眠り姫
街の賑やかな灯りを離れて僕たちが向かったのは案内人の家だ。
案内人の妹は家で眠ったままだという。
それが本当なら治癒魔術で治さなきゃならない。
「暗くてよく見えないわね。灯りは無いの?」
リゼットは部屋を物色する手を止めて天井を眺める。
岩壁をくり抜いただけというには、奥行きもあって部屋も複数あるようだ。
壁を撫でると魔術で形成したような幾何学的な模様が残っている。
「もしかしてこれ、魔素に反応する回路みたいなものか?」
僕は幾何学模様に手を当てて、空気中の魔素を流し込む。
ポーンという音が鳴って、幾何学模様に灯りが点いた。
白い灯りが水路のように模様を辿って部屋じゅうに行き渡る。
「へえ! すごいわね、ヨヴィ。こんな仕組みって見たことないわ」
「僕もだ。ここは古くから魔術を使える人が住んでいた街だったんだろうな」
洞窟の街は街全体が古代遺跡だったようだ。
今や魔石の採掘場になっているが、魔石は今や文明を成り立たせるほど重要な素材と言える。
ちなみに街道に魔物が出ないのも魔石の効果だ。
「こっちに部屋があるわよ」
「いま行く」
◆
奥まった部屋の寝台に彼女は眠っていた。
年齢は三十ほどか。
栗色の髪を束ね、首元に見える寝間着は襟がきちんと折られている。
「こんにちは。ええと、あなたのお兄さんに頼まれた神官のヨヴィです」
「……」
返事が無いので近づいて、彼女を見下ろす形になった。
頬はふっくらしており、血色もよく、健康そうだ。
薄い生地をタオルケットみたいに掛けている。
「あの、生きてますか?」
よく見ると胸のあたりが上下しておらず、呼吸音も聞こえない。
むしろ背後に居るリゼットの深い溜息が聞こえてくる始末だ。
「ヨヴィ、この人は死んでるわ」
「えっ!?」
嘘だろ。
どう見たって生きているようにしか見えない。
「もっとよく見なさい」
言われるがままに女性を観察する。
肌の色は何かパウダーで化粧されている。
特に首周りには化粧が層になってひび割れていた。
「もう何日も動かないだけってわけでもなさそうだな」
ひび割れの合間に見えた本来の肌は黒く土気色をしていた。
間違いなく死んでいる。
「はぁ……」
ため息を吐きながら振り向くと、腕を組んだリゼットが壁に寄りかかっているのが見えた。
先にこの部屋を見つけたから死んでるのを確認していたのだろう。
「そういうのは早く言ってくれ」
「はぁ、なんでよ?」
「実は死体だったって知ったらびっくりするじゃないか」
「死体なんて珍しくもないと思うけど」
それはそうだが、今は違う。
「だっておかしいだろ。死んだ体は腐敗する。これを見てみろよ」
「……眠ってるみたいね」
リゼットもその異常さに気づいたようで、目を閉じてうつむく。
理由を考えているようだ。
しばらく待つ。
「まるで分からないわね」
たった数秒で顔を上げたリゼットは首をかしげた。
死んだのに腐敗しない謎、それは。
「たぶん魔素中毒死だ」
「ああ、あの頭が回らなくなるアレのことね」
ぐでんぐでんに寄ったリゼットの姿を思い出す。
「そう、アレだよ。酔うのは最初だけで、慢性的に魔素を取り込んでいると最終的に体が石になる」
「ええ、そうなの?」
リゼットは自分を抱くように腕を回した。
「大丈夫だよ。何年も濃い魔素に触れなければ心配するような病気じゃない」
だが、この街は魔石採掘によって魔素が異様に濃い。
魔素にふれることは治癒能力を高め、気分を高揚させるメリットがある。
だが、摂りすぎるとこの女性のように死に至り、常に体が治癒されて腐らなくなる。
「公害だな。僕がこの人にしてあげられることは何も無い」
死者を蘇らせることは魔術でも不可能だ。
だからせめて彼女が安らかに眠れるように祈ろう。
布から出ていた女性の手を取ると、か細い声が聞こえてくる。
『ありがとう、兄さん。でも、もう大丈夫だよ』
ああ、これは彼女の想いだ。
どうやら案内人の頑張りを彼女は見ていたようだ。
祈りを捧げ、女性の顔を見ると、安らかに眠っているように見えた。
◆
「また街に戻ってきてどうするのよ」
僕は露天通りの真ん中に来た。
この街の中心で、どうしてもやっておくことが出来たからだ。
「たぶん邪魔が入ると思うから、リゼットは僕を守ってほしい」
「はあ? ちゃんと説明しなさいよ!」
「案内人のおっさんの妹の想いを叶えるんだよ!」
「意味わかんないわ」
と言いながらもリゼットは荷物を置いて、戦いの構えを取った。
僕は両手を天高く上げる。
「我が右手に水の力を宿して集め」
心を鎮める。
潤素は静けさを好む。
頭上に大きな水の球体がぷかぷか浮かぶ。
「我が左手に風の力を宿して集め」
草原の景色を思い出す。
風素は自由を求める。
水球は歪みながら、巨大化していく。
「何をしてるんだお前!」
街の誰かが叫んだ。
僕が返事をしなかったから、事のおかしさに気づいたようだ。
やめさせようと向かってきた男をリゼットが突き飛ばす。
「雲よ広がれ、洞窟を覆いつくせ!」
水球は蒸発してモクモクと立ち上った。
砂漠にも洞窟にも無かった湿度がじんわりと感じられる。
右手首を左手で握り、振り下ろす。
「
その詠唱にリゼットが振り向いた。
「あんた、いったい何を……!」
ぽつりと雨が降る。
瞬く間に空のない洞窟の街に大雨が降り注いだ。
人々は慌てて屋根のある場所へ逃げ込む。
「リゼット、逃げよう!」
「ちょっとどういうこと? えっ?」
説明ばかり求めるリゼットの手を引いて僕は走った。
雨で服が濡れても、靴が水溜りに突っ込んでも、関係なかった。
◆
街を外れたところにやってきた。
人目を避けて洞窟の坂を転げるように下る。
きっと追いかけられることもないだろう。
「どういうことか説明して」
ずぶ濡れになったリゼットが睨みつけてきた。
仕方ないから理由を話した。
ちょっと面倒だから概要は端折ったけども。
「つまりあんたは地下深くの魔石を水に沈めて、洞窟内の魔素の濃度を下げたってこと?」
「そういうこと。これで案内人の妹さんみたいに魔素中毒になる人はもう出ないはずだ」
加えておくなら、充満した魔素が薄まるまでは雨は降り止まない。
これで何十年分の溜まった魔素を浄化できる。
いずれ街じゅうの人から抗議がくるだろうなぁ。
次の街の教会で怒られるに違いない。
「だからって洞窟の中に雨を降らすなんて……ふっ」
こらえきれなくなったリゼットの笑い声が洞窟に響いた。
でもすぐに雨音がそれを遮る。
僕たちは土砂降りの洞窟を進んだ。
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