第6話

「てめえこの野郎! ぶっ殺すぞ!」

 気を取り直して、休憩時間が終わる十分前には店に戻った。だがそのとたん聞こえた暴言に、つばめは硬直する。

「あっ」

 それと同時に、一人の男が、つばめの横を抜けて店から出て行こうとした。反射的に身をよけたとき、男のスマホが地面に落ちる。ユニオンジャック柄の派手なスマホケースを背に、コンクリートに叩きつけられる嫌な音がした。

 だがすでに駆け出していた男がそれに気づいた時には、つばめがそれを拾いあげていた。ひっくり返して画面に目を落とし、ヒビが入っていないことに安堵するが、その時、スマホのカメラが起動しているのが見えた。

「あの、落ちましたよ――」

 差し出した手から、しかしスマホはひったくられるように奪われる。つばめと目も合わせず、もちろん礼も言わずに、男はそのまま海沿いの通りを走り抜けていった。呆然とその背中を見つめていたつばめだったが、数秒後、我に返ったように店内に戻る。

「逃げんなコラア!」

 店の奥では、まだ怒号が続いている。陣の声だ。おそるおそる声のする棚の方に歩いて行くと、暴れる少年とそれを地面に押さえつけている陣がいた。

「ど、どうしたの⁉」

「こいつ、万引きしやがった!」

 陣はとうとう男の背に馬乗りになり、カバンを取り上げると、中からシュリンクされた漫画本を取りだした。

「おいお前、本部と警察に連絡しろ!」

「ち、違うんです! 後でお金払おうとしたんだ! 本当なんです、信じてください!」

 陣の言葉に、犯人がびくりと反応する。

「言い訳もたいがいにしろ! カバンに入れたの見たんだからな!」

 そう言って陣はびし、と天井の隅を指さす。年季が入ったこの店にも、監視カメラが導入されていてるようだ。それを見た少年は、「あ……」と、目を見開く。それから明らかに反抗する気が失せた様子で、がっくりと肩を落とした。

「カギを閉めろ。臨時休業だ」

 そう言って陣は、つばめに鍵を放ってよこす。つばめは混乱したまま、自動ドアの上部にある鍵を閉めた。それから奥座敷へ上がると、そこにはちゃぶ台を囲むように、うなだれた様子の少年と、それを仁王立ちで見下ろす陣がいた。

「名前と学年を言え」

 黒いパーカーを来た少年は、ひざに顔をうずめて何も言わない。見たところ、およそ犯罪に手を染めるようには見えない、気弱な少年だった。陣は白状するまで許さないとばかりに、少年を睨みつけている。

「なんで……こんなことしたんですか?」

 その姿に、シンプルな疑問が、つばめの口をついて出た。その言葉に、少年が顔だけちら、とつばめに向ける。体格はつばめよりも大きかったが、おびえたような表情からか、だいぶ幼く見えた。

 だが視線を戻し、犯人は沈黙を続ける。陣は舌打ちをして、「埒が明かねえ」とスマホで電話をかけようとした。少年の目が不安に揺れる。

「ま、待ってください、」

 そこでようやく、少年が蚊の鳴くような声を発した。

「あ?」

「こ、この島にある施設じゃあ、ま、万引きが起きても、その分のポイントは学校から補填される契約なんですよね? ってことは、実際には被害はないってことでしょ?」

 その言葉に、陣がまたしてもその目に炎を宿す。

「だから、おれのことは言わなくても……」

「てめえ……」

 堪忍袋の緒が切れたとはこのことか。まずい。そう思った次の瞬間には、陣は少年の胸ぐらを掴み上げていた。やばい、止めないと――つばめが手を伸ばしたのと同時に、自然に立ち上がる形になった少年は、「ひい」と情けない声を上げ、必死で助けを求めるように叫んだ。

「お、脅されたんですっ‼」

「あ?」

「万引きしないと秘密をばらすって、脅されたんです! ごめんなさい! 本当にごめんなさいい!」

 陣の手首にすがるように、少年が必死に訴える。

「間違ったことしたって、わかってます! でも、おれの話も聞いてほしいんですっ!」

「とりあえず名乗れよ。お前」

「……三年七組、佐久間さくま隼人はやと、です」

 二つも年上のようには見えなかった。一年生の陣の方が、よっぽど大きく見える。陣が手を放したので、佐久間と名乗った少年はその場に倒れこみ、観念したかのように両手を畳につく。そして時折つかえながら、その罪を告白し始めた。

「やりたくてやったわけじゃないんです。漫画が欲しかったわけでもないんです」

「うるせえ、最初から説明しろ」

「そ、それは……」

 こぶしを握り締め、くちびるを噛みしめる少年の姿にいらだちを隠さず、陣が貧乏ゆすりを始める。やがてしぼりだすように、少年がその罪を告白し始めた。

「お、おれ、昔、一度だけ、別の店で、ま、万引きをしたことがあって」

「お前……」

 あきれ果てたような陣の声。

「か、彼女にすごい高いネックレスをねだられて……。出来心で盗っちゃったんです……。バカなことしたって、思ってます。でも、それ以降、知らないやつからメールが着て……ほら!」

 佐久間はジーンズのポケットからスマホを取りだし、おたおたと操作してから、まるで印籠のようにラインの画面を見せる。

「『万引きしたことを知られたくなかったら、指示に従え』……?」

「そうなんです! 送り主は、ネックレスを万引きしたときの動画を持っているらしいんです。それから月に一回くらい、指定された店で万引きしろって連絡がきて。バレるのが怖くて、やるしかなかったんです……! マジですんませんでした‼」

 そう言って佐久間は、まるでお手本のような土下座を見せた。ハラハラしながら見守る。それぞれの思惑が交差する沈黙。やがて陣は組んだ腕を下ろし、丸まった背中の襟首をひっつかんで顔を上げさせた。

「誰だ」

「え?」

「そのメールの送り主は誰だって言ってんだよ」

「それは、」

 佐久間にも全く見当がつかないのだという。この島には月に一度、本土から色々な商店が来島し、大規模な催事が開かれる。普段はお目にかかれない商品がずらりと並ぶので、当日は大量の生徒が押し寄せるらしい。ネックレスを万引きしたのはそのときで、アクセサリー屋も大繁盛しており、誰に見られていてもおかしくないとのことだった。

「万引きした商品はどうやって渡すんだ。必ず接点はあるはずだろ」

「それが、盗んだものに関しては、なにも言わないんです。いつも日時とターゲットの店を指定されて、なんでもいいから一つ盗め、って言われるだけで……」

「はあ? なんのためにそんなことすんだよ」

「おれにも分かんないんですよ! 後で戦利品の写真送らされるだけで、他にはなにも言ってこないし! それからまたひと月に一度のペースで、また同じように新しく指令が下されて……。それの繰り返しだったんです!」

 なんとも奇妙な話だった。つばめは首をひねる。佐久間の言うことが本当なら、万引きを仕向けた犯人たちの目的は何だろう。陣に目を向けると、心底胡散臭そうな表情で佐久間を見下ろしていた。

「ほんとなんですう……」

 だが確かにメッセージアプリは、彼の言ったとおりのメッセージを受信していた。そしてそこから遡ること一年間、日付はバラバラだが、ほぼ月に一度のペースで指令が送られている。

 ターゲットになっているのは、すべてショッピングエリアにある、スーパー、コンビニ、雑貨屋の三つだった。メッセージの履歴を見る限り、主にこの決まった三種類の店が順番に狙われており、佐倉堂に矛先が向けられたのは今回が初めてのようだった。

「一年前から万引きしてたのか?」

 怒りを隠さず、地獄の底から響くような声で、陣が問う。

「だ、だから! 脅されてたって言ってるじゃないですか! おれだって、やりたくてやったわけじゃないんです!」

 しかしそれは、彼が自発的に行った、ネックレスの万引きが発端になっているわけで、彼に落ち度がないとは言い難い。

 そこまで考えて、つばめはふと、気になったことを口にした。

「あの、佐久間さん。そのネックレスは結局どうしたんですか?」

「……彼女にあげたよ。そのために盗んだんだから」

 どこか恨めし気な目で、佐久間がつばめを一瞥する。

「その女は知ってるのか? そのネックレスが盗品だってこと」

「それは……別に一緒に買いに行ったわけじゃないし、知らないはず、です」

「その女の名前を教えろ」

「え、」

 それまでよどみなく言い訳を並べていた口の、歯切れが急に悪くなる。痛いところをつかれたと言わんばかりの態度に、陣が目を細めた。

「それは……。その、いまは連絡が取れなくて。その、えっと、」

「はあ? なんでだよ」

「……それは、その」

「……なるほどな」

 陣が何かを悟ったように、鼻で笑う。

「万引きしてまで貢いだ女に振られ、それをネタにゆすられ、ビビッて毎月ごそごそ万引きしてたってか」

「そ、それは……」

「みっともねえな、あんた」

 だがその言葉は、少なからず少年のプライドを傷つけたようだった。だがおおむね間違ってはいなかったのか、佐久間は口を開きかけては閉じるのを繰り返したあと、結局口を閉ざしてしまった。

「もういい。言い訳の時間は終わりだ」

「えっ……」

「あれれ、どうして閉めてるの? なにかトラブルでもあった~?」

 そのとき、ドアが開く音と共に、雰囲気をぶち壊すほどののんきな声がした。ごそごそと音がしたあと、レジの方からにょき、と佐倉が顔を出す。

「おやおや」

 畳に座り込む見知らぬ少年と、おろおろしている新人と、閻魔大王みたいな顔をしている陣という、なんとも奇天烈な光景を前に、腰をさすりながら、店主は目を丸くして苦笑した。

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