第17話
「東京に帰ったあ⁉」
静かな職員棟の一室で、悲鳴にも似た声が響き渡る。
神経質そうな顔をした教師が、白髪交じりの髪をぼりぼりと搔きながら「静かに」と諭す。だが本人は声量を下げるどころか一段階上げて、目の前の教師に詰め寄った。
「どうしてですか!」
ずり落ちてもいない眼鏡を上げ、教師はため息をついた。それからもう一度、人差し指を口に当てて静かにするよう伝えると、口を開いた。
「体調不良だよ」
「体調不良……⁉」
陣は絶句した。ついでにつばめも。
「三日間、立ち上がれないほどお腹が痛かったらしい。波真利の診療所じゃ対応しきれないんで、特例で本土に帰ることになったんだ」
「いつ帰って来るんですか⁉」
「それは病状によるだろう。大きな病院で見てもらうらしいから、それの診断が出てからかな」
もういいかい、と会話を中断して、佐久間の担任は室内に戻って行った。思わぬ展開に、つばめは動揺した。一方で陣は、腰に手を当て、お手上げだ、とでも言いたげに首を振る。
「大丈夫かな……盲腸とかだったらどうしよう」
「だとしても、三日間連絡が取れないのはおかしいだろ」
「それどころじゃなかったのかも」
「……違う。どうせ、仮病に決まってるさ」
だがその言葉は、自分に言い聞かせているようにつばめには聞こえた。佐久間が消えてから四日目、未だに彼とコンタクトは取れていない。永遠に続くコール音、その無機質な響きに、つばめは胸騒ぎを覚えずにはいられなかった。
「……ともかくこれで、唯一の手がかりが消えたわけだ」
「船で帰って来るなら、相当先かもね。なにもなくても、一週間は先か……」
つばめは頭の中で、船の渡航スケジュールを確認しながら言った。佐久間が最低でも一週間は島へ戻ってはこないことに、つばめは密かに安堵する。
(その間だけでも、陣の気がまぎれると良いな)
あの大雨の日以来――陣の頭の中に常にこの一件があるのを、つばめは敏感に感じ取っていた。怒りは風化することもなく、むしろ時が経つにつれ、確実に蓄積されているように見えた。だがその過程で、噴火であふれ出たマグマが、やがて冷えて巨大な溶岩の塊となるように、その本質が変化している気がしていた。佐倉のための怒りが、佐久間、ひいては不条理な現状への憎しみへと変わっているような。
あの日、陣が見せた一面。つばめはそれを、いまだに見なかったふりをしている。結局、佐久間が学校に戻ってくるまで、二人に打つ手はないように思われた。一方で、束の間の平穏をつばめは密かに謳歌していた。だがストレスの原因が消えて肩の荷が下りたのは、陣も同じようだった。梅雨明けの兆しとともに、陣もいつもの表情を取り戻していったからだ。陣が穏やかな微笑を浮かべるたび、つばめはこのまま佐久間が二度と帰ってこなければいいとすら思う。またそんな自分に軽い嫌悪感を覚え、それでも陣が笑っているのを見て嬉しくなる。つばめはここ数日、そんな風に感情をプラスとマイナスに忙しく行き来させているのだった。
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