4 よくばりな街

美しい森

 ゆったりと流れる小川の縁に僕はしゃがんだ。

 まじまじと僕の顔を観察する。

 黒い髪にブルーの瞳。


 ちょっと寝ぼけた顔なのは朝だから仕方ない。

 澄んだ川の水で顔を洗う。

 ああ、冷たくて気持ちがシャキッとする。


 頭を上げ、双子山を眺める。

 青々とした山だが、時おりうっすらと虹色の反射が見えた。

 その虹色は川の水面にも映って……いたのだが、波立って見えなくなった。


「おはよう、リゼット」


 ざぶざぶと川に入った伝統衣装ビキニアーマーを纏った少女に挨拶すると、


「んにゃっ!? 居るなら居るって言いなさいよ!」


 リゼットは金髪を逆立て、碧い瞳を丸くした。

 膝まで川に浸かった彼女は背丈は低いものの、スラリとして健康的な体である。


「なに見てるのよ! 変態!」


 水面をキック。

 思いきり冷たい水を浴びせられ、僕は慌てて後ろを向く。


「次から水浴びする時は僕が近くにいないか確認してくれる?」


 毎回ずぶ濡れになるのはごめんだからね。


「……はいはい」


 渋々といった感じで返事があり、それからざぶざぶと水の音がした。

 僕はそれを聞きながら馬のそばに行って、巡礼神官のための緑のマントを羽織り、朝の支度を終える。

 しばらくして戻ってきたリゼットは、分厚いコートで口元から太ももまで体を隠した格好をしていた。


「ヨヴィ、あの双子山に行きたいんだけど」


「僕もそう思ってたところだ」


 珍しく気が合う。


「街道を外れてもいいの?」


 僕らは街道沿いにある旅人が夜営をするちょっとした東屋に一泊した。

 街道を外れると、途端に野盗や魔物の心配をしなきゃいけなくなる。


「いいよ。あの双子山は聖典にも記述がある巡礼地なんだ」


「なのに道が整備されてないって不思議ね」


「たしかに。おかしいな」


 僕は腰に提げた聖典を取り出す。


「そこにはなんて伝説が残ってるの?」


 リゼットにうながされ、該当のページを開く。


「ええと、これだな。『救世の勇者は双子山の深い谷を訪れた。そこでは門番が過当な通行税を取っていた。商人から種籾を取り上げようとし、商人がそれを断ると門番は彼の妻を取り上げようとした。そこに割って入った勇者は……』」


 話の途中でリゼットが割って入る。


「思い出した。小国の王様がとても傲慢なのよね。だけど勇者様は何もしなかった。わたしならそんな王様ぶん殴ってたわ」


勇者エイミはそんなことしないよ。きっと苦しんだ人のことを思って悲しんだんじゃないかな」


 リゼットが、はん、と鼻をならした。

 やっぱり僕らは気が合わないな。



 ◆



 僕らは小川を馬で越え、肌寒い丘陵地帯を抜け、双子山の谷間に訪れた。

 いくつかの木々は葉の表面が七色の露で濡れ、印象派絵画のように輪郭が曖昧になっている。


「まるで絵の中にいるみたいだ」


「だとしたら、わたしたちは後から書き加えられた落書きかも」


 リゼットは姿勢をピンとさせ、綺麗な胸のラインをあらわにした。

 馬が止まる。

 彼女の言葉の意味は僕の真下にあった。


「割れたレンガがある。これは、建物の基礎か?」


「ええ。どうやら国はもう無いみたいよ」


 ところどころ芝の無い部分があって、ベージュ色のレンガが見えていた。

 馬で移動していくと壁の残骸があって、そこで僕らは馬を止める。

 人の気配はまったくない。


「そんな……」


 言葉が出なかった。

 国がなくなるなんて。


「勇者様が来たのは千年前だから仕方ないわね」


「そりゃあそうだけど」


 勇者エイミとの時間的な距離を、こういう形で味わうのは初めてだったから。

 まだ受け入れられないんだよ。

 大切な人を失ったら、気持ちの整理なんか一生つかないと思う。


「わたし、少し調べたいことがあるからちょっと待ってなさいよ」


 リゼットは馬を常歩にして、滅びた国を見て回るようだ。

 僕は一人になった。

 いや、一人にしてもらったのだ。


「エイミに会いたいよ……」


 僕は馬を降りて、レンガの壁に手を付いた。

 うつむくとこの壁の基礎はレンガじゃなくて石になっているのがわかる。

 そこに傷のようなものが見えた。


 これは、文字か?


 この世界の音符みたいな文字だ。

 それと、なぜか折り鶴のようなマークが刻まれている。

 どうしてここにそんなものがあるんだ。


 まさか。


 僕はエイミがいた痕跡をたどりたくて、その傷に触れる。


『まったく、なんて傲慢な国!』


 ああ、聞こえた。

 エイミの怒った声がした。

 これは記憶。物に宿った想いを聴く僕の魔法だ。


『こんなところを通った人はさぞ苦しい思いをしたんだろうなぁ』


 同情の声がした。

 どうやらエイミはリゼットと僕の気持ちを半々で持っていたみたいだ。

 僕はその両方の想いを辿って、意識を手放した。

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