第六章
第27話
いつもより騒がしい気がするのは、客入りのせいだけではないだろう。全体八割ほどが埋まった店内に入ってから、一分以上たっても案内されない。店員はせかせかと動いていて、それどころではないらしい。モモとつばめは困ったように顔を見合わせた。
「あれ、花村は……いないのかしら」
「まだ出勤してないんでしょうか」
「でも、六時って言ってたわよね」
「そうですね……」
そんな風に話していると、一人の男性店員がつばめたちを捕捉したのか、慌てて駆け寄ってきた。ツーブロックの高身長。なんだか見覚えがある。
(そうだ、この人。最初にここに来たときに話を聞いた人だ)
「申し訳ありません! お待たせしました!」
ツーブロックがメニューを手にしながら、焦りを含んだ声をかける。どうやら相当忙しいようだ。
「二名様でよろしいですか……って、ああ!」
だが、それまで余裕のない顔をしていたのに、つばめを、いや、正確にはつばめの後ろのモモを見て、店員が顔色を変えた。
「も、もしかして、モモちゃん⁉」
「はあ。そうですけど」
モモがなにこいつ、という感情を隠さず答える。だがツーブロックはお構いなしにテンションを上げた。
「いやー、マジか!! 嬉しすぎる、モモちゃんがバイト先来てくれるなんて」
「……」
「やべ、そんな時間なかったんだった。すみません、こちらの席へどうぞ」
二名様ご案内します! フロアに通る大きな声、それに「いらっしゃいませー」と他の店員が返す。空いていたのは中央の席だった。カウンターにもフロアにも、やはり花村の姿はない。ツーブロックはたっぷり入ったお冷をテーブルに置きながら、うきうきした様子で話しかけてきた。
「おれ、一年の時からモモちゃんのこと応援してました。ミスコンも、モモちゃんに投票したし」
「……そうですか、どうも」
モモは鬱陶しそうに流す。どうやらつばめなど眼中にないらしい。それはそれでいいのだが、とりあえず気になることを聞いた。
「あのう、花村さんって今日出勤ですか?」
「え、花村?」
初めてつばめの存在を認識したとばかりに、ツーブロックが不意を突かれた表情になった。それから思い出したように、急に顔をしかめた。
「あいつ、急に欠勤したんすよ! だっからもう、てんてこ舞いで。こんな広さ、二人で回せるわけねえのに!」
「え、欠勤⁉」
「は、はい。あれ、なんか花村に用でもあったっすか?」
これはどういうことだ? モモも困ったように肩をすくめている。
「欠勤の理由とか、聞いてますか?」
「店長が言うには、急にやらなきゃいけない用事が入ったって。七時半にはどうしても間に合わせないといけない用事だって、一方的に言ってきたらしいっす」
トレーを抱えた腕が、落ち着きなく小刻みに動く。
「そんな勝手なやつじゃないんですけどね……欠勤どころか遅刻だって、一度もしたことないのに」
七時半。つばめは店内の壁掛け時計を見やった。短針はローマ数字の六を少し過ぎたあたりにある。秒針が一定の間隔で時を刻む。そのテンポに、つばめはなぜか追い立てられるような気分になった。モモを見ると、彼女も状況を整理しているようだったが、やがてつばめの目を見て頷いた。
他の客に呼ばれ、ツーブロックは「それじゃ、お決まりでしたらお呼びください」と名残惜しそうに去って行った。だは二人はメニューをわきによせ、顔を寄せてひそひそと話した。
「なにかあったんでしょうか。花村さん、確かに明後日の午後六時って言いましたよね」
「ええ」
「……なにかトラブルでもあったんでしょうか。もう一度連絡を取る方法があれば……でも、連絡先知らないしな……」
やらなきゃいけない用事。七時半には間に合わせなきゃいけない。そのセリフからは、止むに止まれぬ切迫感のようなものを感じた。せり上がる胸騒ぎを押し込めて、つばめは脳に酸素を行き渡らせるように深呼吸した。
「モモさん。多分ですけど、花村さんはできない約束をするような人じゃないと思うんです。急にバイトを休んで、同僚に迷惑をかけることだって、きっと避けるはず」
モモはテラス席でにぎやかな男女を眺めながら、「そうかしら」と言った。
「え?」
「花村が真面目一辺倒の人間なら、あたしたちを呼び出しておいてなんのフォローもないのはおかしい。さっきのチャラ男にでも、一言でもいい、言伝を預けるのが普通だわ」
「それは……そうですね」
「休むだけなら熱があるとか腹が痛いとか適当なこと言えばいいのに、花村はそうしなかった。詳しいことはなにも言わず、意味深で、同僚にも不信感が生まれるような言い方をした」
「確かに……」
つばめはますますわからなくなった。
「じゃあ、どうして? おれたちどころじゃないトラブルが起きたとか……」
「逆かもよ」
「逆?」
「この日は休むとわかっていて、あたしたちを呼びつけた」
「ど、どうして?」
「花村の性格上、自己都合での急な欠勤も、できない約束もしない。ましてや、自分から人を呼び出しておいて、なんのフォローもなしに放置するなんてことは」
つばめは自分の手が小さく震えているのを感じた。こぶしをぎゅうっと握りしめる。一歩先は奈落の底へ繋がる穴かもしれない、そんな暗闇の中を明かりなしで進むような心地がした。
「……と、いうことは」
つばめはつばを飲み込んで、その先を引き受けた。
「今日の午後七時半に何かがある……おれたちにそれを知らせたかったってことですか」
モモはつばめたちが花村に関わったのは、仮屋玲香の件でのみだ。ということは、もしや、花村が伝えたいことというのは、つばめたちにとっては喉から手が出るほど欲しい情報かもしれない。同時に、そうせざるを得ない花村が、決して良い状況に置かれているのではないことだけは理解した。
「仮屋さんの件で、なにか伝えたいことがあったのかもしれません」
「あたしもそう思った」
モモが不敵に笑う。
「問題は、どこにいるかですね」
時間だけが過ぎる。こうしているいまも、花村はつばめたちを待っているかもしれないのに。
「キャンパスはない、今日は休みだから閉鎖されてる。スポーツエリアでもない、あそこは当該生徒しか入れない。残るはそれ以外。範囲、広すぎるわね」
「七時半に間に合わせなきゃいけないこと……。いったい七時半に、何があるんだろう……」
つばめはスマホで、碧波学園のHPを調べる。が、とくにこれと言ったイベントはなかった。一通り調べて、時間は一刻一刻と過ぎてゆく。つばめは降参だ、とでも言いたげにテーブルにスマホを置いた。
(本当だったらいまごろ、一緒にバーベキューしてたのにな)
一時、現実逃避を試みる。本当ならあったかもしれない、平和に過ごすはずだった特別な日に。
「こんなとき、陣なら、なんて言うかな。しらみつぶしに探せ、とか言いそうだ」
つばめは思わずつぶやいた。隣に彼がいないことが、こんなにもさみしい。そんなつばめを、モモが心配そうに見やる。
「彼は今日、バイトなの?」
小休止を入れるように、明るい声でモモが尋ねた。気休めの会話だとわかっていたが、つばめはその気遣いを素直に受け入れた。
「はい。実は今日、七月二十日が陣の誕生日なんですけど。零時におめでとうって送って、でも返事はないですね」
ため込んでいた寂しさを吐露したのはたまたま。つばめは自分がモモに甘えているのは分かっていた。
「あら、そうなの」
「はい」
「へえ。七月二十日ねえ……」
モモはそこから、ぴったりと口を閉じた。沈黙。つばめが不思議に思い、おーい、と顔の前で手を振っても無反応。つばめがおろおろし始めると、モモは小さく声を漏らした。
「七月二十日、って、どこかで見た気がする」
「……え?」
「その日に、何かがあったような……」
頭を抱えるようにして、モモが机に突っ伏した。つばめは適当に提案する。
「……誰かの、誕生日ですかね」
「ううん……違う」
「部活の用事とか」
「違う……」
「ええ、じゃあ、友達と食事とか」
「それも……違う」
「それじゃあ、好きな人とバーベキューとか」
最後のは少し、ふざけたつもりだった。だがその途端、会話が途切れる。怒らせたかと思って、つばめは慌てて「す、すいません」と謝った。だが、モモの反応はない。丸い頭をテーブルに着けたまま、待つことおよそ三十秒。恐る恐るもう一度、声をかけようとしたときだった。
「ああーーーーー‼」
店内中に響き渡る絶叫。つばめもその声量につられて、うわあーーー!と叫んだ。
「な、ど、どうしたんですか!」
騒然とする客に店員。数十人の視線をよそに、モモは勢いよく立ち上がる。そしてビビッて椅子から転げ落ちそうになっているつばめの腕をむんずとつかんだ。
「モ、モモさん、どうしたんですか、」
「いいから出るよ!」
有無を言わさぬ口調だったから、つばめは素直に従った。レジにいたツーブロックに、「すみません。急用ができたので」と言って店を出る。口をぽかん、と開けた間抜けな顔をしていたが、多分自分も同じような顔をしているだろうと思う。
「モモさん、どこ行くんですかー!」
暴走機関車みたいなモモに手を引かれながら、つばめは必死に声をかける。モモの足は、海沿い、つまりショッピングモールに向かっていた。行き交う人がもの珍しそうに見てくる。体力が尽きたのか、モモが肩で息をしながら足を止めた。
「思い出したの」膝に手を当てて、息を整える。「七月二十日、今日。どうして忘れてたんだろう。いままで思い出せなかったのが信じられない」
「思い出したって、な、何を?」
「バーベキュー、」
「へ?」
一瞬、からかわれているのかとつばめは思った。だが聞き返す余地もなく、モモが続ける。
「バーベキューよ。ポスターの件で、運営へ初めて抗議しに行ったとき。ホワイトボードに書いてあった。七月二十日にバーベキューをやるって」
「あ……」
つばめはものすごい速さで、記憶を呼び戻した。頭の中の引き出しを、これでもない、あれでもないとひっくり返して。そして目的の引き出しを見つける。そうだ、あのときモモさんがキレながら言ってた――のん気なもんね、バーベキューなんて。この島に、あなたたちの口に合う、お高いお肉は売ってるのかしら。
「ああっ!」
「ねえ、これって偶然? 運営のやつらはよく、理由をつけて集まってた。たぶん、月に一回くらい」
「まさか、」
「運営は玲香と恭介と繋がってる。そして今日、玲香の元カレの花村がバイトをバックレてる。それに、花村は尋常じゃない様子。これって偶然なの?」
偶然ではない。偶然であってたまるか。つばめは力強く首を横に振った。
「花村さんは、どの店にいるでしょうか」
「手分けしましょう」
言わずとも、モモには伝わっているようだった。店の位置関係を思い起こす。万引きのターゲットになった店は、すべてショッピングエリアにある。だがその位置は離れており、順番に回っていたらかなり時間がかかってしまう。
つばめたちの現在地から少し先に進むと、海沿いの道に出る。そこは三叉路となっており、左へ進み、坂を上がった先に雑貨屋があり、右に曲がって端の方まで進んだところ、つまり佐倉堂の近くにコンビニがある。一方スーパーは、奥の道を進み、まさに海へ向かう道路に沿って建っていた。
「あたしは雑貨屋へ行く。つばめはここから近いスーパーに行って。最後のコンビニはしょうがないわ、花村が来なさそうだと判断した方から向かいましょう」
「はい!」
つばめとモモは、二手に分かれて、それぞれの持ち場へ向かった。つばめはその途中で、重い足を引きずりながら、神にも祈る思いでアプリを開いた。
『いきなりごめん。今日、また万引きが起こるかもしれないんだ。ライトか碧波マートかポラリスで。いま、モモさんと二手に分かれてる。もし時間があったら、コンビニをチェックしてほしいんだ。このままじゃ花村さんが、新しい被害者になってしまう』
まずそう送って、続けて入力する。
『お願い、陣。陣の力が必要なんだ』
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