8 信じる者は救われる街

洞窟

 草原の民が砂漠の街へ行こうとするならば、わざわざ砂漠を突っ切る必要はない。

 大半の人間は洞窟を抜ける。

 砂漠側から来た僕には、切り立った崖を真っ二つに割った谷のように見えた。


 谷の端が日光を垂直に遮って、きっぱりと光と影の領域が分かたれている。

 影の領域はそれまでの暑さが嘘みたいに消え去り、湿潤な冷気が足元に忍び寄る程。


「滑りそうだ。ここからは馬を引いていこう」


 背後を歩くリゼットに声をかける。

 リゼットは金髪碧眼の整った顔立ちを僕に向け、颯爽と馬から降り立った。

 首元まで隠すコートのくせに太ももを露出しており、降り立つ時に際どい所が見えかけて慌てて目をそらす。


「どうしたの? 下を向いて」


「……宗教上の理由」


 手綱を引いて奥へ進むと、妙に体が軽くなった気がした。

 歩けば歩くほど疲れが癒えていく。


「不思議な場所ね。なんだか早く先へ進みたくなってきたわ」


 リゼットが僕を追い越した。

 岩肌に設置された松明の火がボウッと揺れて、洞窟の空気がキラキラと星空のように輝く。


「わあ、きれい」


 リゼットが感嘆をもらす一方で、僕はその煌めきが七色だと気づいた。


「魔素だ。それもこんなに多く」


 この洞窟は魔素に満ちている。

 リゼットが星を映したような瞳で僕に問う。


「魔素って、あんたたち神官が使うのに必要なあれよね」


「うん。魔素は魔術の源になる粒子で、普段は見えないんだけど」


 ここまで濃度が高いと、はっきり言って毒だ。

 疲労の回復や気分の高揚がその証拠。


 一種の酩酊状態になるらしい。

 飲酒の経験が無いからわからないが。


「じゃあここでならどんな魔術も使い放題じゃない」


 リゼットは楽しげにくるりと回った。

 こんなにはしゃいでいるのは初めて見る。


「魔術は反動がある。悪い影響が出てるみたいだし、早く洞窟を抜けよう」


「えー、わたしはもう少し居たいなー」


「街で聞いただろう。盗賊も出るんだって」


「そんなのわたしがやっつけてやるわ! せいっ、やっ!」


 エア武術を披露する声が洞窟に反響する。

 道なりに左右から音が跳ね返ってくるが、奥の方からは聞こえなかった。

 かなり深く長い洞窟だ。


「リゼット、少し落ち着いた方が良いよ。先は長い。体力もたないぞ」


「ははっ、わたしの体力は無限なの知らないのかしら?」


 決め顔を返してきたが説得力ゼロだ。


「なに言ってんだよ。砂漠で倒れかけただろ」


「おぼえてないー」


 まいったな。

 酔っ払いみたいになっている。

 僕はぐでぐでのリゼットを引きずるようにして洞窟を進んだ。



 ◆



 洞窟を進んだ先で、四差路に出た。

 大きくて水が流れる横穴、細長くて下に向かう横穴、天井が低くて平らな横穴。

 いずれも案内が出ていない。


「どこに進むべきか……」


 顎に手を当てて思案していると、低い天井の横穴から松明の不安定な光が見えた。

 中腰になった男が出てきて、反射的に松明の炎をこちらに向ける。

 僕を見るなり、彼は黒目を丸くした。


「おっとっと! こりゃ驚いた。裏穴に人が居るとはの」


 声はしゃがれて、老人のようだったが、男は四十代くらいに見える。

 砂漠の民と似ているが、少し違う。

 色黒で、髪と無精髭は暗い色で、瞳は黄色味がかっているが、鼻は丸くて、背は低く、腰から下がガッシリとした体格だ。


 ボロな身なりだが、大きなリュックを背負い、肩にロープを巻いた格好は旅人風だが、靴が長距離用のものじゃない。

 それに黄色い目立つ角帽子を被っている。

 もしかすると。


「あなたはこの洞窟にある街の人ですか?」


「そうじゃとも。そういうあんさんは……、神官さまか! おお、この巡り合いに感謝を」


 男はその場に膝を付いて、両の掌を僕へ向けて頭の上に掲げた。

 これは捧げの礼だ。

 自らの掌を天に詳らかにし、何も隠さぬ者だと白状する信徒の挨拶である。


「ええと……、神はあなたの白状を受け入れるだろう。心の中で罪を思い出し、神へ捧げなさい」


 あ、そうか。

 僕はぎこちなく男の両指をつまんだ。

 それを合図に男はぶつぶつと呟いている。


 何らかの罪を告白する礼だ。

 巡礼者はそんな彼らの罪を神に届ける役目もある。

 彼にどんな罪があるのかなんて僕はちっとも想像できないが。


「捧げます」


 それを最後に男は立ち上がって、深呼吸をする。

 胸に手を当てると僕をじっと見つめた。

 すこし戸惑いの色が見て取れる。


 まあ、僕の対応が覚束ないからだろう。

 僕は耐えきれなくなって、笑顔でその場を取り繕った。


「へへ、すいません。実は捧げの礼を受けたのはこの巡礼で初めてだったんです」


「おっとっと! そうじゃないかと思ったわい。あんさん程の若い巡礼者はわしも初めてだ」


 実は最年少の神官なんだと答えると男はさらに目を丸くした。


「わしは運が良い。誉れ高い方を案内できるなんてな」


「案内してくれるんですか?」


「もちろんだとも。わしはこの洞窟の案内人じゃよ。それに素人が裏穴から戻るのは難しかろう」


 裏穴というのはどうやら横道みたいな意味らしく、僕らは知らずのうちに本道を外れていたようだ。


「運が良いのは僕らの方ですよ」


 言葉の通りだ。

 魔素酔いのリゼットのためだと思って先を急ぐあまり道に迷っていたらしょうがない。

 ここは男の好意に甘んじて僕らは洞窟を進んだ。

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