赤い花

「ヨヴィ! お願い、息して……!」


 頭がキーンと痛んだ。眼の前に青空が広がっていた。

 それから鼻の奥が苦しくなって、ゴホゴホとむせながら呼吸を繰り返す。

 正座だけど手は地面に付いた半端な姿勢になった。


「はぁ、はぁっ。僕、まだ生きてるのか」


 泉に僕の黒髪とブルーの瞳が見える。

 滴るしずくが波紋をつくった。

 歪んだ顔の僕が映っていた。


「生きてるわよ! なんであんたはいつもそうなの!?」


 隣でリゼットが怒鳴った。

 魔法のことだ。

 触れた物に宿った想いを聞けるのだけど、最近は意識が持っていかれ気味。


「ははは、ごめん。ちょっと制御しづらい魔法でさ」


「そうじゃなくて、涙」


 ああ、こっちか。

 こんなの魔法を使った副作用でしかない。


「これは良いんだ。痛くもないし、悲しくも、無い。勝手に流れるんだから生理反応だよ」


「涙ってそんなに軽いものじゃないと思うわ」


 なんだろうなあ、煩わしいのかなぁ。

 リゼットは僕が置いていくつもりの気持ちをわざわざ拾ってくる。

 うるさいけど、嫌な気はしない。


「それじゃあ少し胸を貸してよ。思う存分に泣いてやる」


「勝手に泣きなさいよ。そういうあんたに貸す胸なんて無いんだから」


 頭を預けようとしたのに空を切って、僕はよろめく。

 リゼットが僕の頭を片手で押さえた。

 そのまま押し返すこともしなかったのを不思議に思った時、背後から声がする。


「間違いない、聖女の生まれ変わりなのだ!」


 このアホっぽい声色は昨晩の占い師だ。

 僕は、何しに来たんだ、とばかりに振り向きざまのガンを飛ばす。


「ひぇぇんっ」


 昼間だからか、いくらか落ち着いた格好をしたお姉さんは、情けない顔で身を縮こませた。


「こら、威嚇するな」


 べしっと脳天をチョップされた。

 痛い。

 くそう、あえて言葉にしておくと、僕はこの占い師が嫌いだ。


「昨日の今日で、また変なことを言うからだ」


「わらわは変なことなど言っておらぬぞ。お主は泉を割ったではないかー!」


 占い師が勢いよく泉を指さすと、幾何学模様のケープがはためいた。

 それに、泉を割った、というニュアンスには誇張がある。


「単なる魔術だよ。僕が聖職者なのはあなたもご存知のはずだ」


「魔術を使えるのは高位の者だけだと聞いたのだ」


「僕は神官だ。巡礼の旅をしている」


「ぬぁんと!」


 変なポーズで占い師が固まった。

 そうか、教会も無いような場所だとこの反応になるのか。


 司祭プリーストになると、修道院か大聖堂でしか見る機会は無いもんな。

 ちなみに司祭の中に神官、聖神官みたいな細かい括りがあり、僕はそこに位置する巡礼神官である。


「どうだ、驚いたか」


「いや……、異教徒の街で神父まがいのことをする悪どい男だと思っていたのだ」


「この! あいたっ」


 リゼットが僕の頭を叩いた。

 そのまま僕と占い師の間に割って入る。


「ヨヴィはムキにならないことね」と指摘して、占い師の鼻先に指をさし、「あんたも思ったことをすぐ口にするんじゃないわ」と厳しく言い聞かせた。

 僕たちが静かになったところで、リゼットは僕の服を引っ張る。


「ところで聖女と言ったわね。シスターのことでしょう? こいつがそう見えるのかしら?」


 言外に、わたしじゃなくて、と主張している。

 占い師は泉に遠い目を向けた。


「いや、違うのだ。わらわの言う聖女は、この街に伝わる昔話だぞよ」


「なによ、昔話って」


 占い師はリゼットの問いに、すらすらと答え始める。


「オアシスを作った聖女の話なのだ」


 彼女の話に僕たちは耳を傾けた。


「この涸れた大地はいくつかの村があって、水を巡って何度も戦争を繰り返した」


 それは記憶の中でうんざりするほど味わった。


「ある時、村に訪れた旅人の女性が、そんなわらわたちを見て泣いたのだ。何日も、何日も」


 ……まさかそれがエイミだったのだろうか。


「やがて涙が溜まって出来たのがこの泉だと伝わっておる」


 そんなわけがない。

 時を経た口伝に尾ひれが付いたのだろう。


「泉のおかげで争いが無くなったのだ。一度は廃れた雨乞いの儀式も今は占いとして残り、この街を栄えさせておる」


 自慢げな物言いを見るに、占いは街の人の誇りなのだとうかがえた。


「ところで、あなたは何をしにここへ?」


「花を摘みに来たのだ」


 水面に浮いた赤い花を指さし、もう片方の手でハサミをチョキンと鳴らした。


「そういえば、この街はどの家にも赤い花が飾ってあるね」


「聖女の涙から咲く花なのだ。きれいだろう?」


 占い師は摘み取った花を顔の横に掲げた。

 屈託のない笑顔をする。

 まるで花が二輪並んでいるようだった。


 この顔、そうか。

 赤い花はエイミがかばった子どもが、感謝の印に贈ったものだ。


「うん、きれいだね」



 ◆



 街を出た後、ある商人から赤い花の秘密を知った。

 あれは長い根を伸ばし、地下深くの水源を見つける花なのだという。

 そして、砂漠のオアシスが生まれたワケか。


「たった一つの優しさが戦争を終わらせることもあるんだな」


「何の話?」


 リゼットが僕の独り言に首を傾げた。


「こっちの話だ。それより、勇者エイミが砂漠に居たなら水を求めるはずだ。水がありそうな場所を目指そう」


「わたし、最初からそのつもりだったんだけど。置いてくわよ、ヨヴィ」


 先を行くリゼットの背を追う。


 この道程で、エイミは絶望の淵に立たされたに違いない。

 しかしそれでも生きようとしたはずだ。

 僕が乞食をして食いつないだように。


 そう思うことで、僕は心がゴワゴワとする感覚を忘れようとした。

 僕は妹の絶望を直視できなかったから。

 ごめんよ、エイミ……。

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