とは、云わなかった。わずかに考え込む素振りをして、


「……もしかしたら、あなたを元に戻してくれるかもしれない」


「……え……?」


 それはどう云うことだろう。しかし夏紀はそれ以上は何も云わなかった。秋鹿は窓の方に顔を向け、そっと溜息を吐いた。硝子ガラスが丸く曇った。

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