指切り
僕は石碑に触れる。
この想いはなんだか懐かしい。
目を閉じて深く深く耳を傾ける。
『どこにいるの? お兄ちゃん』
聞こえた。エイミの声だ。
いまにも泣きそうなこの声は何度も聞いた泣き言だ。
でも、そこに僕は居ない。
『ぜったい、ぜったいに見つけるからね』
ああ、そうか。
エイミは僕を探して旅をしているんだ。
僕がまだ絶望する前の、いつか見つかるという希望を抱いたまま、エイミは旅立ったんだ。
「ごめんな……」
その旅の先に僕は居ない。
彼女がいつか僕と同じ絶望を抱くことを想像するとやりきれなかった。
でも、その気持ちを頼りにエイミの記憶を辿ることができた。
◆
僕は心の目を開く。
そこは岩ばかりの丘だった。
岩の合間に道がないことは無いが、霧が立ち込めて荒涼としている。
およそ街が作れるような場所だと思えない。
『食ってやる、人間!』
背後からおどろおどろしい声がした。
振り向くと、黒くて巨大な狼が岩の上から見下ろしている。
シスターたちの比じゃない巨躯に思わず腰を抜かしそうになった。
でも、その声は僕に向けられたものじゃないとすぐに分かる。
目の前にエイミの背中があったからだ。
『どうしても戦いたいなら、私だって手加減しないから!』
長い黒髪が舞う。
フェンリルが前足の爪をむき出しにして、エイミめがけて飛びかかる。
危ない。
「エイミ!」
瞬間、一閃。
白銀の剣がその爪を両断した。
フェンリルはエイミと僕の頭上を飛び越えて着地する。
着地したフェンリルは自身の前足に鼻を寄せた。
『岩をも刻む我の爪を、人間ごときが断ち切るだと? 貴様、いったい……』
「通りすがりの勇者だよ」
さっぱりと言い切った。
『なんだ、それは!』
フェンリルの反応に僕はうなずく。
エイミの言い方は軽すぎた。
そういえばこいつ、普段はのほほんとした奴だったんだ。
『我々はこの土地を通る人間を食ってきた。今度はお前たち人間が我々を食うのか?』
『食べないよー。羊やヤギなら食べるけど、狼はちょっとね……』
そこは僕も同意だけど、たぶんあのフェンリルはそういうこと言いたいんじゃないよ。
これがエイミの心象風景だから、今の僕じゃ伝えられないのがもどかしい。
『ならばなぜ!』
『私はここを通りたいだけ。あなたたちはお腹が空いているなら人を襲うの?』
『そうだ。食うか食われるか。当たり前のこと。我は負けた。食べるが良い』
エイミは頬に人差し指を当てた。
『じゃあこうしよ! 食べる代わりに約束して』
『約束?』
『あなたたちは人を食べちゃダメだよ!』
すごい約束だな。
餓死するぞ。
それには黒いフェンリルも食い下がった。
『餓え死にせよと言うか。やはり人間は……』
エイミは両手をバイバイして否定する。
『違うよー! お腹いっぱいなら人を襲わないんでしょ。だったらお腹いっぱいになろうよ!』
は? とフェンリルが首を傾げたのと同時に僕も首を傾げた。
変なこと言い出したエイミは変なことをまだ言い続ける。
『羊やヤギを食べると良いんだよ!』
『何を言う人間。こんな岩ばかりの場所に平原の動物は居らぬではないか』
フェンリルの言う通りだ。
エイミはうんうんとリズミカルにうなずくと、腰の後ろに手を回して何かを取り出した。
『これは麦の種。ヤギや羊が育つように麦畑を作ればいいよ。また人の姿に戻れるんでしょ?』
フェンリルは首肯した。
前足のガスが吹き出し、それが晴れると、黒に白が混ざった長髪の美人が立っていた。
肩出しルックにサラシを巻いた野盗スタイル。頭の上で狼の耳がエイミに向いた。
『人の姿になるなど造作もない。だが、岩ばかりの土地に麦は根付かぬ』
『だよね~。だから、少し待ってて!』
エイミは軽やかに岩の上へ飛び乗った。
腰の剣を抜くとその岩めがけて剣を振り下ろす。
視界が真っ暗になった。
はじめ、なにが起きたのか意味不明だった。
地響きが止み、土埃が晴れてくると、その理由がわかる。
妖艶なフェンリルお姉さんも気がついたのか感嘆を漏らした。
『なんと、岩が粉々に。岩の下に大地が見えおる! おお、おお、これならばもしや』
エイミが、ふう~、と額をぬぐい、フェンリルお姉さんに小指を差し出す。
『約束! 守れそう?』
『ああ……。しかし、とんでもない人間だな。お主ほどの者はそうおるまい』
『うーん、そうかも? でもきっとお兄ちゃんもすごい力を持ってるはずだよ!』
『兄が居るか。我にも兄がおる。それよりこれは?』
エイミが指切りげんまんを教えて約束が果たされた。
そこで記憶は途切れる。
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