6-1 消えた男

 それから一時間ほどが経った。新堂はゼミ室の席でスマホで暇つぶしをしながら片岡の帰りを待っていた。腹は減ってきたが帰って晩御飯という気分ではない。何か甘いものでもちょっとつまみたい……疲れた頭に糖分を補給したい気分だった。

「ねえ、片岡君遅くない?」

「え?」

 朝比奈の声に新堂はスマホから顔を上げる。

「コンビニ行って結構経つでしょ? もう一時間くらい……ちょっと遅くない?」

 窓の外に視線を向けながら新堂は返事をする。

「……そうだな。確かに一時間くらい経ってる……あいつの事だから車で行ったんだろうけど、歩いたって二〇分で行って帰ってこられるよな。長くても……三〇分ってところか」

 大学の北側の交差点、斜向かいの角地にコンビニがある。例の水が溢れていた交差点だ。学習資料棟からだと結構距離があるが、それでも一キロはない。片道一〇分程度だ。

「漫画でも読んでる……ってことはないか。あいつ立ち読み嫌いだからな」

「そうなんだ。じゃあ誰かと会って話し込んでるとか……?」

「あの片岡が?」

 新堂から見て、片岡は少々どころではない偏屈な男だった。世間話はしない、他人の噂も嫌い、趣味は読書で人間嫌い。会話が成り立たない男。それが片岡だ。今でこそ新堂や朝比奈とはそれなりに会話をするようにはなったが、それも同じゼミにいるからだ。友達らしい友達はおらず、学食でもいつも一人。入学してから一貫している。中学や高校の事を聞いた事はないが、きっとずっとそういう風に過ごしてきたのだろう。

 だから、コンビニで誰かと会ったからと言ってそこで駄弁ったりはしない。話しかけられても、呼び止められても、知るか、興味ないと立ち去っていくだろう。仮に新堂が話しかけたとしても、特別な用でもなければ片岡はその場を去るだろう。それは容易に予想できる。

 そういう性格の事は朝比奈も理解しているから、自分で言ってそれはないなという顔をした。

「えーじゃあなんだろ。買い物に迷ってる……? 何かあったのかな?」

「交差点の交通規制に巻き込まれたとか?」

「それはあるかも。でもそれにしたって一時間か……」

 朝比奈は不安げに壁にかかっている時計を見上げた。朝比奈の言葉に新堂も何となく不安になってきた。ビーバーやらなんやらで変な事ばかりが起きている。片岡の実にも何か起きたのでは……何の根拠もないことだったが、そんな事を心配してしまう。

「電話してみるか」

「運転中だったら出ないかも……」

「あいつの車はスマホと接続してハンズフリーで話せるから、多分大丈夫だよ。ま、とにかくかけて……げっ、また圏外になってる」

「え? あ、本当だ」

 新堂はスマホの位置を上げたり下げたりしてみたが、通信状況は圏外のまま変化がなかった。

「あ、雨が降ってるな……またか」

 新堂が外を見ると雨がしとしとと降っていた。遠くの山にも霧がかかりけぶって見える。

 学習資料棟は大学の東側にあるが、山林に隣接しているせいか電波の状況が悪い。晴天時でも通信強度が弱くなっていることがよくあり、更に雨が降ると悪化して最悪の場合は圏外になる。今起きているのはその現象だった。

 よほどの山奥であれば圏外となるのも理解できるが、本科棟から数百メートルの距離しか離れていないのにここまで通信状況が悪いというのは、新堂には理解できない事だった。周囲に林がある事が多少影響しているらしいが、まさか全部伐り倒すわけにはいかない。普段から不満に思っていたが、しかし個人でどうこう出来る問題ではない。

「この部屋の電話じゃ外線繋がらないしね……どうしよっか」

 朝比奈が机の上の電話をみる。大学内部用の内線電話で、総務課にしか繋がらないようになっている。新堂たちは一度も使ったことのない、無用の長物だった。

「何かあったのか……」

 新堂はそう言って、何かとは一体何だろうかと自問した。たかが数百メートルの距離のコンビニに行くのに何の危険があるというのだろうか。漫画の立ち読みはしない片岡だが、買って車の中で夢中になって読んでいるとかはありうる。もしくは車がエンストでも起こして、帰るに帰れない状況になっているのかも知れない。

 いずれにせよ危険な何かに巻き込まれたという事はないだろう。それこそ、神経が過敏になっているから考えてしまう事だ。そう、大した問題じゃない。大した問題では……。新堂は自分に言い聞かせるように心の中で呟いた。

「……ちょっと外を見てくるよ」

「え? 探しに行くの?」

「ああ。駐車場で買った漫画でも読んでるのかも。あいつ時々、集中すると周りが見えなくなるからな。俺達のために買いだしに行ったって事を忘れちゃっているのかも」

「そんな事……まあ、ないとは言い切れないか。そうだよね。別に危ない目にあっているわけじゃないよね……」

 朝比奈は視線を泳がせながら言う。自分と同じように何か起きたのではと心配していた……新堂にはそれが分かった。異常な出来事の連続に動揺しているのは自分だけではないようだった。

「傘……玄関に置きっぱなしのがあったよな。降ってるけど、ちょっと行ってくる」

「一緒になって新堂君まで帰ってこないとかやめてよ。ミイラ取りがミイラみたいな」

「はは、大丈夫だよ。そんなホラー小説みたいなこと、起きるかよ」

 新堂はスマホをポケットに入れてゼミ室を出ていく。途中で物置に目をやると、当然ビーバーはそこにはなかった。ビーバー……七〇センチくらいで小さくはないし重量もそれなりだろう。そんなものを誰が持っていったのか。やはり謎だった。しかし津幡の持ち物だし、無くなろうが捨てられようがどうでもいいことではある。ただ部外者がロックを突破して内部に侵入したとなるとそれは問題ではあるが……。

 考えても仕方がない。新堂はビーバーの事は忘れ、さっさと片岡を探しに行くことにした。学習資料棟に近い第二駐車場にいるのか、それともコンビニの駐車場にいるのか。そのどちらかだろう。すぐに見つかるはずだ。

 一階まで降りて玄関に歩いていく。ドアの脇に錆びだらけの傘立てがあり、そこに何本か傘が立ててある。錆びている物や埃だらけのものの中からまともなものを探し出し、試しに開いてみる。ちゃんと使えそうだった。それを持って外に出る。

 雨はそれほど強くない降りだが、傘無しだと結構濡れてしまうだろう。弱い雨なら気にせず自転車で行くことも考えたが、これは大人しく歩いていくしかない。

 傘をさし、新堂は第二駐車場へと向かった。結構薄暗くなってきたが、片岡の車は黄色で暗くても目立つ。見つけやすいはずだった。

「いるかな……あれ?」

 資料棟から荒れ放題の並木道を抜けて第二駐車場の方へ視線を向けると、一台の車がヘッドライトを点灯しているのが見えた。

「片岡か? 誰だろう、こんな時間に」

 土曜日の夕方。練習に来ていた運動部の連中も帰っている時間だ。それに大体本科棟の側にある駐車場を使っていることが多いから、第二駐車場を出入りすることはないだろう。だとすると、やはり片岡のような気がする。

「ライトつけっぱなしでマンガ読んでるのか? エコじゃない奴だな」

 ライトをつけているという事はエンジンをかけっぱなしという事だろう。その状態で一時間近く駐車している……。新堂は少し妙に思いながらも、片岡らしき車に近づいていく。車の色はヘッドライトの逆光で見えなかった。

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