思い違い
結果から言うと、男二人は私刑を行わなかった。
中性的な男が下層で働かされていた男たちを露天通りに集めて、男たちの前に両手両足を縛った案内人を転がしたのだ。
民衆に紛れて僕とリゼットは事の始まりを目撃する。
ただ、その後の顛末を僕は直視できなかった。
殴る蹴るの鈍い音がして、案内人が悲鳴を上げる。
「家で眠ったままの妹を治したら返す! 約束する! だから」
そんな情けは通用しなかった。
「嘘をつくな! お前なんかやっぱり信じるんじゃなかった!」
怒りの声と悲鳴でぐちゃぐちゃになっていた。
関係のない民衆も寄ってたかって盛り上がっている。
僕はもちろん善行だとは思わない。
「わたし、こんなつもりじゃなかったのに」
この光景に傷ついたのは僕だけじゃなかった。
いや、もしかすると僕よりも彼女の方が事の重さを感じているのかもしれない。
リゼットは人混みを掻き分けて、騒ぎの中心から離れていく。
「待ってよ、リゼット!」
◆
追いついたのは街外れの横穴住宅群そばだった。
ガス燈の灯りが届くギリギリの所で、リゼットは項垂れている。
掛ける言葉が見つからなかった。
「これは勇者を騙ったわたしへの罰なのね」
声は諦念が籠もり、湿っている。
これはリゼットが負うべくして負った因果応報だ。
リゼットが喧伝してきたそれは、子どもが真似して勇者を名乗るのとはワケが違う。
憐れみの目を向ける母親がいた。
不敬だと怒りを露わにする兵士もいた。
子どもたちは「もう大きいのにまだ勇者ごっこ?」と信じなかった。
僕も勇者がエイミだと知ってから、リゼットが勇者を自称するのは少し嫌だった。
街道を外れたあたりからエイミは今までより多く勇者を喧伝し始めた。
罪人が辿り着くという旧魔王領へ、誰かを探しに行こうとする少女、リゼット。
「リゼット、僕は一つ分かったことがあるんだ」
人に危害を加える行為を躊躇なく行おうとする倫理観について、さっきまでの僕は理解できていなかった。
でも、今なら分かる。
あの時、僕は勇者と名乗った男を魔術で吹き飛ばし、もしそれで死んでしまっても構わないと感じていた。
「僕は
それは同じことなのだ。
僕の命を奪おうとする相手にリゼットは容赦をしなかっただけのこと。
なにが、人殺しを止めなきゃならない、だ。
とんだ思い違いをしていた。
「何とかリゼットの助けになりたい。だから、一つ、訊いてもいい?」
僕は暗がりに足を踏み込む。
リゼットは俯いたまま逃げようともしない。
それを肯定と受け取った。
「なぜリゼットは勇者を名乗っているの?」
怖くてずっと訊けなかった質問がやっと言えた。
その回答はもう分かっている。
これは確認のための質問だ。
リゼットはしばらく押し黙った。
僕は答えるのを待ち、彼女はやっと重たい口を開く。
「ある男を殺すため。彼は勇者を憎んでいるから」
自分が勇者を名乗って、囮になろうとした、ということか。
つまり、この世界のどこかに勇者を憎むような奴が居る。
まったく想像もつかないが、リゼットが嘘をつくわけがない。
「ありがとう、答えてくれて」
「それ以上は聞かないのね」
リゼットみたいな優しい奴が、殺したいほど憎い相手。
きっと彼女も大切な何かを失ったのだろう。
そんなことは聞かなくても分かる。
「……ありがとう。ずっと黙って旅の案内役をさせて、ごめん」
コートの裾をくしゃくしゃになるほど握りしめ、僕に背中を向けた。
ガス燈の灯りが届かない暗闇へと踏み出す。
「行くなよ」
僕はリゼットの手を握った。
まだ十代の少女の手がこんなに震えて冷たくなっている。
「一緒に居ればあんたもあいつに目をつけられる」
「いいよ」
「なんで!」
声を荒らげて僕の手を振りほどこうと暴れた。
男を軽々と持ち上げるような怪力女なのに、僕の腕はもげることも無い。
たぶん復讐相手だって一撃で倒せる馬鹿力をリゼットは持ってる。
「復讐が終わった時、リゼットを一人ぼっちにしたくないんだ」
「は? 何よ、それ」
「救われたお礼」
大聖堂の街で僕はタカ先生の呼び出しも老司祭の使いもすべてに目をそらし耳を塞いでいた。
この世界にエイミが居ないと知った孤独はあなたたちには分からない。
彼らが僕を本当に心配しているのはもちろん知っていたけど、失ったことのない人間の優しさなんか本物じゃないからだ。
貴族や金持ちの優しさを受け入れられないくせに、まるで知らない人から乞食として施しをもらう矛盾を抱えていた。
そんな時、出会ったのが自分本位で生きている少女だった。
彼女と旅をすることになって、少しずつだけど孤独は和らいでいった。
孤独を和らげるのは赤の他人が隣を歩いていることに気づくことだったんだ。
「リゼット、僕と一緒に旅をしよう」
そしてガス燈の灯りが届かない暗闇へ踏み出す。
この道の先に希望がなくても独りより二人の方がマシだろう。
隣を歩くリゼットの顔を一切見なかった。
見なくても握り締める手の強さで繋がっていたからだ。
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