7-2

「もしビーバーの剥製が動き出したのだとして……その理由は一体何なんです?」

「理由?」

「そうです。剥製がある日突然蘇って人を襲う……それだけ聞けば、どの剥製だって同じことだ。何故津幡さんの買ったビーバーだけそんなことになったんだろう」

 半分馬鹿馬鹿しいと思いながらも、新堂は考える。ビーバーの恨みを買うようなことを、何かしたとでもいうのだろうか。

「……ひょっとして、あれか……?」

 津端が眼鏡を直しながら呟く。

「あれって、何ですか? 何か思い当たることが?」

「ビーバーをセットで買ったと言っただろう。だが、残りの雌ビーバーと子供は海に落ちてしまった」

「ええ、そう言ってましたね。それが理由?」

「元はと言えば……これは言いにくい事なんだが、実はビーバーの剥製の輸入は違法だったんだ。でも蛇の道は蛇……金の力でなんとか取り寄せることができた」

「何ですって……違法?」

 その言葉に新堂は眉を顰める。津幡もばつが悪そうに続けるが、朝比奈が戻り二人に声をかけた。

「駄目だったわ。繋がるけど誰も出ない……」

「そうか、わかった。やはり外に出るしかないか……」

 階段の下の方へ視線を向ける津幡に、新堂は強い口調で聞く。

「それで、違法にビーバーを手に入れようとして……それが何だって言うんですか?」

 朝比奈も前後の文脈が分からないながらも、ただならぬ雰囲気に息を呑む。津幡は観念したように話し始めた。

「僕は論文を書くためにビーバーの剥製が欲しかった。それも家族の剥製がね。それで依頼したんだよ。だが剥製を作ることは厳しく規制されていてね……うまく手に入れることはできなかった。だから……新しいものを作ってもらうことにしたのさ」

「それはつまり、生きてるビーバーを捕まえるって事ですか?」

「そうだ。子供のいるつがいのビーバーで剥製を作ってくれ……僕はそう依頼し、そして地元のハンターたちがそれを実行した。そして剥製は出来上がった」

「ビーバーが死んだのは、つまりは津幡さんのせいって事ですか」

「手を下したのは違うが、元をただせば僕という事だ。その恨みが……ビーバーの剥製にはこもっていたのかもしれない」

 朝比奈はさっきまでの新堂のように訳が分からないという顔で津幡を見ていた。しかし聞き入っている新堂の様子を見て、口を挟むことはなく津幡の言葉に耳を傾ける。

「そしてまず雄のビーバーが輸入された。他の荷物にうまく紛れ込ませてね。その辺は僕も詳しく知らないが、とにかく密輸のプロがそれをやった。そして届いたのが、二日前までここにあったビーバーというわけだ」

「それで残りのビーバーは?」

「別便で、少し遅れて日本にやってきた。そこまでは順調だったんだけどね、昼にも言ったけど、輸送トラックは海に落ちてしまった。当然ビーバーの剥製も海の藻屑さ。雄ビーバーからすれば……それは二度目の伴侶と子供の死というわけだ」

「それを恨んで剥製が蘇った……?」

 新堂の問いに、津幡は頷く。

「考えられるとすればそれしかない。雄ビーバーは奥さんと子供を待っていた。しかし再びの出会いは二度と叶わない。恨みを持つに十分な理由だとは思わないか?」

「思わないかって……全部……全部あんたのせいじゃないか、津幡さん!」

 激しい新堂の口調に津幡は思わず身を竦める。怒りのこもった新堂の視線……それから逃げるように津幡は顔を伏せる。

「確かに、その通りだ。僕がビーバーを注文したばかりに、ビーバーの家族に悲劇が訪れ、その憎しみが、悲嘆が……彼らを悪魔にしてしまった」

「片岡は死んだ……水死していた二人だって……! それが全部あんたのせいだっていうのか!」

 新堂は立ち上がり津幡の胸ぐらを掴む。今にも殴り掛からんばかりの剣幕に、津幡は怯えたように腰を抜かす。へたり込んだ津幡を新堂は睨み続けるが、その胸ぐらを掴む手を朝比奈が制する。

「今言ったことは全部推測でしょ! 何も分からない! 片岡君が死んじゃったのは事実かも知れないけど……ここで二人が争ったって何にもならないじゃない! 今は……一刻も早く警察に連絡する方法を探すべきよ!」

 朝比奈の言葉に新堂は我に返り、胸ぐらを掴んでいた手を放す。津幡は壁に背をつけ、恐る恐る立ち上がった。

「朝比奈君の言うように、今は仲違いしている場合じゃない。協力してこの状況を解決しなければ……」

 全部お前のせいだろ。その言葉を新堂は呑み込み、津幡に目を合わせないように頷いた。

「警察に連絡するには外に出るしかない。しかし、外に出ればビーバーに気付かれ襲われる危険性がある……新堂君。君が最後に見たビーバーはどっちの方へ行ったんだ?」

「どっちって……ドアの所から向こうへ帰っていきましたよ。大まかに言えば川の方です。ただ、まっすぐ川に帰ったのか、それとも違う方向へ行ったのかは分かりません」

「窓から見れば分かるかもしれないわ」

「いや、やめておいた方がいい」

 ゼミ室に戻ろうとする朝比奈を津幡が止める。

「下手に姿を見られれば刺激することになりかねない。今は窓に近づかないようにしてくれ」

「はい、分かりました……」

「この学習資料棟から外に出る方法は三つある。一つ目は正面の玄関。二つは目は裏の勝手口。三つめは非常階段だ」

「ええ、そうですね」

 新堂も学習資料棟の構造を思い出しながら頷いた。各階には非常口につながる扉があり、そこから資料棟の脇に降りられる。ごみが捨てられているあたりに階段が繋がっているのだ。そして一階には南側に玄関があり、それとは反対側の北側に勝手口がある。奥に物置があり、その奥から出入りできるのだ。しかし普段は施錠してあり出入りに使われることはない。新堂もその勝手口の存在は知っていたが、実際に使ったことは一度もなかった。

「ビーバーの事を考えなければ、正面玄関から出ていくのが一番早い。木立を抜けたあたりなら電波も通じるようになるだろう」

「でも川にこっちから近づくことになる。奴と鉢合わせたら危険です」

「確かにね。となると非常階段か勝手口か……」

「ねえ、非常口の途中なら森の影響もなくなって電波が通じるんじゃない? そうすれば下に降りなくても済む!」

 いい考えにも思えたが、新堂は険しい表情で首を横に振る。

「駄目だ。昔片岡と試したことがあるんだが、雨が降って電波状況が悪い時は非常口に出ても駄目だった。もう一度試してもいいが……外に出ればビーバーに見つかる可能性がある。奴が階段を上ってくるとは思えないが……やはり奴を刺激するようなことはやめたほうがいい」

「じゃあ勝手口から出るしかないって事?」

「消去法だとそうなるね」

 津端はポケットからスマホを出して電波を確認するが、やはり圏外のままだった。

「このままここで雨を止むのを待つのも一つの方法だ。ガラスの戸を開けられなくて引き返したのだとすれば、奴にはそこまでの力はないという事だ。ここに立てこもっていればいい。明日くらいには止む予報だったはずだから、それまで待てばいい。幸いにも水とトイレはあるからな。食い物はないが、一日くらいどうってことはないだろう」

「……そうよ。別に無理して出て行かなくても、ここに避難していればそれでいいわ。そうしま――」

「いや、駄目だ」

 朝比奈の言葉を強い口調で新堂が遮る。

「もし知らない人が近づいてきたら、またビーバーの餌食になる。それは防がなければいけない。奴が暴れる理由は分からない……家族を奪われた怒りなのか何なのかは分からないが、とにかくこれ以上犠牲者を出すわけにはいかないだろ!」

「それは……!」

 その言葉に朝比奈は力を失う。津幡も自分が原因だと責められているようで、返す言葉がなかった。

「勝手口から行こう。静かに外に出て、電波の繋がる所まで逃げる……それしかない」

「北側の勝手口からなら林の中……ビーバーからも目につきにくいか。林をそのまま北に抜ける必要があるが……ざっと五〇〇メートルか。見つからなければいいが」

 津端が思案顔になる横で、朝比奈は不安を募らせていった。その様子を見て、新堂が言う。

「朝比奈、お前はここに残れ」

「えっ?」

「俺と津幡さんが行く。もし駄目だったら……その時はここで助けを待つんだ。晴れれば電話もつながる。そうなったら警察を呼ぶんだ」

「そんな……私だけなんて! 二人は……!」

「俺達は行くよ。別に格好つけてるわけじゃない。これは保険だ。俺達が駄目でも、最悪でも朝比奈が事情を警察に伝える事が出来る」

「でも、私……こんな所で一人なんて! もしビーバーが入ってきたらどうすればいいの? この建物の中だって絶対安全だなんて限らないわ!」

「それはそうだけど……可能性の問題だ。分かってくれ、朝比奈」

 朝比奈は俯いて唇を噛んでいた。強い葛藤に襲われていたが、やがて顔を上げて答えた。

「……分かったわ。私はここに残って助けを待つ」

「ああ、頼む」

「でも……でも、絶対に死なないでよ、二人とも……」

「分かっている。そのつもりはない」

「任せておきたまえ。これでも学生時代はラグビーやってて脚は速かったんだ!」

 津幡が間の抜けた笑みを見せる。いつもなら苦笑を返すところだったが、今はそれを見てほっとすることが出来た。舌打ちを返すであろう片岡の姿はない。それは永遠に失われてしまったのだ。

「じゃあ行くとしよう。体は大丈夫か、新堂君」

「ええ、ちょっと寒いですけど……大丈夫です。荷物だけ持って……行きましょう」

「分かった。じゃあ朝比奈君、一人で心細いかも知れないがここで待っているんだぞ。窓には近づかないように」

「はい、分かりました。二人とも……気をつけて下さい」

「ああ、行ってくるよ、朝比奈」

 新堂と津幡は顔を見合わせ、階段を下りて行った。

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