4-1 いそい川

 午後三時。津幡はまた総務課から連絡を受けて例の事故現場へと向かっていった。

 どこか浮ついた気持ちのまま新堂はレポートを片付けた。途中だった昼食のサンドイッチを腹に押し込み、どこか消化不良な気分で机に向かい腕を組んでいた。

「おい、まだ気になっているのか?」

「え?」

 片岡の声でハッとし新堂は顔を起こす。向けられた視線に、新堂はバツの悪い思いをする。まだいそい川の水位が気になっていることを見透かされていたらしい。

「そんなに気になるんならよ、行ってくればいいだろ」

「いや、俺は別に……」

 言葉を濁す新堂を、片岡は人差し指で指しながら言う。

「しかめっ面でうんうん唸られてたら気が散ってしょうがないんだよ。人の落ちてた所を見ていくってのなら感心しないが……いそい川の方だろ。そんなにゴミが気になるんなら確認して来いよ。お前の言うとおりに何か変なことになっているのかどうか、それで分かる。まさか、こっちにまで人が落ちてるって事はなかろう」

「ちょっとやめてよ片岡君、そんな不吉な」

 朝比奈が窘めるように言うが、片岡は気にせず言葉を続ける。

「何にせよ見てくれば分かる。百聞は一見に如かず……大した距離でもない」

「ああ、そうだな……」

 新堂はゆっくりと立ち上がり、照れたように頭をかく。

「お前がどうしてもって言うんなら見に行ってやるよ」

「ぬかせ」

 新堂と片岡は互いに小さく笑った。朝比奈はそんな二人の様子を、困った子供を見るような目で見ていた。

「じゃ、散歩がてら行ってくるよ」

 そう言い、新堂はゼミ室を出ていった。

「やれやれ、世話の焼ける奴だ」

 新堂の背を見送り、片岡は読みかけだった本に視線を戻した。


 一階に降りて玄関から出た新堂は、いそい川と用水路が接続する所まで自転車で行くか歩くかで少し迷った。距離にすればざっと五〇〇メートル。微妙に遠い距離だ。しかし散歩がてらという気持ちもあり、結局歩いていくことにした。空は灰色で降りそうで降らない感じだったが、往復してもせいぜい一〇分ほどの距離だ。傘がなくても大丈夫だろうと考え、新堂は歩き出す。

 だが、視界の端に違和感を感じて足を止める。横を向くと、そこには自分の自転車が置いてある。だがその奥の様子がいつもと違っていた。ゴミが散乱しているはずだったが……昨日まであったはずのゴミがなくなっている……そんな感覚に捉われた。

「ん……総務課が捨てたのか……?」

 しかしそんな連絡は聞いていない。ゴミ捨てをやるのなら事前に連絡があるはずだ。それに、ゴミの全てがなくなっているわけではない。中途半端に……大体半分くらいはそのままになっているようだった。

 何かがなくなっている。確実に言えるのは自転車だった。水色のさびた自転車。タイヤもパンクしてチェーンも錆びついた、完全に壊れた自転車がここにあったはずだった。毎日自分の自転車を止める時に目に入るから、間違えるはずがない。それにテレビ。薄型の液晶テレビが大小三台あったはずだが、それも一台だけになっている。

 寮生か誰かが持っていったのだろうか? しかし、自転車は修理どころかほとんどの部品に交換が必要な状態のはずだ。新堂は自転車に関しては素人だが、あんな錆びだらけの状態ではどうにもならないことくらいは分かる。そんな状態のものを持っていくより、いっそ新品を買った方が安いはずだ。テレビだって、屋内にあったのなら雨ざらしで数年が経過している。どう考えても壊れているに違いない。

 他にもないものがある。縛ってあった古本の束。木製の棚。柄の折れた農具。強度試験用のコンクリートのテストピース。段ボールやプラスチックのケース等もなくなっているような気がする。それも根こそぎというわけではなく、まんべんなく半分ほどがなくなっている感じだ。強い風で飛ばされた……なんて事が起きたはずもない。周りに散乱している様子はない、

「自転車……段ボール……それって?」

 資料棟の脇からなくなっているゴミ。その内訳に思い当たるものがあった。それは、津幡が言っていた、用水路に詰まっていたゴミだった。自転車、プラスチック、段ボール。どれも津幡が言っていたゴミと一致する。液晶テレビの事は言っていなかったが、ひょっとするとそれもゴミとして詰まっているのかもしれない。

「だとすると、ゴミはここから流れていった……誰かが捨てた?」

 いそい川に誰かがゴミを投げ入れた。それは接続する用水路にまで流れ込み、下流の交差点付近で詰まって水を溢れさせた。一応筋は通っている……ように思ったが、あり得ない。

 いそい川はほとんど流量のない川だ。そこにゴミを投げ入れた所で流れるはずがない。何らかの理由で上流から増水しているのならいくらかは流れるだろうが、それでもいそい川の深さは一メートルもないだろう。幅も上端では八メートルほどだが、逆三角形で水深が下がるにつれて狭くなる河道の形をしている。そこを自転車が流れていくことは考えにくい。どう考えても底に引っかかって止まるはずだ。テレビもそうだ。水の浮力で軽くなるとは言え、プラスチックとガラスと金属の塊だ。まともに流れるはずがない。流れるのは小さなごみだけだろう。

 新堂は周囲に機械を使った痕跡がないか目を凝らした。小さな重機のようなものが入れば履帯の擦れた跡がアスファルトに残るはずだ。新堂はしゃがみ込んでアスファルトを観察してみるが、しかし、それらしい跡は見当たらない。何カ所か位置を変え、運んだり川に投げ入れたりすることを想定して痕跡を探すが、やはりそれらしい跡は残っていない。だとすると、ごみは全部人力で運んだのか?

 資料棟からいそい川までは五〇メートルほど。なくなったゴミの量を考えると、一〇往復もすれば十分運べる量だろう。

 だが、改めて考えて、新堂は困惑した。一体誰がそんな面倒なことを? 片岡が言ったように、周囲の農家を困らせることが目的か、あるいは愉快犯なのか。それ以外の理由は思いつかなかった。

 それと、向こうの交差点の角で亡くなっていた人たちとの関連性は何なのか。全く無関係なのか、それともどちらも同じ犯人の仕業なのか。だとするとこれは殺人事件……とても奇妙な事件という事になる。

 新堂は考えをまとめる事が出来なかった。しかし、今考えたのはすべて推測だ。ここは片岡の言うように、いそい川と用水路の接続部を確認することが重要だ。実際にどうなっているのかを見れば、また違った考えが浮かんでくるかもしれない。そう考えなおし、新堂はいそい川の下流へ歩いていった。川沿いを北上すれば五〇〇メートルほどで用水路に接続する。いそい川の状況を確認しつつ、接続箇所へ向かう。

 いそい川は橋桁まであと数十センチというところまで水位が上がっていた。へりに立って手を伸ばせばすぐに届きそうな位置にまで来ている。これは今までに見たことの無い状況だった。少なくとも新堂は記憶にない。しかしそうは言っても、いそい川の水位なんて普段気に留めるほどの事ではない。現についさっきまで新堂は水位が上がっているという事実に、違和感は感じていたが、はっきりと認識していたわけではなかった。これに関しては、過去にも水位は上がっていたが、気にも留めなかったという可能性はある。

 あとは、接続部がどうなっているかだ。ゴミが詰まっているのなら、水位の上昇はそれが理由だろう。もしゴミがなければ、上流の方で増水しているという事になる。前者の場合はゴミの由来がどこなのかが問題だが……それはやはり、資料棟のゴミのような気がする。

 逸る気持ちを押さえながら新堂は歩いていく。資料棟から離れていくと北側には林が広がっており、ほとんど手入れのされないままのブナやイチョウの木が生えている。苔や木の根に足を取られないように気を付けながら、新堂は歩みを進めていく。

 いそい川の状態に大きな変化はない。水はほとんど流れている様子はなく、満々と水を湛えたままだ。とても自転車などが流れていくような流れには見えない。

 そして用水路との接続地点に辿り着いた。特に何があるというわけでもなく、いそい川の開口部がコンクリート製の用水路に繋がっているだけだ。そのはずだったが、新堂が思っていた通り接続部にはゴミが詰まっていた。ほとんどのゴミは水面下にあってはっきりとは確認できないが、木の枝に交じりビニール傘や段ボールの切れ端、それとプラスチック製のゴミなどが見えた。

「やっぱり詰まってた……でもどうして?」

 いそい川は用水路の壁にどん付けされているが、水の流れる範囲は中心の幅二メートルだけのようだった。水深はここも一メートル程度だろう。その範囲の水をせき止める量のゴミが詰まっている。四トントラックの荷台一杯のゴミがあれば可能だろうか。しかしそれを投げ入れた痕跡は、やはりなかった。水路の周辺はアスファルトではなく地面であり、ここまでは車が通れるような状態ではない。軽トラックでも進入は不可能だろう。四トントラックならなおさらだ。

 なんとか林の間を抜けてここまで来たとしても、今度はゴミを入れる手段がない。クレーンのような重機が動いた痕跡はなかった。あとは人力……水の中に入って、何往復もすれば可能だろう。

 しかし、一体誰が何のために? 全く意味が分からなかった。誰がやったのか。どうやったのか? 考えれば考えるほど訳が分からない。よほどの執念が無ければ到底達成できないことのように思えた。

 全ての問題をクリアして、ここの水路接続部を塞いだとしよう。それが出来たとして、この下流部、交差点近くに沈んでいた二人の遺体との関連はなんなんだろうか。誰かが二人を殺し、ごみと一緒に沈めた。隠蔽する意図なら杜撰すぎる。しかしそれ以外の理由も思い浮かばない。

 オッカムの剃刀という言葉がある。ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでない、という考え方。ごちゃごちゃと理屈を考えていると本質を見失いかねないというリスクを指摘する言葉だ。俺は今、まさにそういう状況に陥っているのかもしれない。新堂はそう思った。


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