第28話
スーパー『ライト』は、一番寮生の多いC棟や従業員の住むエリアの近くということもあり、品ぞろえは豊富で、混み合う店内はにぎやかだ。だがいまのつばめには、不親切この上なかった。まず、店内が広すぎるのだ。たとえ花村がこの場所にいたとしても、一人では見逃してしまう。つばめは歯噛みした。
(七時半に間に合わない、ってことはバーベキューに使う何か。スーパーなら、食品? だとしたら肉か……)
これならスーパーに狙いを定めて、モモと手分けした方が良かったかもしれない。よぎった後悔を丸めてゴミ箱に捨て、つばめは生鮮食品コーナーを中心に歩き回った。いない、いない、いない。花村の顔、体格を必死で思い浮かべながら歩き回る。そのうち、昨日のパトロールが功を奏し、割とスムーズに動線を確保することができた。つばめがお菓子のコーナーを覗いた後、生鮮食品コーナーに五回目に足を踏み入れたときのことだった。
(いた‼)
心臓が跳ねあがる。このままでは力尽きて止まってしまうのではと心配になるほど、とんでもないBPMで鼓動が脈打つ。視線の先には、俯いた花村の横顔。目を瞠るほどの真っ赤なジャンパーを着ていた。そしてその後ろに、張り付くように移動する黒ずくめの男が一人。
つばめはふつふつとこみ上げる怒りを抑えた。その手にスマホを持っているのが見えて、つばめはいよいよ確信した。花村は緑のカゴとマイバッグを手にしていた。つばめは慎重に、敵に見つからないように隠密する草食動物みたいに、人の間を縫って近づいていく。念のため、二人の姿をスマホで録画しながら。
花村はゆっくりとした足取りで、精肉エリアの前にたどり着いた。ちょうど角にあたる部分で足を止め、商品を手に取る。その背後に、男がかぶさるように立つ。つばめは足を速めた。
位置的に、手に取ったのはパック入りの牛ステーキ肉。何回か持ち上げては戻し、たまに別の商品も見るふりをしたあと、そのときは来た。
右手で持ち上げたパック肉を、口の開いたバッグに入れる――その瞬間、つばめは走り出した。
「あんた、何してんだよ!」
掴んだのは、花村ではなく、男の腕だった。男がつばめの腕を振り切る。意識して強く握ったはずだが、甘かった。男が走りだす。追いかけようと体勢を変えたそのとき、一瞬、花村と目が合った――なんだか不思議な顔をしていた――喜怒哀楽を煮詰めて、甘いんだか辛いんだかしょっぱいんだかわからない食べ物を食べたときみたいな。最後に唇をぎゅっと結んだ、どこか泣きそうな顔を脳裏に焼き付け、つばめはその視線を剝がした。
「待て……っ」
そう叫ぼうとした時には、男は十メートルほど先にいた。驚いた客が、二人のための道を作る。「そいつ、万引きです‼」だが声はヘロヘロで、つばめは走りながら怒鳴る難しさを知る。あっという間に外に逃げられた。三叉路へ向かい、男が全速力で走る。つばめも必死に足を動かすが、直線距離になれば、足の遅いつばめには不利だった。あっという間に距離が開いていく。逃げられる――そう思って大きく息を吸いこんだとき。
「なにすんだよ!」
前方で、目標が止まっている。
最初に認識したのはその事実。次に見えたのは、目標の腕を、ねじり上げるように掴むがっしりとした腕。それでも逃げようともがく目標を、全体重をかけて地面に押さえつける、そんな映像が、スローモーションとなってつばめの目に届く。
街灯が照らす。いや、照らさなくても見えていた、太陽みたいなオレンジ色。ずっとずっと、つばめが焦がれた色だ。
(わかってたよ。来てくれるって)
やじ馬が陣と男を囲み始める中、陣は男の背中の上に腰を掛けた。さすがに痛みが勝るのか、男はぐえ、とつぶれたカエルのような声を出しただけで、おとなしく陣の下敷きになっている。つばめは息を整えながら、やじ馬の合間を縫って歩み寄った。
陣が顔を上げた。いまこの瞬間、この場所で、自分と陣の間には、空気すら隔てるものはない気がした。でも、視界が滲んだインクみたいにぼやけて、つばめは目をこすった。涙すら邪魔だった。いま、自分が陣にかけるべき言葉を脳をフル回転させて探すも、その結果を待たず、つばめの口は自然に動いていた。
「陣」
「……なんだ」
「誕生日、おめでと」
豆鉄砲を食らったかのような顔から、呆れたような顔へ。
「何回言うんだよ、それ」
陣が小さく噴き出す。それを見て、今度は視界が嬉しさで滲んだ。
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