12-1 生き残るために

 津幡は冷たい夜気の中で散弾銃を抱えたまま立ち尽くしていた。総合学習等の玄関の前……蛍光灯の明かりの側で、冷たくなってきた手をこすりながら新堂たちを待ち続ける。

 新堂から電話があってからそろそろ三〇分が経つ。津幡は今か今かと新堂たちがやってくるのを待ち続けていた。転んで泥に汚れた体も冷えてきている。熱い風呂にでも入りたいところだが、今はそんな猶予はない。

 総合学習等の中に入れば風は防げるが、しかしそうなると外の音が聞こえなくなる。新堂たちがやってきて、そこをビーバーに襲われたら……。外にいればまだ対応する余地はあるが、悲鳴を聞いて中から出て行ったのでは遅い。それに外にいなければ電話も通じない。津幡は寒さを我慢し、外で待つことを選択した。

 やがて足音が聞こえ、津幡は散弾銃を構えながらゆっくりと前に出た。万が一、ビーバーの足音という可能性もある。緊迫した時間が続いたが、木立の向こうに見えた新堂と朝比奈の顔に、津幡は安堵の息を漏らす。

「遅かったな。すっかり冷えちまったよ」

 津幡が言うと、新堂と朝比奈が駆け寄ってくる。新堂はリュックを背負い、朝比奈はビニール袋を手に持っていた。

「何だい、その袋は。あったかい飲み物かい?」

 津幡が聞くと、新堂は首を振ってこたえる。

「いえ、懐中電灯とごぼうです」

「懐中電灯と……ごぼうだって?」

 新堂の言葉に、津幡は面食らったように答える。

「懐中電灯は分かるが、何だってまたごぼうなんかを」

「覚えていませんか、津幡さん。片岡が調べた事ですよ」

「片岡君が調べた……? いや、すまない。全く覚えがないんだが……」

 新堂はリュックを下ろし、中のレポートの束から一枚を取り出す。それは片岡が補記として作成したレポートの一ページだった。儀式に関するメモが書かれている。

「これは……古いレポートか? 書斎にあった」

「はい、勝手に入ってすいません。でもどうしても情報が必要だったんです。いそい様を鎮める儀式に関する情報が……」

「鎮める儀式……それとごぼうが関係するのか?」

「はい。レポートの中段に書いてありました。塚を建て、失った手足の代わりにごぼうを供えて祈りをささげた。それでいそい様は鎮まったと書いてあります」

「ふむ……何となく思い出してきた。そうだ、確かにそんな内容を聞いた覚えがある。つまりそれを……再現しようってわけか」

 津幡は顎に手を当てて考え込むような仕草をする。新堂はこれしかないと思って用意してきたが、津幡の顔は晴れない。何か引っかかることがあるようだった。

「何か問題でもありますか?」

「問題……問題ね。はっきり言って問題しかない。形だけ真似たって駄目だ。その土地にゆかりのある神職でなければ儀式の遂行は難しいだろう。それに儀式の詳細と言っても……塚を建ててごぼうを捧げた……それだけじゃあまりにも雑過ぎる。きっとちゃんとした手順が必要だ」

「それはそうかも知れませんけど……今からちゃんとした神主さんとかを呼んでくるなんて無理ですよ! これ以上他人を巻き込めばいたずらに犠牲者が増えるばかりです!」

「ああ、それは分かっている……参ったな。僕らだけで何とかするしかないな」

「はい、そのつもりで俺達も来ました」

「しかし、朝比奈君。君までか……」

 津幡が視線を向けると、朝比奈は強い口調で言い返した。

「私にだってできることはあります。女だからって……片岡君の仇を取りたいのは私だって同じです!」

「うむ……そうか。わかった、もう何も言うまい。だが……行く前に準備が必要だな」

 津幡の言葉に、新堂が聞き返す。

「準備? 他にも何か必要な物が?」

「儀式に必要な物は君たちが用意したものでいいだろう。問題なのは塚までどうやって辿り着くかだ」

「道は……覚えてないんですか? 俺達は行ったことがないから分からなくて……」

「僕も一回行っただけだからね。しかも昼だ。一応は一本道と言うか……何か所か分岐はあったが踏み均したような痕跡があったから、それほど迷うことはなかった」

「じゃあ、同じように行けばいいじゃないですか」

「あれから二年経ってるんだぞ? いそい様の塚は当時からほとんど放置されていたが、今も同じ状況だろう。誰にも管理されない山の道なんて、あっという間に草で埋め尽くされる」

「そんな……じゃあ、辿り着けない?」

「少なくとも道だった場所に木は生えていないだろう。草の生え方も……せいぜい生えていないことを祈るしかないな。草の少ない所を進んでいくしかない」

「そうか。ちゃんと辿り着ければいいけど……」

 新堂と朝比奈は不安そうに顔を見合わせる。そんな様子に、津幡は明るい笑顔を見せる。

「なあに、心配ないさ。塚は山のほぼ中央にあることは分かっている。尾根伝いに行けばちゃんと辿り着けるさ」

「ええ……そうですね。心配してもしょうがない」

「あとは塚を直して……儀式をやって終わり。それでビーバーも大人しくなるはず」

「ああ。だが……鎮めるといっても、なにとして鎮めたのかが分からないな。そこを間違えるとこじれるかもしれない」

「なにとして鎮めた……どういうことですか? いそい様を……悪霊を鎮めたって事じゃないんですか?」

「そういった悪霊の鎮め方には大別して三つの方法がある。一つ目は許す方法。生前に犯した罪のせいで成仏も出来ずに暴れまわる悪霊……その身に背負った罪を許し、極楽浄土へと導く。それが一つだ」

「なるほど……いそい様も狼藉を働いて恨まれたまま殺された。それを許すって事か……他の二つは?」

「二つ目は神格化することだ。菅原道真なんかが有名だね。政争に敗れ大宰府に幽閉された道真は悪霊と化し朝廷に祟った……それを鎮めるために北野天満宮が建てられた。霊に格を与え、良きものとして奉りその怒りや恨みを鎮める。これが神格化だ」

「三つめは何ですか?」

「三つめは希釈だ。直接的な名前ではなく、似た言葉などを使って別のものを奉る。そして長い年月の間にその記憶をゆっくりと希釈していく。その過程で恨みを持つ悪霊も意味を希釈され、やがて無害な存在になっていく」

「いそい様の場合はどれなんですか?」

「伝承を聞く限りでは一つ目のような気がする。生前の罪を許して塚を建てた……僕にはそう思える。様付けではあるけど神格化というほどではないし、いそい様という武家の姓をそのまま使っているから、希釈化ともちょっと違う」

「許す……許さなければならないんですか……?」

 言いながら、新堂は津幡を見つめる。新堂の目には深い悲しみと怒りがあった。

「そうだ。必要なのは許しだ。生前には何人もの百姓を苦しめ手打ちにもしたいそい様。死んだ後も川の中に引きずり込んで人を殺している。この大学で死んだ二人と、片岡君の事も……その全てを許さなければならない」

「そんなこと、俺には……」

 新堂は俯き歯を軋らせる。新堂は見てしまったのだ。片岡の最期を。なす術もなく水の中に引きずり込まれ、そして食い千切られた首。その顔に浮かんだ表情を忘れることはできなかった。

 新堂の肩を津幡が強い力で掴む。揺り起こすように力を込め、そして新堂の目を見つめて言う。

「君の怒りは想像できる。でもやらなければならない……神職でもない僕たちがやろうとするのなら、少なくともその心は清らかでなければならない。怒りを捨てるんだ。ビーバーもいそい様も、恨むべきものではない。許すことが出来なければ、この怪異を止めることはできない! それが出来ないのなら帰れ!」

「俺は……!」

 新堂は津幡の目を見つめ、そしてこみ上げる涙を拭った。

「……やります。それが片岡の為でもある。恨みではなく、許しをもっていそい様を鎮める……!」

「そうだ。憎しみに憎しみをぶつけても更に燃え上がるだけだ。誰かが止めなければならない……行こう。また雨が降り出しそうだ」

「はい、分かりました。朝比奈も……大丈夫だな?」

「ええ、許す……簡単じゃないけど、でも確かにビーバーは被害者かも知れない。いそい様に同情することは難しいけれど……それでも許さなければいけないのね」

「そうだ。行こう」

 津幡が言い、新堂と朝比奈も頷く。朝比奈はビニール袋の中から懐中電灯を三つ取り出し、二つを新堂と津幡に渡す。

「よし、僕が先頭を行く。新堂君は二番目、朝比奈君は最後だ。ビーバーが襲ってくるかもしれないが……何か見えたら教えてくれ」

「分かりました」

 津幡たちは第二駐車場を抜けて東側の山林に近づいていく。すぐ脇には田んぼがあり、大学との敷地の境にはいそい川が流れている。新堂が水を照らすと、濁った水が滔々と流れていた。

 この水のすぐ下にビーバーが潜んでいるかもしれない。新堂はそんな事を思いぞっとした。しかし表情には出さないようにし、平静を装って歩き続ける。必要なのは許しの心……もう一度ビーバーに襲われても許せるだろうか。自分が、或いは津幡や朝比奈が傷つけられて、それでも許せるだろうか。

 許せる……とてもそうは言えない。しかしこんな心のままでは鎮めの儀式など執り行えるものではない。新堂は自らの心を鎮め、怒りや恐怖さえも感じないように努めた。

「ここからは足場がもっと悪くなる。川に落ちないようにな」

「はい」

 津幡の言葉に返事をしながら、新堂たちは足元を照らして歩いていく。田んぼもなくなり草地と首無し山の斜面が近づいてくる。いそい川はその間を流れているが、川の縁の部分の草が多くなってきた。さっきまでは田んぼがあったため草刈りされていたが、ここからは人が立ち入らないので草もそのままだ。雨水で濡れ、そして土もぬかるんで滑りやすくなっている。新堂は時折朝比奈の様子を見ながら、注意して進んでいく。


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