変
僕らは霧深い岩の間を馬の手綱を引いてゆっくりと歩を進める。
どんな危険があるか分からないからだ。
「ヨヴィ」
リゼットが僕を呼んだ。
それは別に珍しいことじゃないけれど、すがるような口調だったので心配になる。
「どうしたの?」
「あの人、言ってたわよね。霧の死神がどうとか……」
ああ、それで気を揉んでいたのか。
「居ないよ。彼も神官の端くれなら、死神なんて言わない。神は女神レゾンの一柱のみだからね」
そして僕が思うに女神レゾンは死神でもある。
救済という名目で僕をこの世界に転生させたあの銀髪緑眼はとんだ詐欺師だ。
もしもあいつが出てくるんなら、なぜ僕たちを時代違いで転生させたのか問い詰めなきゃならない。
「それは教会の理屈でしょ」
「……まあそうだけど」
特に言い返す言葉も見つからず、僕らは黙って歩き始める。
湿った地面のせいで足音もしない。
僕の気配すらも飲み込まれそうなほどの静寂に感じられると、不安が染みのように広がった。
「リゼット」
僕はリゼットを呼んだ。
もしかしたらすがるような口調になっていたかもしれない。
……。
返事がなかった。
おい、まさか。
僕は足を止めてあわてて振り向くと、そこにはちゃんと碧い瞳の少女が居た。
「なんだ。居るなら返事してよ。心配したじゃないか」
「やっぱりあんたも霧の死神が怖いんじゃない」
「うぐ」
痛い所を突かれた。
「じゃあ、こうしよう。霧を抜けるまで互いに何か話をするんだ。そうすればいちいち名前を呼び合う必要もない」
「ヨヴィにしては良い提案ね」
リゼットは指を鳴らし、その手で僕を指さした。
ああ、まずは僕からってことか。
歩き始めて、言葉に詰まった。
「……ええと」
何を話そう。
歩みを進めながらちらりとリゼットを一瞥するが、彼女が口を開く気配はない。
「えっと、いい天気だね」
「最悪でしょ」
あほか、僕は。
今までリゼットと話そうと思って話してこなかった。
本当は聞きたいことが山程ある。
服のこと、戦士のこと、怪力のこと。
でも、今は話すべきじゃないと線引きしていた。
話してしまえばきっと彼女の物語に踏み込むことになる。
正直、怖い。
「なら、リゼットの好きなものは何?」
僕は逃げるように質問を切り替えた。
「別に」
リゼットは答えなかった。
会話が終了する。
死神が静寂という形式で忍び寄っていた。
「いや、あるよね。実はかわいいもの好きじゃん」
「は? 別に好きじゃないし」
前にちょっとしたプレゼントをした時、ぼそっとかわいいって言ってたのを僕は聞き逃さなかった。
リゼットは素直じゃないなぁ。
「きみがかわいいもの好きなのを誤魔化す意味って何かあるの?」
「そんなの勇者さまらしくないじゃない」
そういえば、自称勇者だった。
「たぶん勇者はかわいいもの好きだぞ」
かつて僕が子供の時、エイミに花のヘアピンをあげたことがある。
その時、かわいいってすごく喜んでいた。
斜め後ろからじっとりとした視線を感じる。
「なんでそんなこと分かるのよ」
僕は勇者が僕の妹だったことをリゼットにも打ち明けていない。
怪しまれるのも当然だった。
「なんとなくだよ。神官の勘」
「うそくさ。ま、別にいいけど。それにあんたは勇者さまが関わると変になるもの」
「変ってどこが?」
「今だってそうよ。ずっと勇者さまの石碑を探してる」
まっとうな指摘だった。
僕は霧の中でも
こんな不気味な場所でも正気を保っていられるのはそのせいかもしれない。
「その通りだ。ここに迷い込んだのもそのせいだ。巻き込んでごめん」
目先のことに囚われて、全体を疎かにした。
でも、何かあるかもしれない、という期待は消えない。
それこそが『変』になるのだとは承知の上だった。
「……いいわよ。それがあんたの旅なんだから」
いつも言い方がキツイくせに。
「本当は良い奴だよね、リゼットって」
「うっさい」
ゲシッと足を蹴られた。
痛い。
「ごめんごめん」
平謝りする。
その時、リーン、と鐘の音がした。
◆
またも狭い岩の隙間があった。
僕らはそこを通り過ぎると、ふたたび、リーン、と鳴った。
「だれだッ」
青い顔の男が霧の中から飛び出てきた。
ぼろぼろの衣服だが、間違いなく神官の衣である。
手足はげっそりと痩せ細り、枯れ枝のような指を僕らに向けた。
「ひぃぃぃ! 死者だ!」
僕はリゼットと顔を見合わせた。
リゼットは血色が良いし、とても死んでいるようには思えない。
戸惑いと怯えが同居した表情をしてはいるけれど。
「落ち着いてください。僕たちは死んでなんかいません」
男に向き直る。
しかし、男はびくりと肩を震わせて、錫杖を振り回した。
ガラガラと錫杖の先の鐘が狂い鳴る。
「来るなッ! この死者め! 俺を連れて行くんだろう!?」
ガラガラ。
リゼットは男から距離を取った。
「行きましょう。こんな奴、話しても無駄よ」
でも、僕は彼を置いていくなんて出来なかった。
こうしてまた巡り合ったのも縁だと思う。
「落ち着いてください! 僕たちは生者。僕は賢者ヨヴィです!」
「甘言には乗らない! そうやって俺を死者の世界へ連れて行くつもりだな、霧の死神め!」
ガシャン!
錫杖の先が僕の頭を叩いた。
脳内に火花が散った感覚があって、視界がゆがむ。
「ヨヴィ!」
重力がおかしくなった。
落ちるような錯覚がしたが、すぐにそれはリゼットが僕を引きずってるのだと気づく。
「ごめん、リゼット……」
リーンリーンとけたたましい音が遠のいた。
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