第四章

第16話

 ほんの数日前の荒れ模様が嘘のように、海がすまし顔をしている。

 波真利諸島はその地理的環境から梅雨はないはずだったが、実際に暮らしてみるとそんなことはなかった。スコールなどの局地的ではない雨が続く時期が、六月中旬ごろまで続く。まだ梅雨真っ只中のはずだが、今日は海の色に負けないほど青い空が広がっていた。それもあって、海沿いはいつもの二倍以上の人であふれかえっている。

「ねえ、カヌレだって。見たことないよ、こんな食べ物」

「おい、遊びに来てるわけじゃないんだぞ」

「って言っても、すごい人だ」

 あれから、陣はいつものようにつばめに接してきた。そのことにつばめは、心の底から安堵した。再び架けなおした石橋を、慎重に叩いて渡っていく。そんなつばめの胸中など知らず、陣は後ろを振り向いて、刺々しい口調で言った。

「おいお前。仮屋を見つけたら正直に申告しろよ」

「わ、わかってるって……」

 佐久間が一歩後ろを歩くようについてくる。顔には「無理だよ」と書かれていた。この人ごみでは、そう思うのもしょうがない。だが陣は、「何でもいいから、見掛けたら言え」と念を押した。

 色とりどりの屋根が、青空に映える。アクセサリーや雑貨、チョコレート専門店から高級ブランドショップまで、出店数はおよそ百に上る。このイベントは、閉ざされた環境で生活を余儀なくされている学生たちの、良い息抜きとなっているようだった。

「あれか。かなり盛況だな」

 視線の先にあったのは、様々な有名ブランドのバッグや財布などを売っている店だった。高価なものを売っているせいか、テントではなく、もともと海辺に建っているログハウスを利用している。かなりの広さだが、入場制限が敷かれているほど盛況らしい。店員と思しきスーツ姿の男が、順番待ちの列を整備していた。

「列の中にはいないな……」

「お前は入り口で、仮屋っぽい女がいたら連絡しろ。俺たちは出口で張る」

 陣は佐久間の首を引っ張って、店の裏側に回っていった。つばめは佐久間に伝えられた手がかり――陣が書かせた、おそらく画力によって、手がかりにはなり得ない似顔絵――を頼りに、少し離れたところから、次々と長くなる列を眺めた。生徒は女性ばかりだが、それらしい学生は見当たらない。この絵から読み取れるのは「前髪がある」「目が大きい」「顔が小さい」ということだけだったが、つばめからしたらほとんどが条件に当てはまっており、早々に音を上げた。

 それからバイトの時間が近づいてきたので、つばめはバイトに向かった。それからは交代で、佐久間を連れてパトロールすることになっている。

 佐倉堂の店先を箒で掃きながら、賑わいを遠くから眺める。シフト上、開店から午後二時まではフルで店を回す予定だった。そのため、休憩時間以外は、佐久間一人で張り込みをさせた。見掛けたら連絡するようにと念を押して。だがその間、二人のスマホが鳴ることはなかった。

「じゃあ、行ってきます」

「頼むぞ」

 陣にもらったゼリー飲料を流し込み、つばめは駆け足で佐久間の下へ向かった。正午を迎え、人は一段と増えていた。つばめは人波を縫うように進む。だが、やっとの思いでログハウスにたどり着くも、佐久間は見当たらなかった。

 周辺をうろうろと歩き回っても見つからない。返信もない。つばめは恥をしのんで、「佐久間さーん」と声を上げて回った。不思議そうな、あるいは不審そうな視線にも負けず、十分間、佐久間を探したが返答はない。トイレか、あるいはコンビニにでも行っているのか。だが、それにしても連絡の一つでも入れるはずだと思う。つばめは困り果てて、せめてもの意地で、佐久間の名前を呼び続けた。

「あっ」

 だがそのとき、前を見ず、きょろきょろとあたりを見回しながら歩いていたつばめは、硬いものに足を取られてしまった。こんなところに段差があったっけ――そう思った0.5秒後だった。

「うわあ……っ!」

 見事な転倒だった。無駄のない完璧なフォームで、べしょ、と体がコンクリートに叩きつけられる。転び方に点数を付けられるなら、いまのは十点満点だったろう。頬に太陽で熱されたコンクリートの感触、その熱さを認識した後、つばめは遅れてきた痛さにうずくまった。

「いだ……っ」

 周囲のざわめきが大きくなる。「うわ、いまのはいてえ」「あの子大丈夫?」恥ずかしさに俯いて痛みをやり過ごしていると、そんな喧騒を遮るように、頭上に影が落とされた。

「ちょっと、きみ。平気?」

 かけられた声に、つばめは顔を上げる。目の前に差し出された手。逆光が眩しく細めた目に、見覚えのあるボブカットが映る。

「あ……」

 ぱっちりとした目が、不思議そうに瞬く。

「あら、きみ」

「あ、あのときの……」

「モモ。今苗モモ。覚えてる?」

 気づけば、差し出された手を取っていた。モモはよいしょ、とつばめを立ち上がらせる。それから「小学生か」と笑って、膝に着いた砂を払ってくれた。

「モモさん。あ、ありがとうございます」

「ちょっと、こっち来な。怪我してるでしょ」

 モモはつばめの手を引いて、空いている方へ向かった。石垣に座らせ、スラックスを上げるように指示する。

「あ、あの」

「いいから」

 膝小僧は、見事に出血していた。皮膚が擦り剝けて、見るからに痛々しい。

「あーあ。こりゃだめだ。保健室行ってきな」

「いや、ちょっと」

「はあ?」

「いま、人探しの最中で」

 それを聞いて、呆れたようにモモが腕を組んだ。

「あんた、いつも誰か探してるのね」

「へへ、まあ……」

「なに、まだ玲香を探してるわけ?」

「いや、違……、じゃない、えっと、まあ違わないんですけど、」

「はあ? どういうことよ」

 モモの追及をごにょごにょとごまかして、つばめは話題を変えた。

「も、モモさんこそ、今日は買い物ですか」

「いや。あんたと似たようなもんよ」

 モモはそう言って、視線を人ごみに向けた。「ま、見失っちゃったけどね。あんたがそいつとすれ違いざまに、思いっきり転んだから」

「え⁉ ごめんなさい……」

 小さくなったつばめに、モモが噴き出す。もしかして自分は、段差で転んだのではなく、人の足に躓いたのかと、つばめは少し焦った。だがモモはそんなつばめの心中など知る由もなく、「冗談よ、もう」とその背中を二度叩き、からっとした声で言った。

「いいからさ、早く保健室行くよ。人探しはそれからにしな」

「は……はい」

 キャンパスや寮にある保健室は遠いので、二人は海沿いを佐倉堂とは真反対の、ショッピングエリアを抜けた先にある病院へ向かった。そこで応急処置をしてもらい、あちこちに絆創膏や包帯を付けたつばめがログハウスに戻ってくるころには、休憩時間は残り十五分となっていた。

「それじゃ、気を付けなさいよ」

「あの、モモさん」つばめはもう一度、ていねいにお辞儀をしてから聞いた。「モモさんは、誰を探していたんですか?」

「ミスコンのポスター、あったでしょ。あたしのパクったやつ」

「はい」

「しつっっっこく抗議したらさ、ポスターを取り下げさせることに成功したんだけど、それがまた取り消しになったのよ」

「取り消し? なんで?」

「前々回のミスコンの責任者が――あ、ミスコンを立ち上げた人なんだけど、そいつが横槍いれてきて。結局、ポスターはそのまんま。あんまりムカついたから、そいつに直接文句言おうと思ってて」

「わざわざここで?」

 つばめが首をかしげる。

「たまたま見かけたのよ。あたし、SNS全部ブロックされてるから、チャンスだと思って追いかけてたの」

「そうなんですか……」

「まったく、嫌われ者は辛いわ。でもあたし、諦めないから。きみも玲香、見つけられるといいね」

 蝶のように、モモが片手をひらひらと振った。その背中にかけるべき言葉を探しているうちに、モモの背中は遠ざかって行く。

(モモさんと話してると、元気になるな)

 つばめはよし、と一言。気づけば膝の痛みはさっきよりも和らいでいた。佐久間の丸まった背中を探しながら、つばめは佐倉堂までの道のりを急いだ。


「なんでそんなボロボロなんだよ」

「転んじゃった」

「あーあー、満身創痍だねえ」

「笑い事じゃねえだろ。ったく、ちょっとこっち来い」

 つばめが佐倉堂の奥座敷に連れ込まれるのを、佐倉が苦笑しながら見送る。結局、つばめは佐久間と再会することはできなかった。しょんぼりしながら、つばめは粗相をした子犬が飼い主の機嫌を窺うように陣を見上げる。だが陣は、ため息をつきながら、その額に小さくデコピンした。

「あた」

「大丈夫か」

「う、ん」

 怒られるかと思ったつばめは拍子抜けする。陣はいつもの、口を不満そうにぎゅっと結んだ顔で、つばめの鼻を掴んでから、「それで」と続けた。

「その顔じゃ、収穫はなさそうだな」

「佐久間さんとは会えなかったんだ。ごめん」

「会えなかった?」

 つばめは事の詳細を話した。陣は話を聞くうち、眉間のしわをどんどん濃くしていったので、最後は消え入りそうな声になった。だが怒りの矛先は佐久間に向けられているようで、低い声で「あのヤロー」とつぶやく。

「店を頼むぞ」

 交代で陣が休憩に入る。スマホを取りだし、誰かへ電話をしながら店を出て行く。陣の鬼電を受ける佐久間に、つばめは少しだけ同情した。

 それから一時間、陣からの連絡はなかった。そわそわしながら仕事をこなし、十四時を待つ。休憩を終え、帰ってきた陣は、開口一番こう言った。

「あいつ、逃げやがった」

 いま、どこにいる。そんなメッセージも既読にならず、もちろん電話にも出ない。夕方、ラストスパートを乗り越えて、バイトを終えたころには、会場は昼間の熱気をかすかに感じる程度に閑散としていた。ログハウスの前の、ヘビのように伸びた列は跡形もなく、店じまいの準備に追われているようだった。もちろん、佐久間の姿はない。

 スマホに答える声もない。潮が満ち、一層濃くなる海の匂いに包まれて、陣とつばめは立ち尽くす。やがて、陣が地を這うような声でつぶやいた。

「明日、授業サボって突撃してやる」

 二人は捜索を諦め、その日は寮に戻った。だが、次の日も、つばめたちは佐久間と会うことはできなかった。佐久間が学校を欠席していたからだ。翌日も、翌々日も、そのまた次の日も、佐久間は学校に姿を現わさなかった。

 佐久間は二人の前から、ぱったりと姿を消したのだった。

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