第30話
「恭介、嘘だよね?」
「あたしたち、誘われただけだもん」
「おれだって、マジのやつだとは思ってないし」
「ただのエンタメじゃん、別に、そんな」
口々に飛び出す言い訳を、近衛は一瞥で黙らせた。
「恭介」
「……」
「私は監督不行き届き、という言葉を使いたくはなった。子どもは監督するものでも、管理するものでもないからだ……だが、それは甘かった」
陣が近衛をこの場に呼びつけていたようだが、それがどれほど恭介にとって耐えがたい状況であるかは、彼の顔が雄弁に物語っていた。恭介の顔は、全身の血を抜かれたかのように真っ青だ。
「人を貶め、侮辱し、あまつさえ金を稼ごうとするその醜悪さ。……自分の孫可愛さに、私は目を背けていたのかもしれん。幼いころより、お前の心の内に顔を出していた悪意の芽から。それがこんな形で花咲くまで、私は何一つ、有効な手段を取らなかった」
苦しそうな、だが凄みのある声だった。
「お前がこんな風に育ったのには、私にも原因の一端はある。本家の長男というプレッシャーを考えて、やんちゃという一言で片付けようとした。……だが、それは間違っていた。いいか、恭介」
それは恭介に届いているかはわからない。でも近衛は、確かに恭介へ手を伸ばしているように見えた。
「人に対して放つ言葉は、自分の心を映し出す。恭介……お前のしたことの重大さ、これから何をすべきか、自分で答えを出しなさい。それまで、本家の敷居をまたぐことを許さない」
それでも、近衛は容赦なく言い放ち、その他の取り巻きにも目を移した。
「正式な処分については、詳細が明らかになり次第追って伝える。それまでは当面、謹慎処分とする。きみたちもだよ。……こんな形できみたちと相対するときが来るとは、二年前は思いもしなかった。恭介とともに、切磋琢磨してくれる学友だと信じていただけに、非常に残念だ」
黒髪マッシュをはじめ運営委員会の人間は、しばらく慌てたふうに、おろおろと顔を見回していたが、ようやく状況を理解したのか、やがて放心状態になったかのように立ち尽くした。それを見て、つばめは紙で手で指を切った時みたいな感覚を覚えた。傷口は小さくて目立たないが、それなりにズキズキと痛むような。
「罪悪感なんて持つなよ」
耳元で陣がささやく。こんなところまで自分を気遣う陣に、つばめはこらえていたものが決壊しそうになる。だから全神経をかけて抑えた。
その後、教師をはじめ学校関係者、そして警察官が駆け付けると、あたりはさらに騒然となった。やじ馬がやじ馬を呼び、教師が解散するよう呼びかける。また理事長本人の指揮の下、恭介をはじめ、運営委員会のメンバーは全員、その場から連れて行かれていった。恭介がつばめと陣の前を通り過ぎる。だが決して、二人を見ようとはしなかった。
その場の空気が多少、もとのバーベキュー場の雰囲気を取り戻したのは、それから三十分は経ってからだろう。大人たちに軽く経緯を説明したあと、つばめは力が抜けて、ふらふらと近くの手すりに体と預けた。そんなつばめと陣を見て、近衛は改めて背筋を伸ばした。
「きみたちにも話を聞く必要があるが、それよりもまず」
つばめと陣に向かって頭を下げる。
「本当に申し訳なかった。きみたちに本来であれば必要のない、辛い思いをさせてしまった」
「そんな、やめてください。おれなら全然、大丈夫ですから」
つばめが慌ててフォローする。
「ったく、遅えんだよ、ジジイ」
「ちょっと!」
「それは許してくれ」近衛が苦笑しながら言った。「これでもヘリを飛ばしてきたんだよ。出発した後すぐ、強風で立ち往生してしまったんだ」
「いつ……陣、どうして、連絡……?」
つばめは首をひねる。
「ごめんごめん。最初から話そうか。陣」
近衛が悠然と笑い、二人に近くの椅子に腰かけるように促した。陣はそれには従わず、相変わらずテラスの手すりに寄っかかるようにたったままだ。
「話したいことがあって、昨日の夜ジジイに連絡していたんだ。まさか今日、こんな展開になるとは思ってなかったが」
「話したいこと?」
「恭介のやってるうさんくさい質屋についてさ。そこで奴のポイントの収支を調べてもらおうと思ったんだ。言っただろ、個人間で一方的な振り込みがあれば怪しまれるって。だから恭介は、質屋を立ち上げ、そこから仮屋に大量のポイントを送っているんじゃないかって思ったんだ。個人のやり取りではなく、質屋とその顧客による取引という形なら、それがどんなに大金でも疑いの目は向きにくいからな」
「そんな……一言、言ってくれればよかったのに」
「佐倉のオヤジから、お前が今日佐倉堂に顔出すって聞いたから、その時に話せばいいと思ったんだよ」
クーラーボックスに残っていた残りの肉を勝手に漁り、これまた勝手に串に刺して焼き始めた。
「おれたちはこのジジイの方針で、小遣いすらマトモにもらえねえ。なのに恭介はバイトもせず、随分優雅に過ごしてるわけだ。こんな高級な肉でしょっちゅう、バーベキューを開催するくらいにな……入学する前から「質屋を立ち上げた」って自慢話は聞いてたが、冷静に考えてそれで稼いでいるようには見えなかった。商品は高価すぎるし、サイトにはいつ見ても同じ商品が並んでいるからだ」
それはつばめも不思議に思っていた。うんうんと頷く。
「だったら、質屋は何のためにやってるのか。ずっと不思議に思っていた。だけど、仮屋と恭介に関係があるって分かってからピンときた。どうせ裏でうまいことやって、仮屋にポイントを送金してるってな」
恭介が焼けた肉を、ずい、とつばめの方に差し出たので、つばめは思わず受け取ってしまった。
「万引きをライブ配信していること。ミスコン運営のやつらとも繋がりがあること。さっき、そうお前から聞いて、やっとわかった。恭介が万引きをネタに賭け場を提供してるって。運営のやつらを唆して大金を賭けさせ、そのテラ銭で儲けていたんだろう。そうやって、すべてが繋がったんだ」
「とにかく私は、陣に頼まれて恭介の取引記録を調べさせた。すると彼の言う通り、ある女子生徒に大量のポイントの振り込みがあったんだ。質入れした際の質料という名目でね。しかしおかしなことに、この女子生徒が質草を手元に戻していることは一度もない」
「と、いうことは……?」
つばめはショートしそうな頭を必死に回転させる。
「女子生徒は定期的に品物を質に入れ、ポイントを『借りて』いる。だが質草はすべて流れになっており、ポイントは返済されない。事実だけを見れば、定期的に恭介から女子生徒へ高額なポイントが渡っている。それだけならまだ、質屋にもそういう使い方もあると考えることもできただろう。しかし、その質流れの商品を買っているのも、また固定の生徒ばかりだった」
陣が補足する。
「そこらへんは精査できていないが、おそらく運営の連中だろう。つまり、だ。質流れになった適当な商品を、運営の連中が購入する。一万円賭けたかったら、一枚一万円のTシャツを購入するって具合にな。これが賭け金だ。次に仮屋が適当な品物を担保にポイントを借り受ける。このポイントの源になっているのが賭け金さ。仮屋はもともと質草を取り戻す気がないから、それが質流れになり、ポイントは名実ともに仮屋のものとなる。」
「恭介さんは賭けを開催して、運営の人から巻き上げたお金を、仮屋さんに送るシステムを作っていた、ってこと……?」
「そうだ。それがカラクリだったんだよ。ま、ポイントは恭介と仮屋で山分けだったんだろうけどな。そのシステムが実際に運用されたのが去年の五月だったんだろう。きっかけは、佐久間が仮屋のためにネックレスを万引きしたこと。その事実を知って、こんな手を思いついたんだろうな」
近衛が下を向いた。膝の上で指を組みながら、目をつむる。
「これからはポイントの運用の在り方も、大幅に見直さねばならない。それもこれも、我々が高校生を甘く見ていたからこそ起きたことだが」
近衛からしたら、恭介だってかわいい孫の一人に変わりはないだろう。そんな孫を断罪しなければならない胸中はいかばかりか。
「どんなに厳しくしたって、ルールの網の目を搔い潜ろうとするやつはいる。いたちごっこになるだけだ」
随分と達観したような声で、陣が肉を頬張る。そして小さくつぶやいた。
「うめえな、クソが」
それを聞いて、つばめも手元の串の肉をかじった。複雑な思いを、程よく焼けた肉とともに飲み込む。
「ほんとだ。おいしい」
少し微笑んだつばめを見て、陣が続けた。
「……まあ、そういうことだ。昨日の時点では仮屋への継続的な入金という事実しか把握していなかったが、それでクロだと判断した。だからジジイを呼んだんだよ、そこらへんの教師じゃ対応できっこないと思ったから」
「そんなことはないと思うがね」近衛が苦笑した。「この学校に携わるスタッフには、優秀な者を揃えているつもりだ」
「一番偉いやつを呼んだ方が手っ取り早いだろうが」
おじいちゃんと孫の小競り合いを、つばめは黙って見守った。
「まさかお前が現行犯で運営の一人を捕まえて、奴らがバーベキューで集まっているところを抑えられるとは思いもしなかったけどな。そういう意味でも、運がよかった」
「それは……花村さんがヒントを残してくれていたんだ。モモさんもそう。色んな人が協力してくれたから、たどり着いただけ」
「つばめくん。本当にありがとう。きみがいなければ、今回の件は明るみには出なかっただろう」
改めて、近衛がつばめの方を向き直った。そして再び、「申し訳ない」と頭を下げる。
「この件で、きみに嫌な思いをさせてしまった。サチさんにもなんとお詫びしたらいいか……。恭介には改めて謝罪させる。約束しよう」
だが、つばめは「いいんです。本当に」と首を振った。
「近衛さん。おれ……碧波に来てよかったって、ずっと思ってます。大変なこともあったけど、帰りたいとか、一回も思ったことなかったんです。だから、こちらこそ、ありがとうございました」
つばめは立ち上がって、深々と頭を下げた。
「高校受験の日にばあちゃんが死んじゃって、でも、だから近衛さんに碧波に入れてもらって……色んなバイトの面接に落ちて、だから佐倉堂に置いてもらえて、それで、陣にも会えました。ええと、何を言いたいかって言うと」
波音がつばめの背中を押す。静かに、時に力強く。
「碧波に来れてよかった。じゃないと、陣にも会えなかったから」
「恥ずかしいこと言ってんな、ばか」
そっぽを向きながら、陣が残っていた肉をどばっと全部鉄板の上に乗せた。近衛の眼差しが優しく、急によそよそしくなった陣を見守っている。
「陣。いい友達を持ったな」
「別に」
横顔はいつものポーカーフェイス。それでも洒落た照明が、ほんのりと赤く染まった頬をさりげなく照らしていた。
「つばめくん。ひとつ、昔話を聞いてくれるかい」
「昔話……ですか?」
近衛はゆっくりと頷いた。
「出版社に勤めていたころ。あるとき、私は社運を賭けた大きなプロジェクトに抜擢された。とんでもない重圧だったが、私は使命に燃えていた。だがそれを、良く思わない者もいた」
「良く思わない者?」
「私にも強引なところもあった。彼らの目には、傲慢に映ったことだろう。いまならそう思えるが、その時は若さが謙虚さを忘れさせた。毎日のように人とぶつかって、プロジェクトが進むにつれ、私は孤立していった。でも、その時はたいしたことだとは思わなかった。潮目が変わったのは、嫌がらせが始まったあたりかな」
ため息をついた。少し顔が歪む。
「同僚のミスの濡れ衣を着せられたり、あることないこと噂されたり、私だけ必要な情報を与えてもらえなかったりね。半年かけて調査した資料を隠された時は、さすがに心が折れかけたよ。でもそんなときに、サチさんが廃棄されかけた資料を取り戻してくれたんだ。そして皆の前で、こう言ったんだ」
近衛の顔は、すでに過去を懐かしむような顔に変わっていた。
「『いい? あんた、あんたはただ、堂々としていればいいのよ。自分がやったことは、いつか必ず返ってくるもの。そう思って、淡々とやってればいいのよ』と」
「……ばあちゃん、言いそうだ」
近衛がはは、と声を出して笑った。
「一言一句覚えているよ。罰が当たるってことか? と私が訊くと、そうだけど違うという。彼女は続けた。自分の行動は、必ず帰ってくる、だが悪いことでもいいことでも、それは自分自身にではなくて、自分の大切なものに返ってくるのだと。だからこそ、正々堂々と生きたほうがいいのだと」
「……」
「その言葉は、私の心の中に強く刻まれている。つばめくん、私は今日、きみの中にサチさんを見たよ。ああ、この子は確かに彼女の孫なんだと思った。きみがここに来てよかったと思ってくれるなら、これほど嬉しいことはない。あの日、意を決して葬儀に押しかけて良かったよ」
最後は少し照れくさそうに笑う。つばめの心に湧き上がったのは、単純な喜びだった。ばあちゃんの言葉がいつも自分を励ましたように、他の人の心の支えにもなっていたのかと思うと、誇らしい気分になった。
「それでは、先に失礼するよ。明日以降また話を聞くことになると思うが、今日はゆっくり休んでくれ」
よっこらせ、と近衛が立ち上がる。
「それと、もう一つだけ」
片手で帽子をかぶりながら、近衛が微笑んだ。
「陣。何度も言うが、錬が亡くなったのは、お前のせいではないよ」
その言葉を、陣は背中で聞いていた。手すりに体を預け、夜の海を見つめている。
近衛にはそれで十分だったのだろう。
つばめは陣の隣に立った。筋肉質な肩に、そっと頭を乗せてみる。
「おまえのばあさん、肝が据わってんな」
「俺も思った」
密やかな笑い声が、寄せては返す波音に吸いこまれる。
「陣、おれ、ここに来て変われたと思う」
「そこまで変わってないように見えるけどな」
「ううん。昔はね……謝ってばっかりだった。ごめん、とかすみません、とか、口癖みたいになってた。でもね。ごめんねより、ありがとうって言いたくなるんだ。陣といると」
へへへ、とつばめが照れながら言う。
「陣、もう一度言っていい?」
「なんだよ」
「誕生日、おめでとう」
やっと、陣が笑った。
「とんでもねえ誕生日だよ」
つばめも笑った。
こんな日が、一生続きますように。そう願いながら。
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