紅茶

 おばあさんは話を続けた。

 今度の抑揚は明るく希望があって勇ましい感じだ。


「一度滅んだこの国は救われました」


 おお、やっと勇者の登場かな。

 しかし、おばあさんは両手で逆三角を作る。

 逆三角は真理の印。


「レゾン教の僧兵たちが魔法で魔王軍を撃退したのです」


 おそらく勇者エイミが生まれる前の時代の話だ。

 国土奪還を掲げたレゾン教がバラバラだった国々を一つにまとめていく。

 そうして集まった人々の祈りによって、勇者はこの世界に降り立ったという。


「ですが、僧兵たちはこの国を救った代わりに、国の人達をレゾン教に改宗させようとしました」


 そうだよなぁ。

 国土奪還の名の下に一丸となるため、異教徒は認められなかった。


「改宗しない者は異教徒として処刑されました。でも、国の人達は誰も戦いませんでした」


 なぜここまで非戦を貫くんだ。

 隣からリゼットの重たいため息が聞こえた。

 それにこんな話は紅茶を淹れながらする話じゃない。


「そして、国の人達のほとんどが処刑された時、もうこの国はレゾン教の国の一部になっていました」


 僕は耳を塞ぎたかった。

 リゼットは土色の丘の方を眺めて、気を紛らわせている。


 おばあさんは白いポットを東屋のベンチの上に置いた。

 テーブルの代わりとして簡易的にそうしているのだ。

 それから紅茶の茶葉を一摘みし、ポットに入れ、ケトルのお湯を少しだけ注いだ。


「小さな国のもので残ったのは3つだけ。1つ目は墳丘ふんきゅう。国の人達が埋葬され、ここは丘になりました」


 顔を逸していたリゼットが戻ってきた。

 そりゃあそうだ、あれがみんなお墓だったなんて思わないもの。


 そして合点がいく。

 だから、街道は丘の間をくねくねと伸びていたんだと。

 僕は墳丘に向かって両手を合わせた。


 おばあさんはさらにお湯を注いだ。

 今度はポットのお湯をかき混ぜるように円を描いた注ぎ方だ。


「2つ目は美味しい紅茶」


 最後にお湯が注がれて、ポットの蓋を閉める。

 物悲しい静寂がいやに長く感じた。

 おばあさんが手渡すカップを僕らは受け取ると、そこに水色すいしょくが注がれる。


「どうぞ」


 おばあさんに促されて紅茶を口にする。

 草いきれの香りが口に広がって、心地よい渋みが美味しい。


 カップを口から離すと頭がスッとしてきた。

 そうだ、ずっと気になっていたことがあるんだ。


「おばあさん、どうして国の人達はだれも戦わなかったのですか?」


 おばあさんは小さく笑みを浮かべた。


「それこそが3つ目。小さな国には物語が残りました。誰も戦わなかったのは、小さな国が吟遊詩人たちの国だったからです」


 旅人たちが寄り集まって出来た国だと聞いたが、そうか、吟遊詩人は流離さすらうものだ。

 リゼットが声を上げた。


住処すみかを壊され、食料を焼かれ、家族を殺され、助けに来た僧兵には処刑されて、そこまでされて誰も戦わないなんて……、狂ってる」


 その通りだ。

 だから僕はそうは言えなかった。


「燃える街、亡くなる人々を吟遊詩人は歌にします。それが吟遊詩人の戦いなのです」


 リゼットはもはや怒っていた。

 わなわなと震えて、声には怒気を孕む。


「戦い? ただ嬲り殺されるのが?」


「そうさねぇ。お姉ちゃんはこの話を聞いてどう思ったんだい?」


「腹が立ったわ。魔王軍も、僧兵も、何もしなかった国の人達にも」


「それでいいのさ」


 おばあさんは深く、深く、首を縦に振った。

 そして、被っていた羽付きの帽子をベンチの上に置く。

 まるで皿のような置き方に僕はピンときた。


「ははは、とても面白い話ですね」


 僕は路銀から少しだけ取って何枚かのコインをそこに入れる。

 リゼットは腑に落ちていない様子だ。


「なんでよ」


「もし僕たちが同じような目に遭った時、きっとこの話を思い出す。それが僕たちの力になるんだ」


 吟遊詩人は歌で人に効果を付与する職業だ。

 魔法とか魔術とかそういう類だと思っていた。

 でもこれが現実なんだ。


 人間は物語で強くなっていく。

 僕だって勇者エイミの物語が残された聖典で力をもらっている。


「そうだ、おばあさん。勇者の歌は残ってませんか?」


 これだけ昔の話もあるのだから、勇者の話だってあるはずだ。

 おばあさんは、ふむ、と唸った後に困った顔をした。


「あるにはあるよ。でも、面白い話じゃないさ」


「構いません。僕は勇者を知るために旅をしているんです」


 おばあさんは渋々といった感じで口を開いた。


「救世の勇者さまは墳丘へやってきました。吟遊詩人の国の話を聞いた勇者さまは『今この土地が平和なのは歌があるからだ』と吟遊詩人を褒めました。救世の勇者さまは『この土地がずっと平和であり続けるように祈ろう』と言って墳丘に祈りを捧げました」


 口調はエイミっぽくないが、僕が墳丘に祈ったように実際エイミも祈った。

 これは作り話じゃなさそうだ。


「……おしまいさ、どうだい、どこにでもある勇者さまのお話だろう?」


 おばあさんはそんな一言を付け加えた。

 でも、僕にはぜんぜんそんな風には聞こえなかった。


「いいえ。大きな収穫です。この土地は勇者が最初に平和を祈った場所なんだと思います」


 明確に平和を祈ったのは初めてだ。

 いったいエイミにどんな心変わりがあったのか知らない。


 エイミはそもそも勇者になんか興味が無いんだ。

 僕を探すための旅でしかなかった。

 エイミがどうでも良い世界の平和を祈るだなんて。


 僕はエイミにどんな心変わりがあったのか探さなきゃならない。


「リゼット。お茶を飲んだら道を引き返したい」


「急にどうしたのよ。わたしってばそんなにヒマじゃ……。何か気づいたの?」


 ぷん、としていたリゼットが僕の顔を見て態度を変える。


「うん。僕たちは、勇者の物語のすべてをまだ知らない」


 ここまでの道中に見落とした石碑や伝説がある。

 僕は一つだって取りこぼしたくない。

 お茶を飲んで、僕たちは次に進む。

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