11-2
「これか……! でもこれじゃ精度が……」
それは津幡のフリーハンドの地図だった。大学があり、その東に首無し山がある。山は三角っぽい丸で描かれていて、上空から見たおおよその形を示しているらしい。そして大学の方からいそい川に沿って遡上し山に入る道が書かれている。山の中で道は多少左右に曲がっているが、一応は一本道で繋がっている。そして山の中心にある塚に辿り着いている。
「当てになるのかな」
「分かんない。でも、泥がついている……実際に歩いたんじゃないかしら」
「航空写真で……分からないかな?」
新堂はスマホを取り出し地図アプリで首無し山を表示する。そして表示を航空写真に切り替えて道がないか確認する。
「うっすら……見える。獣道? 林道っていうのか」
「ええ、確かに……この地図とも一致しているようにも……見えるわ」
しばらく地図と航空写真を見比べる。しかし、いくら見ていたところでこれ以上は分からないようだった。やはり実際に首無し山に行ってみるしかない。
「津幡さんはビーバーとやり合っている頃か……」
津幡が出発してから三〇分ほどが経っていた。とっくに大学についている頃だ。しかし、まだ何の連絡もない。無事であればいいのだが……新堂は心の中でそう思った。
「ビーバーは津幡さんに任せるとして、俺達はいそい様か。山の中に入るとなると……懐中電灯がいるな。スマホのライトじゃ心許ない」
「それに儀式に必要なごぼう……買ってきて煮てる場合じゃないわね。なにか調理済みのが売ってると思うから、それを買ってこないと」
「津幡さんに連絡してみるか……俺達も大学に行くって」
「そうね。下手に近寄って撃たれたんじゃ困るわ。でも、今かけて大丈夫かしら。ビーバーと戦ってるんじゃ、邪魔にならないかしら」
「そうだな、朝比奈の言うとおりだ……もう少し待つか。その間、朝比奈は買い物をしてきてくれ。懐中電灯とごぼう……どっちもスーパーで揃うはずだ。俺はもう少しレポートの内容を確認してみる。何か情報があるかも知れない」
「分かった。じゃ、私行ってくる!」
そう言い残し、朝比奈は部屋を出て言った。残された新堂はレポートを床に広げて、もう一度目を通し始める。
「これが津幡さんのレポート……これは、写真か? すごい、これがいそい様の塚か……」
それは薄暗くはっきりとしないものだったが、中心に石を積んだ祠のようなものが見える。写真の裏には二年前の日付でいそい様の塚とメモがあった。
「周囲には木が茂っている……後ろは斜面のようになっているのか? よく分からないが、例えばこの斜面の土砂が崩れたりしたら、この塚も巻き込まれて崩れていてもおかしくはないな……」
新堂はスマホの航空写真を拡大する。津幡の描いた位置図では塚は山の中心になっている。これが実際にそうだとすれば……航空写真でも分かるかもしれない。
「これ……これか?」
写真の中央部分の木々が僅かに密度が薄くなっているように見える。塚は確認できないが、ここに何らかのスペースがあるように思えた。
「津幡さん様様だな。やっぱり民俗学はフィールドワークだ……!」
資料を紐解いて事実に近づいていくかのような感覚に、新堂は興奮していた。ここにいそい様の塚があるのなら、津幡の地図を頼りに何とか辿り着くことが出来そうだった。
「問題は儀式か。ごぼうはいいとして……どんな儀式だったんだ? 祝詞みたいなのが必要なのかな? そこまでになると……ちょっと俺達じゃ知識不足だな」
様々な儀式に用いられる祝詞。ネットを探せば文例は見つかるが、似たようなものを適当に取り繕っても駄目だ。ちゃんと祀るものの来歴や地域の特性を考えた内容にしないと意味がない。特に今回はいそい様という凶悪な霊を鎮めるのが目的だ。形骸化した儀礼的なものとは意味が違う。下手なことをすれば、かえって怒りを買う事になるだろう。
「でもさすがにそこまでの資料は……ないな」
新堂もレポートを見ながら当時の事を思い出してきた。いそい様を鎮める儀式の事が分かればレポートとしても様になる。そう思って調べたのだが、儀式の具体的な内容は分からなかったのだ。ごぼうを使うという事についても、当時の新堂たちには辿り着けない情報だった。
津幡がどうやって調べたのか、どんな文献を当たったのかが分かればまだ調べようもあるが、資料があっても図書館とか郷土資料館になるだろう。こんな夜中には当然やっていないから、今からでは調べようもない。
日を改めて明日に対策を立て直すか? そんな考えがよぎるが、やはり駄目だと思い直す。明日は日曜。学生や講師も何人かは大学に来ることだろう。そして何も知らずにいそい川に近づけば、片岡の二の舞だ。警察に連絡しても、最初に来た人はやはり犠牲になる可能性が高い。
やるのなら、今だ。今日の夜のうちに片付けなければ被害が大きくなる。今こうしている間にも津幡が戦っているはずだが……果たして無事なのだろうか。
時間を確認すると、四五分が経っていた。新堂は我慢できずに津幡に電話をかける。だが帰ってきたのは、電波が届かないところにいるというアナウンスだった。
「林の中なのか? くそ、まだ繋がらないのか!」
雨は晴れているはずだったが、晴天でも林の中では電波が悪い。あるいは水の中でも電波は通じない……新堂は嫌な考えを頭から振り払う。
「ビーバーを倒してもいそい様の怪異は残っている……安心はできないはずだ……! 出てくれよ、津幡さん!」
少し時間をおいて何度か電話をかけ直す。そしてついに電話がかかる。
「もしもし」
津幡の声だった。無事だったようだ。
「ビーバーはどうなりましたか?」
「ビーバーは、逃げた……それを追っているところだ」
「少し待ってください。今朝比奈に頼んでごぼうを買ってきてもらいます。俺達も大学に行くから、待っていてください!」
「何? 何だって?」
津幡は理解できないといった様子で答える。新堂は心を落ち着かせながら言葉を続ける。
「いそい様を鎮めます。きっとビーバーを倒すだけじゃ駄目なんです」
「いそい様を鎮める……?!」
「はい。さっき言っていた事です。怪異は伝染する……今回の事件は、ビーバーの悪霊だけじゃない。きっといそい様の怪異も関わっている。失われた手足、それと食い千切られた片岡の首が証拠です」
「それだけを根拠にするのは少々乱暴じゃないか? たまたまいそい川が近くにあるというだけで……こじつけなんじゃないのか。僕にはそう思える」
「逆ですよ、きっと」
「逆?! 何がだい」
「ビーバーだけでは、きっと悪霊にはならなかった。そんな事で悪霊になるんなら世界中で起きているでしょうからね。でもうちの大学にはいそい様がいた。すぐそこを流れている川に怪異が存在したんです。ビーバーも水辺の生き物……強い影響を受けることは考えられます」
「いそい様に影響を受けてビーバーが悪霊になったっていうのか……そんな突飛な……いや、確かにそう考えた方がつじつまは合うのか。ビーバーがあそこまで狂暴なのも、いそい様という凶悪な霊の影響を受けているという事か」
「はい。多分そう言う事です。だから、ビーバーを倒すだけでは不十分……いえ、根本的な所が間違っている」
「倒すべきは、鎮めるべきはいそい様という事か」
「はい。ビーバーを倒しても、恐らくいそい様は鎮まらない。他の形を取って怪異として現れるはずです。昔のように川に引きずり込むか、もっと別の形で」
「いそい川は用水路につながっている……市内のほとんどどこでも行く事が出来る……!」
電話の向こうで津幡が息を呑むのが分かった。このままではいそい様の怪異は市内全域に広がる。巻き込まれる人も桁違いになる可能性がある。それだけはどうしても防がなければならない。
「なるほど。だからいそい様を鎮めるのか……準備にはどの位かかる?」
「懐中電灯とごぼうを朝比奈が買いに行っています。多分、もうすぐ帰ってくると思います。そうしたら俺と朝比奈も大学に向かいます。学習資料棟の前で落ち合いましょう」
「分かった。ビーバーは恐らく上流……首無し山の方に向かったと思われる。そうか……それも結局、いそい様の影響って事か。傷ついたから、元居た場所に帰ろうとしている」
「傷ついたって事は……やっつけたんですか?」
「散弾を叩き込んでやったよ。猪でも仕留められる一撃だ。普通に考えればビーバーも死ぬはずだが……奴は飛び跳ねて川に逃げて行った」
「やっぱり……普通の方法じゃ殺せないのか」
「かも知れない。銀の弾丸もあまり効果はなかったようだ……よし、私はここで君たちを待つ。何か動きがあればこちらからも連絡するよ」
「分かりました、気をつけて下さい」
電話を切ると、新堂はどっと冷や汗が吹き出すのを感じた。津幡が生きていてよかった。しかしビーバーは倒せていない……いや、むしろそれでよかったのかもしれない。新堂はそう思う。
ビーバーは今、いそい様の恨みを受けて復讐を代行しているようなものだ。手足のような存在であるビーバーがいなくなれば、又思わぬ形でいそい様が力を振るう可能性がある。それを考えれば、ビーバーという形で現れてくれた方がまだ御しやすいというものだ。
新堂はレポートにかかれた地図を写真に撮り、束ねて下のダイニングに持っていく。そして自分のリュックに詰める。
朝比奈はもうじき帰ってくる。そうなったら今度は自分たちの戦いの始まりだ。鎮めの儀式の詳細は分からないが、とにかくやるしかない。現地で津幡にも助力を乞う事になるだろう。
新堂は今の自分が置かれた状況に笑いがこみあげてきた。まさかこんな……オカルトめいたことに自分が関わることになろうとは。
民俗学をやっているとどうしても不思議な伝承に目がいきがちだが、紐解いていけばそれは悲しい事実や危険な疫病を遠ざけるための知恵だったりする場合がある。代々に渡って伝えられるうちに、少しずつ意味が変容し、よそ者にとっては奇異な風習として映ることもある。だがそれは問題に現実的に対処してきた名残でしかない。
いそい様もかつてはこの地域で広く信じられていた伝承だ。しかし今となってはそれを知る人は少なく、塚を参る人もほぼいない状況だ。かつては塚を管理していた人もいたようだが、現在においては誰も見向きもしなくなっている。
いそい様も水難をさけるために生み出された伝承なのだろうか。実際に狼藉を働いた武家がいたのかどうかも少し怪しい。ただの水死体を供養したことが、いつしかいそい様という伝承にすげ変わったのかもしれない。
事実は分からない。いつか分かるのかもしれないが、今はそんな時間はない。とにかく鎮めの儀式を再現し、いそい様を鎮めなければならないのだ。
新堂は深く息をついた。果たして明日の朝日を拝めるのだろうか。そんな事を思いながら、朝比奈の帰りを待った。
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