9-3
奥の部屋の方から足音が聞こえた。新堂が顔を向けると、廊下の先に津幡の顔が見えた。肩に散弾銃をかけ、両手には弾丸らしきものを持っている。
「よう、新堂君。準備が出来たよ。弾丸が用意できた」
津幡が右手に握った弾丸を見せる。円筒形で、先端はプラスチック、根本は金属でできた弾丸だった。その円筒の中に散弾が詰まっている。
「お、朝比奈君もいるな。じゃあもう一度作戦を説明しておくか」
津幡は銃を壁に立てかけ、弾丸を机の上に置いた。そしてA3サイズのプリンター用紙を広げる。それは大学周辺の航空写真のようだった。地図アプリから拾ってきたもののようだった。新堂と朝比奈は腰掛けたままその地図を注視する。
「ビーバーは恐らくいそい川に潜んでいる」
言いながら、津幡はいそい川を指でなぞる。上流の首無し山が源流で、そこからいそい川は大学を南から北へ縦断して流れている。大学構内でいえば、延長は六〇〇メートルほどだ。
「僕は今からもう一度大学に戻る。大通りから敷地に入り、いそい川に沿って移動する。人影を見れば恐らく奴は反応するだろう。僕を襲おうと姿を見せた所でズドンだ」
右手を銃のような形にして、津幡がいそい川を指差す。
「用水路に移動している可能性もあるから、その場合は奴を見つけるまで探し回ることになる。銃をもって歩き回るから人目にはつきたくない。出来れば構内で片をつけたいところだが……」
「奴は水中だと動きが速い。やるのなら地上に上がった所を狙うべきです。移動速度が遅くなる」
新堂の提案に、津幡も頷く。新堂は初めて、津幡の事を頼もしく感じた。
「うん、そうだね。いそい川や用水路から少し距離を取って移動することにしよう。奴が直接飛び掛かってこれない距離だな。奴がいったん地上に上がったら、そこを狙い撃つ」
「でも……」
朝比奈が心配そうに津幡に聞く。
「こんな街の中で銃を使って大丈夫なんですか? 法律とか……」
「それは……グレーゾーン、いや違うな。真っ黒だ。駄目だよ、本当は。許可もなく……いや、そもそもこんな所でじゃ許可は下りないな。普通では撃てない。しかし今そんな事を言っている場合じゃないだろう。最悪逮捕されるが……やるしかない」
「逮捕……」
どこか軽い口調の津幡だったが、その覚悟に新堂は感心していた。いくら自分が原因とは言え、逮捕される危険まで冒してビーバーを退治しようとするとは。新堂は少しだけ津幡を見直した。
「うまいことビーバーをやっつけたら警察に通報する。片岡君も……これで無事遺体を回収することが出来る。本当に残念だ。片岡君……」
「ええ……ビーバーをやっつければ片岡の無念も少しは晴れるでしょう」
三人は沈痛な表情で広げられた航空写真を見下ろす。いそい川に、今も片岡は沈んだままなのだ。
「いそい川にビーバー……朝比奈じゃないけど、とんだ組み合わせになっちまったな」
「ん? なんだい、それは」
津幡が新堂の言葉に首をかしげる。
「いや、さっきちょっと話してたんですよ。このビーバー、いそい様に似てるんじゃないかって」
「いそい様? いそい様……ああ、昔のレポートか。たしか君たちが調べたんだったか」
「ええ。片岡は右腕がなかった。それがまるでいそい様の仕業だって……まあ、たまたまなんでしょうけど」
苦笑しながら言う新堂に、津幡は真面目な顔を見せた。考え込むように目を細める。
「右腕がなかった……そうか、そんな事を言ってたな。いそい様は確か、手足と首をもぐんだったか」
津幡の言葉に、新堂がぎょっとした顔を見せた。
「手足と首? 手足だけでしょ?」
「手足だけ……いや、違うんだ。そうか、君たちには言っていなかったな。あれは確か……君たちのレポートをもらった後の事だ。僕も気になって個人的に調べてみたんだがね。伝承にはいくつかパターンがあって、手足だけもぐものと、手足と首をもぐものがある。そして恐らく、後者の方が正しい」
「後者……首までもいでいくんですか? どうして?」
「理由は一緒だよ。いそい様は手足だけでなく首も切り落とされてばらばらに埋められてしまった。塚を作られたのも胴を埋めた場所だったらしい。それが上流の首無し山だ。大学の後ろにある山だね
「首無し山に埋まっているのは首……じゃないんですか?」
「そうだ。考えてもみたまえ。首が埋まっているのに首無し山……おかしいと思わないか? 首がないから首無し山なんだよ」
「首無し山……?!」
津幡の言葉に新堂は愕然とする。すっかり調べてたと思っていたいそい様の伝承にそんな真実があったとは。しかもそれを津幡に教えられるとは。普段から新堂たちは津幡の事を軽く見ていたが、その認識を改められるような事態だった。
だがそれはさておき、いそい様のことだ。いそい様が首も求めるのであれば……首を食いちぎられた片岡の最期とも符合する。
「片岡は右腕と首をもがれた……そういうことなのか?」
新堂は朝比奈と顔を見合わせる。何となく嫌な予感がしていた。
「いそい様……腕や首を切られた片岡君……待てよ? そうか、そういうことだったのか……」
津幡は意味ありげに呟きをこぼす。そして躊躇いながら口を開いた。
「妙に不安がらせてもいけないから、警察が発表するまで黙っているつもりだったが……」
「何です? 何かあったんですか?」
「水死体だよ。交差点のゴミと一緒に沈んでいた二人なんだが……彼らにも手足がなかった。右脚がない人と、左腕がない人だった」
「脚と腕がない……それは……?!」
津幡が確信めいた頷きを見せて言葉を続ける。
「いそい様の伝承だ。言われるまで全く気が付かなかったが……用水路にはいそい川の水がそのまま注いでいる。実質いそい川のようなものだ」
「怪異は感染する……」
朝比奈がさっきと同じ言葉を呟く。
「ビーバーの悪霊が、いそい川の伝承に感染した……だから犠牲者の手足や首を求めた……」
「怪異の感染……か? フィクションめいた話だが、今更驚くようなことではないのかもな」
津幡は眼鏡を直し、新堂を見た。
「ビーバーの恨みと、今も残るいそい川の呪い。それがたまたま交わり重なってしまった……ひょっとすると塚で何か起きているのかもしれない」
「塚……いそい様の首塚、いや、胴塚ですか?」
「ああ。しばらく雨が続いていたからね……実際に塚を見たのは一度だけだが、確か周囲は斜面になっていたはずだ。そこの土砂が崩れて塚が崩れていたりすれば……鎮められていたいそい様が再び暴れ出したのかもしれない」
「そんな?! じゃあビーバーをやっつけても……いそい様の呪いは残るって事ですか?」
動揺する新堂に、津幡は冷静な口調で答える。
「落ち着け、新堂君。今言ったのはすべて推測に過ぎない。まずはビーバーを倒すことだ。それでも危険な現象が収まらなかったら……それはその時に考えればいい」
「……はい、そうですね。まずはビーバーを、目に見える危険を排除しないと」
「その通りだ。というわけで、僕は行く。一時間たっても何の連絡もなければ……その時は警察に連絡してくれ」
「なんて言えばいいんですか? ビーバーの事なんて話しても信じてくれませんよ?」
「銃声がした。駐車場で人が倒れている。そう言えばいい。君たちは……そうだな。大学に残っていたが銃声がして逃げた。そう言えばいい」
「じゃあ津幡さんは……」
「生きていれば逮捕されるな。だが連絡がないという事は、その時僕は既に……」
津幡の言葉に沈黙が訪れる。そう、これは危険な戦いだ。いくら散弾銃があったとしても、あのビーバーを倒せるかどうかは分からないのだ。
だが津幡はいつものように、少し軽薄な笑みを見せた。
「安心しろよ。僕は死なない。クレー射撃には自信があるって言っただろ?」
「はい……気をつけて下さい、津幡さん」
「必ず帰ってきてくださいね」
新堂と朝比奈の言葉に津幡は頷く。そしてケースに入れた散弾銃を肩に提げ、散弾の詰まった実包をポケットに入れていく。
「行ってくるよ。君たちはここでゆっくりしていたまえ」
そう言い、津幡は部屋を出ていく。足音が遠くなり、ドアの開閉する音が響く。そして静かになった。
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