6 霧の中で

迷子

 街道を外れてしばらくすると白い霧が立ち込めて、僕は来た道が分からなくなってしまった。

 数歩先すらまったく見えない中、時折現れる大きな岩を目印に霧の中を進む。


 もし崖だったら、もし魔物が出たら、と悪い方向に想像が膨らんで、僕は不安だった。

 ただでさえ急いでいるのに。


「ヨヴィ、なにか聞こえるわ」


 急に斜め後ろから声がした。

 反射的にその方を振り向くと、金髪碧眼で口まで覆うコートを着た少女が居た。


「リゼット、急に話すからおどろいた」


 口をへの字にして、不満そうな表情を浮かべるが、超が付くくらい整った顔立ちだ。

 美人だと断言できる。コートの下が破廉恥な伝統衣装ビキニアーマーな点を除けばだが。


「あんたが迷うから教えてあげてるんでしょ」


「……その通りです。すいません」


 僕は彼女が魔王領へ行くのを案内している。

 霧で迷子になったのには強く責任を感じていた。


「ほら、また音がする」


 リゼットが耳に手を当てる。

 僕もそれに倣うと、リーン、と甲高い音が聞こえた。

 岩の反響で、幾重にもこだましている。

 僕にはこの音に聞き覚えがあった。


「錫杖だ。大聖堂の試験で試験官たちが鳴らしていた」


「なら、この音は神官が鳴らしてるの?」


「錫杖を持つのは高位の神官だけだ。もしかするとここに勇者の石碑が隠されているのかも」


 僕は馬の足並みを早めた。


「ちょっと! 待ちなさいよ」


 待ってなんかいられない。

 エイミの心変わりの理由を僕は早く知りたかった。



 ◆



 リーン、と鳴る方へ進む。

 霧はどんどん深くなり、大岩も増えた。

 馬に乗ったままいくには危ういので降りて通る。


 岩の隙間を抜けると、リーン、という音がはっきりと聞こえた。

 音がした方へ足を向けた時、僕は石を踏みつけて物音を立ててしまう。


「だれだッ」


 真っ白な霧から低い男の声がした。

 なにか切羽詰まったような声色がして緊迫感が走る。

 僕はそばにいるリゼットの前に手を出して、かばうような姿勢を取った。


「僕は賢者ヨヴィ。巡礼の旅をしている」


 霧に向かって答えた。

 しばしの沈黙のあと、霧の中で人影がゆらめく。


「巡礼者か。俺もそうだ。なぜここに来た。ここは死者の世界に繋がっている霧の中だ」


「死者の世界?」


 まさか。

 女神のいた金色の空が広がる雲上世界は、こんな仄暗い霧の中ではない。

 リーンと鐘が鳴る。ゆらめく人影がいっそう濃くなった。


「巡礼者よ、気をつけろ。死者の世界は本当にあるのだから」


 バッ、と霧を掻き分け、目の前に青い顔が飛び出てきた。

 思わず息が止まる。

 精魂を失ったような、黒いブツブツのある気味の悪い顔だ。


「ああ、懐かしい。緑のマントを俺は無くしてしまった。これをくれないか?」


「だ、だめだ。僕も旅を続ける」


「そうだよなぁ。俺も旅を続けたい。でも、ここは死者の世界に繋がる霧の中だ。動くべきじゃない」


 リゼットが僕のマントの裾を掴んだ。

 僕に身を寄せるなんて初めてだ。

 どうやら彼女も青い顔の男に気味の悪さに怖がっているのだろう。


「ねえ、死者の世界って何よ?」


「魂の行き先だ。死者の世界に迷い込めばこの世界には戻ってこれない。肉体を捨てることになるからね」


 男が割り込む。

 彼はリゼットをねぶり見て、声を荒げた。


「女を連れるとは、貴様、異教徒か! 去れ! 霧の死神に連れ去られてしまえ!」


「違う。リゼットは戦士だ。勇者と共に旅した戦士の末裔なんだ」


 大聖堂で聞いた話に過ぎないけれど。


「うそだ! 戦士はそのような格好ではない! 遊び相手など連れ歩くなど聖者の風上にも置けぬ!」


 男は信じないどころか、僕とリゼットを糾弾した。

 僕がどう思われるのは構わないが、リゼットを悪く言うのにはカチンとくる。


「だから違うって言ってるだろ! リゼットにはなにかわけがあってコートを着てるんだ。だから」


 リゼットが僕を引っ張った。


「いい。行こう」


「でも」


 僕はリゼットの怪力に抗えない。

 引きづられるようにしてその場を去る。

 リーンリーンとけたたましい音が遠のいた。

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