戦争
『お兄ちゃんがこの世界に居ない?』
最初に聞こえたのは戸惑いの声だった。
いよいよ
なあ、エイミ、お前はどうした?
女神の最低最悪ないたずらを、どう受け止めた?
こんな世界はクソ喰らえってなんで投げ出さなかったんだ?
『どうしてっ!? お兄ちゃん!!』
エイミ!
眼の前にエイミがいた。
『どこにいるの!? ねぇッ』
必死になって探す顔は今にも泣き出しそうで。
僕はエイミに手を伸ばした。
「エイミ! ここだ!!」
手はエイミの体をすり抜ける。
仕方ない、これは記憶なのだから。
「お兄ちゃんだぞ。ここにいるよ、エイミ!」
記憶なんだと分かってる。
それでも怖がる妹を前に声をかけない兄がいるものか。
抱きとめようとしたが、ぬくもりの一つも感じ取れず、するりと通り抜けた。
「エイミ……っ!?」
振り向いた僕は息が止まった。
丸い家々が点在するそこは過去のオアシスの街だ。
だが、街じゅうに満ちているのは砂と血と殺気だった。
『殺せぇ! こいつらが水を隠している!!』
三人の男たちが家の壁を鉄鍬や鎌で叩いた。
ひとりが鉄球の付いた棒を振り回し、丸い屋根は半壊する。
『水だ、水をよこせっ』
悲鳴がした。
子供の泣き声がした。
血みどろの男が『母ちゃん……』と呟いて事切れた。
僕は見てられなくて耳を両手で押さえてうずくまった。
それでも、ひゅん、とか、きん、とか物騒な音が諸所から聞こえてくる。
戦争だ、戦争の中にいるんだ。
僕は人の想いを聞く魔法がどんなに恐ろしいものなのか嫌というほど分かった。
大量の感情に嬲られる。
分類できない大勢の想いは唯一つの強い意思を持っていた。
「死にたくないっ」
なんでこんなことになったんだろう。
僕はただ喉が乾いていただけ。畑を潤したかっただけ。
生まれたばっかの赤ん坊にも乳をやれねえって嘆く嫁さんがいる。
それがどうして隣村の奴らと争ってるんだ。
僕の村の誰かが水を隠し持ってるだとか吹聴した奴がいる。
許せない。奴ら殺しにくる。殺さなきゃ殺されるのはこっちだ。
「殺せぇ!」
僕は鎚を持った。
壁を破った男を殴った。
他の二人が青い顔をした。
殴った。殺した。
また奴らが来た。
死ね。
殺せなかった。
腕が軽くなった。
頭がさーっと冷たくなった。
割れた天井の向こうに青空が見えた。
ふと隣を見た。
嫁が死んでいた。
意味不明だ。
本当に意味不明だった。
口からごぼごぼと音がして、溢れ出る血に溺れていく。
死に沈む。
「はあぁっ、これはっ、僕じゃない!」
死の間際、僕は僕であることを思い出した。
亡霊の記憶を追体験したのだと思う。
意識を持っていかれずに済んだのはこの声がしたから。
『泣かないで、大丈夫。私がついてるからね』
エイミの声を頼りに体を引きずる。
崩れた民家の陰でエイミが幼い子どもをかばっている姿が見えた。
子どもの装いはこの街の者ではない。
身なりからして商人の子どもだろうと推測する。
エイミは剣を抜いて、背中に子どもを隠した。
今にも泣きそうな顔をしているくせに、街で暴れる男たちを近づけまいとしている。
「エイミ、こんな時でも放っておけないのか」
僕の妹はそういう奴だ。
だから僕もエイミと子どもをかばうように抱きしめる。
記憶だからすり抜けてしまうけど、それで良かった。
しばらくして争いが静かになる。
『ありがとう、お姉ちゃん』
子どもはエイミに花を渡した。
どこかで見た赤くて大きな一輪の花だ。
子どもは花のように笑顔になって、エイミもつられて笑みを浮かべた。
良かったな、エイミ。
その時、足元に水が流れ込んでくる。
本物の冷たい感触が僕の意識を夢の世界から洗い流した。
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