14-1 残ったもの

 いそい様とビーバーを鎮めた後、新堂たちは山を下りて警察に連絡した。通報の内容に二人は悩んだが、同級生と講師が行方不明になったということにして説明をした。

 ただの行方不明なら、姿を消して半日程度の事で警察が動くこともなかっただろう。しかし大学脇の交差点に水死体があったことから、警察は関連を見て動き出した。

 十人ほどの警察官がやってきて、山を捜索した。結果としてその日の夜には何も見つからなかったが、日を改めて翌日に再調査をするという事だった。

 新堂と朝比奈はそれぞれの家に帰り、泥のように眠った。そして朝になると大学に行き、警察による片岡たちの捜索が始まった。いそい川と用水路の接続部分にできていたビーバーの作ったダムも、警察によって調査された。その結果、そのゴミの中から片岡の遺体は見つかった。だが頭部と右腕は見つからないままだった。

 警察は危険な野生動物による犯行を疑い、徹底的に首無し山の山狩りをおこなった。猟友会も同行し、熊を想定しての捜索が続いたが、津幡の遺体は見つからなかった。持っていたはずの散弾銃も見つからないままだった。

 熊でも見つかれば様になったのかもしれないが、首無し山には熊はいなかった。間違えて撃たれた狸が一匹いたが、それだけだった。

 捜索は一週間ほど続いたが、そこで一旦打ち切りとなった。通常の行方不明の調査も並行して行われたが、津幡は見つからなかった。当然だ。津幡はビーバーに連れていかれてしまったのだから。いるとすればどこかの水路……目にとまらない暗渠だろうか。やがて死体は腐敗するはずだが、新堂はそれ以上の事はあまり考えないようにした。


 事件から一か月が経った。梅雨に入り雨が続く。学習資料棟側の第二駐車場は相変わらず水はけが悪く、深めの水たまりがいくつも出来ていた。

 その駐車場の脇にしなびた花が供えられていた。そこに一本の白い菊を供え、新堂は傘を差しながらしゃがみ込んで手を合わせた。花弁に雨粒がはねる。降りしきる雨を、新堂は遠い目をしながら見つめていた。

「ここにいたんだね、新堂君……」

 声に立ち上がり、新堂はしばらく首無し山を見つめてから振り返った。

「月命日……っていうのか。あれから丸一か月だからな。なんとなく、ね。片岡は、花なんか喜ばないだろうけど」

 新堂の言葉に、朝比奈は小さく笑った。

「そうね。お菓子を持ってこいとか言いそう……」

 朝比奈も供えられた鼻を見ながら片岡の事を思い出していた。つい一か月前まで当たり前のようにそばにいたのだ。そして、永遠に姿を消した。

 駐車場に置かれていたままの片岡の車も家族が引き取り、ゼミ室などにあった私物も引き払った。残されたのは思い出と悲しみだけだった。

 二人の間に沈黙が流れる。こらえきれないように、新堂が口を開いた。

「何か用があってきたんじゃないのか」

「……どうしても行くの?」

「ああ。なんて言うんだろうな……けじめっていうのか。自分の中で、まだ終わっていないような気がしてね」

 新堂は首無し山の方に視線を向ける。ここからでは直接見えないが、いそい様の塚の方を見ていた。一か月前よりも山の木々が青い。季節は初夏に向けて模様替えをしているところだった。

「お前は来なくていいんだぞ。また泣かれても困る」

「……意地の悪い言い方をするのね」

「心配しているだけだ。一応な」

 新堂は朝比奈を振り向いて言う。

「来るなら止めはしないけど……」

「ええ、私も行くわ。私の中でもまだ……終わっていない」

「そうか。なら……行こう」

 新堂が朝比奈の靴に目を移すと、真新しいトレッキングシューズを履いていた。それを見て新堂は、自分のスニーカーより登りやすそうだと思った。

 二人は第二駐車場を外れ首無し山の方へと歩いていく。奥に続く用水路脇の細い道を抜けて登山道への入口へと向かう。

 途中にある草は全部綺麗に刈られていた。農作業の時期だからというだけではなく、警察が捜索する時に全部刈り取っていったのだ。山の中も山狩りの時に草刈りや木の伐採まで行われてすっかり綺麗になっているという話だった。

 登山道の入り口に来るのは一か月ぶりの事だった。警察の事情聴取などで現場に立ち会うこともあったが、二人が行ったのは駐車場までだった。そこから先の事は分からないと口裏を合わせていたので、こうして首無し山に近づくこともなかった。

 警察の捜査は一週間ほど続いていて、その間は立ち入り禁止になっていたが、撤収と共に普通に入れるようになった。だから行こうと思えばいつでも行けたのだが、どうにも踏ん切りがつかなかったのだ。

 ビーバーはいない。いそい様も鎮められた。警察が散々山狩りを行っていて何も起こらないのだから、それは間違いのない事だった。しかし、それでも、片岡と津幡の命を奪った元凶に会いに行くことにはためらいがあった。その最後を見届けなければいけないという意識があったが、結局、今日になるまでこうして首無し山に来ることはできなかったのだ。

 その道を、今歩いていく。傘を差しながら、一か月前より広く綺麗になった道を歩いていく。まるで普通の登山道のようだった。これが本来の首無し山だったのだろう。かつていそい様が祀られていた頃も、こうして何人もの人がここを歩いていたのだ。それと同じことを自分たちも繰り返している。それは不思議な気分だった。

 雨のせいで地面はぬかるんでいたが、警察が踏み固めたせいかそれほど歩きにくさはなかった。勾配のきつい所には木杭と板で簡易な階段が作られており、各段に上りやすくなっている。

 地図はなかったが、迷うことはなかった。草の刈ってある痕跡を辿りながら登っていく。雨天ではあるが、まだ時間は午前中で空も白く明るい。周囲の木々や草は繁茂しているが、歩くのに邪魔になるほどの事はなかった。

 やがて左右の視界が開ける。山の中腹部分だ。あの時と同じように大学が見える。いつもと変わらない大学の様子……決定的に失われたものがあっても、大勢は変わらない。人の営為には大きな変化はない。それは人間の強さだった。だが、同時に悲しい事でもある。特に、今回の場合は。

 もはや、真相を知るのは新堂と朝比奈だけなのだ。他の人にとっては、二人の死は熊のような猛獣に襲われたという事件でしかない。悲惨な事件ではあるが、それも薄れていく。日常の様々なニュースにまぎれて流れていく。駐車場に備えられた花がしおれ、誰からも見向きもされなくなっていたのがその証左だった。

 新堂は足元に視線を戻し、少し進んでから足を止める。足元には細い沢があった。地面が抉れて跡が残っているが、今流れている水はかなり少ない。

「沢水が……今日はほとんどないな」

 雨は今も降り続けていたが、この沢の流量にはあまり関係していないようだった。

 新堂は沢水の音を思い出す。暗闇の中で、滔々と流れているのが懐中電灯の光で見えていた。あの時の流れを。

 その流れに、津幡は呑み込まれたのだ。ビーバーに引きずり込まれ、この下の斜面へと消えていった。そして見つからないままだ。

「あの日は土砂降りだったもんね。すごい雨だった……」

 朝比奈も斜面の下を見ながら言う。頭の中にあるのは、新堂と同じように津幡の事のようだった。


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