シスター

 その時、もう一匹の魔狼が現れた。

 赤茶色の体毛をしたフェンリルは、昨日と同じ建物の上に陣取っている。

 僕を含めた全員が前足からガスを漏らすフェンリルの獰猛な瞳に釘付けになった。


「あいつ、昨日の!」


 リゼットがそう叫んだ。

 それで違和感の正体がはっきりした。

 昨日のフェンリルとこの倒れているフェンリルは体毛の色が違うのだ。


「あれは赤茶色。で、こっちは麦色の……あれ?」


 僕だけが傍らのフェンリルへ振り向くと、そこにはなぜかシスターが居た。

 フェンリルは居なくなってしまった。いったいどこへ消えたのか。

 頭巾ウィンプルから麦色の髪をはらりと落としながら、彼女は赤茶色のフェンリルへ視線を向けた。


「立ち去りなさい」


 あの、おどおどとした気配はまったく無い。

 むしろ毅然とした態度で、赤茶色のフェンリルを一喝したみたいに見えた。

 赤茶色のフェンリルは小さく「くうん」と鳴いて、建物の上を伝って街の外の方へ立ち去った。


 みんながほっとした時、傭兵が周囲をキョロキョロとしだした。


「おい! 俺が仕留めたフェンリルが居ねえぞ!」


 麦色の毛並みをした方のことだ。

 ほかの見物人たちも辺りを見回しては首を傾げた。

 そんな人々へシスターが呼びかける。


「皆さーん、昨日に続いて今日も魔狼が出ました! 屋内に避難してくださーい!」


 最初に会った時のようなふにゃっとした口調で言うものだから、案の定従わない者も出てくる。

 傭兵だ。


「待てよ! 俺には獲物があったんだ。今すぐ探せば見つかるかもしれねぇ」


「み、見つからないですぅ!」


「なんでそんなこと言えるんだ。魔獣を討伐したら教会からきっちり報酬を貰うからな!」


 ちなみに魔獣や魔物の討伐は教会が告示を出して、報酬も教会から出る決まりだ。


「じゃあ討伐しても報酬は出しませんっ」


 そんな決まりだけど、街によってはそうでも無いらしい。

 傭兵の額に青筋が走った。


「おいおい許されるのかよそんなこと! そうだ、賢者さま。これは教会の横暴ですぜ!」


 さっきまで僕を勇者の敵呼ばわりしたくせに都合の良い奴だ。

 傭兵とは金で動くものだから、実に傭兵らしいとも言える。

 僕はシスターの肩に手を置いた。僕のマントに付いた賢者の証がよく見えるように。


「教会の指示に従わないからだ」


 傭兵は歯ぎしりした。


「ぐぬぅ。惜しいことをした。報酬が出ないなら仕方ねえ」


 悔しそうにしながら、すごすごと帰っていった。



 ◆



 そうして人払いが済んだ広場に残ったのは、僕とリゼットとシスターの3人だけだった。

 一段落したせいか、シスターがよろめく。

 すかさず肩を支えると、その反動で頭巾ウィンプルがずれ落ちた。


「あっ」


 シスターが小さな悲鳴を漏らす。

 頭巾の舌に麦色の髪があり、2つの尖った耳が出てきた。

 まさかこれは。


「狼の耳? シスター、あなたはやっぱり……」


 その続きを言おうとしたら、赤茶色のフェンリルが飛び降りてきた。

 ずしんと地面が揺れる。

 僕とフェンリルの間にリゼットが割って入った。


「じっとしてなさい」


 リゼットは臨戦態勢だ。

 同じように赤茶色のフェンリルも「グルル」と唸り、鼻にシワを寄せて威嚇する。

 でも、シスターがリゼットのコートの裾を掴んだ。


「ま、待ってください! この子はまだ子供なんです」


「はぁ? どういうこと?」


「ええと、それは……」


 リゼットに威圧されてシスターが縮こまる。


「リゼット、ビビらせるなよ。たぶんこの人には事情があるんだ」


「人を脅かしてるのはあっちの方よ」


「それはそうだけど。ねぇ、シスターさん。そうなんでしょう?」


 僕はシスターに話を振った。ちょっとズルいことをした。

 シスターはちょっと挙動不審になったけど、深呼吸した後に赤茶のフェンリルへと体を向ける。


「もう威嚇は要りません。この賢者さまには、わたしたちの言葉が分かるようです」


 赤茶のフェンリルは威嚇をやめて、その場におすわりした。

 僕がリゼットを一瞥すると、もちろん彼女はおすわりはせず、代わりに仏頂面で腕組みをした。

 さて本題だ。


「それで、シスターさん。あなたたちは何者なんですか?」


 シスターは修道服の裾をぎゅっと握って、僕へ透き通った綺麗な瞳を見せた。

 その瞳は赤茶のフェンリルと同じ美しい金色をしている。


「わたしたちは魔狼フェンリルです。古よりこの地に住み続けています」


「……やはりそうでしたか」


 シスターの狼の耳がぺたんとした。

 ちょっとしょんぼりしているようだ。

 でも、その耳が僕の横へ向けられると、彼女は目を細めた。


 視線の先を追う。

 そこには勇者の石碑があった。


「わたしたちが滅びなかったのは勇者さまのおかげです」

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