3-2

「……用水路に落ちて……溺死って事か。え?! ひょっとしてニュースになってるの?」

「ううん。なおちゃんからメッセージが来たの。走り込みしてたら警察が通行止めしてて……それで死体を引き上げてるんだって。マジ……?」

 なおちゃんとは同じ学年の女子で朝比奈の友人だ。新堂と片岡も顔と名前程度は知っている間柄だった。

「マジって……マジなんだろ? 警察が来てるんなら。確かに……そろそろ田んぼの時期で用水路も水位が上がる頃か。農作業に来た人が落ちちゃったのかな? まだ水は冷たいしな」

「うん……朝早くに交差点に水が溢れてたらしいの。なんか用水路にゴミがたくさん詰まってたらしくて……それを市役所の人がどけようとしてて、それで中に人がいるのが見つかったって……」

「ゴミが詰まって……? 今まであまり聞いたことないけどな? 流木とかか」

「山林も荒れて、禿山になって倒木が流れてくることも多いらしいからな……そういう影響なのかな」

「しかし二人もか……え、まさか……そのうちの一人は津幡さん……とかじゃねえよな?」

 片岡の言葉に、新堂がきつい口調で言う。

「おい、縁起でもないこと言うなよ! 流石に失礼だろ」

「いやでも、車があって姿がないなんて……それに大学に面した用水路だろ? うちの関係者でもおかしくないだろ。ビーバーがどうのとか言って……変にやる気出して用水路で何か調べようとしてて落ちたとか……」

 その言葉に、新堂も考え込みながら答える。

「……ありうるな。津幡さんなら」

「ちょっと! 新堂君までやめてよ!」

「いやでも……マジでどういう事なんだ? なおちゃんからは他に情報は無いのか?」

「警察もブルーシートで現場を囲っちゃってよく見えないんだって。疲れたから帰るってさ」

「ちょっと……見に行くか」

「やめなさいよ、野次馬根性は!」

「いや、でも一応確認しとかないと……もし津幡さんだったら」

「俺がどうかしたか?」

 突然顔を覗かせた津幡に、新堂たちは悲鳴のような声を上げた。

「えぇっ……津幡さん……用水路に落ちたりとかは……?」

「ああ、用水路ね。いやー、今日はちょっと調べものしようと思って早く来たんだけどさ。君らも聞いたの? 用水路の話。事件か事故か分かんないけど……」

「ええ。人が見つかったって……」

 津幡は眼鏡を直し、少し迷ったような顔を見せながら口を開いた。

「……ああ。朝からゴミが詰まってて交差点にまで水が溢れててね。大学の敷地から重機を入れてゴミをさらいたいって、たまたま居合わせた俺が対応することになっちゃってさ。総務課とかに連絡して、今まで代わりにその現場にいたんだよ。それでゴミをどかしてったら何か人の手足のようなものが見えて……本当に人間だったってわけさ。いやあ……ぞっとしたね。亡くなった人には悪いけど」

「近所の人ですか? 農家の人とか……」

「いや、その辺は警察が確認してるみたいだけど分かんない。ちょっとそこまでは教えてもらえなかった。ただ若い人に見えたな……せいぜい三十代くらい。まあ水死体の見た目で判断なんてちょっとあてにならないかも知れないけど」

「うわ……気持ちわる……」

 新堂は食べかけだったサンドイッチをげんなりとした表情で袋に戻す。今の話を聞いて、なんだかもう食事をする気分ではなくなってしまった。

「学生……って可能性もあるのか。やだな……知ってる人だったらどうしよう」

 朝比奈はスマホを手に抱えたまま不安そうに視線を落とす。

「ひょっとして大学休講とか……?」

 新堂が言うと、津幡が頭をかきながら答える。

「いや、どうかな。うちで起きた事故って訳じゃないし……まあ学生が亡くなってたらちょっと騒動になるかもだけど……通常営業じゃないか」

「しばらくは新聞記者とかテレビが来るかもな。ああやだやだ」

 普段からマスコミを毛嫌いしている片岡は、心底嫌そうに言った。

「死体が出たって事は、現場になった所もそのままか。ゴミが詰まったままならまた水が溢れるのかな。それはそれで困った話だな」

「ああ、ゴミは大体片付いたよ。普通に水が流れるようになったからその心配はないだろう」

「そうなんですか。でもゴミって……流木じゃなくてですか?」

「流木も混ざってたが半分くらいはゴミだったね。プラスチックのケースとか、ビニール傘、靴とか段ボールとか古雑誌。木の板とか角材とかも。そういや自転車も混ざってたな。それはまだ水に浸かったままだ」

「自転車……? 自転車が引っかかってたんですか」

 新堂が聞き返すと、津幡は頷いて答える。

「ああ。普通の……ママチャリっていうのか? そういう奴だよ。まるで誰かが、古いガレージのゴミをそっくりひっくり返したみたいだった。色々混ざってたよ」

「ガレージのゴミ……まさか、本当に誰かがそんな事をしたのかな?」

「不法投棄ってこと?」

 片岡の言葉に、朝比奈が眉を顰めた。片岡は不敵な笑みを浮かべて続ける。

「ああ、そうさ。軽トラかなんかで運んで適当な所で用水路にドボン! あとは知らぬ存ぜぬさ」

「わざわざ遠くから運んできて……そんなことするかなぁ? 普通捨てるんなら、人目につかない河川敷とか山奥の草むらの中とかだろ。用水路に投げ入れたんじゃ丸わかりだ」

 新堂の言葉に、片岡は考えるように視線を巡らせる。

「……案外そっちが目的かもな」

「そっちって?」

「用水路にゴミを入れれば当然どこかで詰まる。田んぼの水だって引けないし、今日起きたみたいにどっかで水が溢れることになる。その辺の農家に恨みを持ってる奴か、愉快犯とかじゃないか」

「なるほど。それなら……ありそうな事かもな。変な奴ってどこにでもいるし。しかし自転車ね……自転車が流れるほどの流れかな? ほとんどが鉄でできているんだぜ?」

「融雪で川の流量は増えているから、用水路も水位が上がっている。一年の間で言えば、今は結構流速の速い時期じゃないか」

「津幡さん、用水路の水深と流れはどんな感じでしたか?」

 突然の新堂の質問に、津幡は目を見開く。

「どんなって……水深は腰のあたり。速さは普通くらい、そうだな……秒間せいぜい一メートルって所じゃないか」

 津端は流れを再現するように手を動かしながら答えた。

「そんなに速いわけじゃないよな。その流れで自転車が流れるかな?」

 腑に落ちない様子で新堂が言う。腕組みをし、視線を上げて考え込む。その様子に片岡が口を出す。

「流れるかなって、現に用水路に落ちて詰まってたじゃないか。それとも何か? 誰かが直接、交差点の所に来て自転車を放り投げていったとでも?」

「そうは思わないけど……何か妙な気がする」

「おいおい、新堂、俺達は少年探偵倶楽部じゃないぜ。調べるのは警察の仕事だ。後はプロに任せればいい」

「そりゃそうだが……何かな。何か変なんだよな……」

 そう言い、新堂は立ち上がって片岡の方へ近づく。そして片岡の頭越しに窓の外を見る。西側の本科棟が見え、中ほどにいそい川が見える。何の変哲もない風景……そのはずだが、新堂はずっと微かな違和感を抱いていた。そしてそれが何なのか分かった。

「……いそい川も水位が上がっている。そうか、いつもと違うと思ったら、川の水位が上がってたんだ!」

「そりゃ雨が降ったんだ。水位くらい上がるだろ」

「忘れたのか片岡? いそい川は普段から水が少ない。梅雨の時期でさえ不思議と水位は低いままだ。上流がどうなっているのか分からないが……いそい川の水位が上がる事なんてなかった」

 新堂の言葉に、片岡も首を巡らせて窓の外を見る。そして頭に手を当てて、思い出しながら言った。

「そうだな……確かに……去年の話か。梅雨で長雨だったのにいそい川はほとんど底が見えていた。お前とそんな事を喋った気がする」

 朝比奈は首をかしげながら新堂たちに言う。

「でも今日はたまたま水位が上がってるだけじゃないの? あんな細い川なんだし、ちょっとの変動ですぐ変わるでしょ?」

「ひょっとしていそい川でもゴミが詰まってるんじゃないのか?」

「ゴミが……まあ、用水路とは繋がっているしな。詰まっててもおかしくないんじゃないのか?」

「いや、それはおかしい。いそい川からの水は交差点に行く途中に接続している。用水路にゴミが投げ込まれたとしても、大学の構内を流れるいそい川でゴミが詰まる原因にはならない」

「接続する所でゴミが詰まってるんじゃないのか?」

「水が流れ出てくるところに、その流れに逆らうようにゴミが詰まるなんてありえないだろ」

「いや待て、新堂……」

 片岡は言葉を続けようとする新堂を手で制し言った。

「ゴミの事なんてどうでもいいだろ? 何をそんなにまじめに考えてるんだ? お前は……人が亡くなったって聞いてちょっと過敏になってるんじゃないか? 落ち着けよ」

「俺はただ……」

 言いかけて、新堂は自分に向けられる視線に気づいた。津幡も朝比奈もどこか困惑した様子だった。新堂は迷うように溜息をつき、そして言った。

「……分かったよ。確かに、ちょっと考えすぎだったな。ゴミが詰まってようとなんだろうと、別に大した話じゃない。片岡、お前の言ううとおりだ」

「ま、普通じゃない事が起きてるしな。気が動転してたんだろ。そう言う事にしておくぜ」

「ああ……」

 答えながら、新堂はもう一度窓の外を見た。遠くからでも水位が上がっているのが分かる。いつもはほとんど水がないが、今は少し茶色く濁った水が橋桁の近くまで増水している。

 結局自分が感じていた違和感が何なのか分からないまま、新堂は自分の席に戻っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る