12-3
「そこか!」
気合を込めた声と共に銃弾が放たれた。新堂たちの耳にも轟音が響き、思わず身が竦む。津幡の邪魔にならないように、新堂は四つん這いのように更に身を低くする。
「化け物め!」
もう一発の銃弾が放たれる。そして瞬時に津幡は散弾銃に新しい弾を込め始める。その様子を見て、新堂はまだビーバーを仕留めていないことを悟った。
闇を裂く悲鳴が聞こえた。耳の奥から脳髄をかき乱すような不快な鳴き声。ビーバーの声だった。
「うおおっ!」
津幡が叫びながら散弾銃を構える。そして発砲。銃の閃光の中に、新堂はビーバーの姿を見た。空中を飛び、手足を広げて襲い掛かる姿を!
「うわあっ!」
津幡が再び散弾銃で狙いをつけるよりも早く、ビーバーが津幡に飛び掛かる。散弾銃の銃身で強かにビーバーは打ち据えられるが、怯む様子もなく津幡の顔に覆いかぶさるように張り付いていく。
「くそっ! 離せ!」
津幡は散弾銃を振り回しながら、顔のビーバーをどかそうと暴れる。新堂は津幡に加勢しようとするが、津幡の振り回す散弾銃が邪魔で近づくことが出来なかった。下手に近づけば暴発してやられる可能性さえあった。
「津幡さん!」
朝比奈が叫ぶ。そして新堂の脇を抜けて駆け寄る。その腕には木の枝があった。それでビーバーを殴るつもりらしい。
太いものが新堂たちの眼前を通り抜けた。朝比奈の持っていた棒はそれに打ち払われる。突然飛んできたのは、ビーバーの太く扁平なしっぽだった。朝比奈ははたかれた勢いのまま、後方の斜面へと転がっていってしまう。
「朝比奈! 津幡さんも……どうすればいいんだ!」
ビーバーに襲われてもがく津幡に、新堂は絶望的な心理に陥る。照らす光の中に赤いものがまざる。それはビーバーの前歯でやられた津幡の血だった。また血が流れる。新堂の脳裏に片岡の死がフラッシュバックする。また何もできないのか。見ているだけなのか。
「うおおっ!」
新堂は懐中電灯を棒のように持ち、それで激しくビーバーに殴りかかった。金属製の先端がビーバーの頭部を打ち据える。ビーバーは狂ったような声を上げ暴れるが、まだ津幡から離れようとはしない。新堂も負けじと叫びながら、がむしゃらにビーバーを殴り続ける。何度も、何度も。
「死ね、ビーバー!」
許す心などそこにはなかった。あるのは怒りだけだった。何故殺されなければならなかったのか。何故殺すのか。そんな事を理解することなどできそうになかった。
渾身の力を込めた一撃が、ビーバーの額に直撃する。怯むような声を上げ、ビーバーは津幡から離れ草むらに逃げ込む。
「ぐ、うう……」
津幡は倒れ込むが、しかし散弾銃を離すことはしない。血まみれになった眼鏡を振り払い、草むらのビーバー目掛けて照準する。弾はまだ一発残っている。今度こそ……!
散弾が放たれた。草むらを吹き飛ばし、そしてそこに潜む獣に突き刺さる。
苦鳴のような声が響いた。それは断末魔の叫びにも聞こえた。新堂は懐中電灯で銃撃の先を照らす。
「やった……のか……?」
新堂が照らすと、そこには巨大な茶色い獣が倒れていた。一昨日に見た剥製のビーバー。そうに違いなかった。
「倒した……これでビーバーはやっつけた……」
新堂は安堵し膝をつく。懐中電灯を握る右手が痺れていることに、今頃気付いた。手がかじかんだようになり、武者震いのように震えていた。
「どんなもんだい……言ったろ? クレー射撃は、得意なんだって……」
津幡が血まみれの顔で笑顔を見せる。凄惨な表情だったが、笑顔は明るく見えた。額や頬に裂けたような傷があったが、それはビーバーの前歯によるものだろう。浅い傷ではない。すぐに治療が必要だろう。
「血を止めないと……くそっ! 救急セットくらい持ってくるんだった!」
新堂がリュックの中をひっくり返すが使えそうなものはない。せいぜいポケットに何度か手を拭いたハンカチが入っているだけだ。
「血は心配するな。傷自体はそう深くないから、しばらくすれば止まる。それより朝比奈君は? 無事か?」
「そうだ、朝比奈は……!」
津幡に言われ、新堂は後ろの斜面を振り返る。倒れ込んでいる朝比奈の脚が見えた。動く様子がなく、気を失っているようだった。
「まずは彼女の手当が――」
影が走った。そして津幡の体ごと、谷間へと消えていく。残された風が獣臭を届け、新堂は呆然としながら津幡の消えていった先を見つめていた。
「津幡……さん……?」
問いかけても返事のない事は分かっていた。津幡は沢に沿って連れていかれた……ビーバーの縄張りの中へと。今頃どうなっているかは想像に難くない。考えたくもない事だったが……。
「そんな……倒したはずじゃ……?」
頬にこぼれそうになる涙をこらえながら、津幡の座っていた場所に近づく。血にまみれた眼鏡だけがそこに残されていた。
散弾銃は確かにビーバーに打ち込まれたはずだった。ぐったりと力尽きていたように見えた。しかし、やはりもはや生き物ではないビーバーにとっては普通の銃による攻撃は意味を持たないのだろうか。津幡が銀の弾丸を混ぜていたが、それも効果はないようだった。
一体どうすれば殺せる? ばらばらにするしかないのか? しかし例えばらばらにしても、ビーバーの怨念は消えないだろう。実体を失っても、いそい様のように人に災いを成す怪異となり果てるだけだ。
倒すには、鎮めるしかない。
新堂は津幡の眼鏡を拾い、そして胸の前で抱きしめた。津幡を探しに行くことは不可能だろう。危険な沢の中を進んでも、二の舞になるだけだ。仮に津幡がまだ生きていても、あのビーバーから取り返すことはできない。
前に、進むしかない。鎮めの儀式を行なうしかない。新堂に残された希望は、ただそれだけだった。
「……朝比奈、大丈夫か」
力のこもらない声で新堂が朝比奈に呼びかける。脚をゆすっても起きない。新堂は斜面を少し下り、朝比奈の顔を懐中電灯で照らした。血が出ている様子はなく、光に反応して眩しそうに身じろぎした。
「う……私……」
朝比奈がゆっくりと体を起こす。頭が痛むようだったが、意識ははっきりしていた。
「ビーバーは? やっつけたの?」
朝比奈が不思議そうに周囲を見回す。新堂は力無く答えた。
「ビーバーは逃げて行った。津幡さんは……やられてしまった」
「えっ?! どういうこと? 津幡さんは……!」
朝比奈が周囲を見回し、津幡がいない事に気付く。そして新堂の言葉を反芻し、その意味を噛みしめる。
「ビーバーを撃ったんだ。確かに、散弾銃で撃った。それで死んだように見えたけど……奴は死んでいなかった。俺達は死んだと思って油断して……それで、津幡さんは起き上がったあいつに……その斜面の下に引きずられていった」
「そんな……津幡さんまで……」
泣きそうな顔で、朝比奈が着ている服の胸元を握りしめる。
「何でこんな事になるの? 昨日まで普通だったのに……何も変わらない毎日だったのに……どうして!」
その言葉に、新堂は答える事が出来なかった。何故こんな事になったのか。なぜ自分たちが巻き込まれたのか。
理由は、無いのかもしれない。怪異とは不条理なものだ。納得できなくても、その怪異は降り注いでくる。
「行かなきゃならない。もう、鎮めることでしかあのビーバーは止められない。行こう、塚へ。もうそう遠くはないはずだ……」
「……ええ、そうね。分かったわ……」
悲壮な新堂の声に、覚悟を決めたのか朝比奈も立ち上がる。涙をこらえ、震えそうになる足に力を入れて立ち上がる。
「行こう。俺達が止めるしかない。ビーバーを、いそい様を」
新堂の目に覚悟が宿っていた。例え自分の身がどうなろうとも、やり遂げてみせる。強い信念だった。
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