守る

 その夜、教会の宿舎で僕たちは食事を摂る。

 他に泊まりの者は居らず、僕とリゼットは小さなテーブルを挟んで向かい合っていた。


「へぇ、神官になると教会の衣食住がタダなのね。生意気」


「あのなぁ、僕はこれでも準貴族なんだよ」


 騎士と同等の身分だ。

 かなりの魔術を扱えるので、もう僕は平民じゃ居られない。


 商人や芸人のように旅をする職業の中でも、神官は各地の教会で衣食住を確保できるのが魅力だ。

 もちろん魔法や魔術の才能がなければ成り得ない。


「で、そんな神官さまがお残しですか?」


 リゼットはテーブルの上に並べられた料理を指さした。

 子ヤギ肉のソテー、ヤギ肉のスープ、ヤギ肉の香味包み焼き。


「贅沢な食事はたくさん食べられないんだ、教義的にね」


「ふーん、わたし神官にならなくて良かった。食べて良い?」


「どうぞ」


 僕はスープ以外の皿をリゼットに寄せた。

 彼女はソテーをナイフとフォークで丁寧に切って口に放る。

 頬に手を当て、にっこりと笑顔を浮かべた。


「んー、おいしい!」


 これみよがしに言うものだから僕も負けじと、スープをスプーンですくって吸う。

 ほろほろになったヤギ肉を噛むと、野性味のある味が口に広がった。

 でも、香草の風味が舌に残って臭みは無い。


「うまい、うまい!」


 僕らは喧嘩するみたいに料理を平らげた。


 食べ終わってから、シスターさんも一緒に食べれば良いのに、と思った。

 まあでも昼間のフェンリル騒ぎで彼女も忙しいのだろう。

 僕らはそれぞれ用意された部屋に行って眠りに就いた。



 ◆



 遠吠えが聞こえて目を覚ます。

 魔狼が近くに居ると思うと、おちおち寝ていられなかった。

 体を起こして窓の外を見ると、空が白んで朝だと分かる。


「リゼット?」


 ちょうど窓の前をリゼットが横切った。

 朝の散歩、という感じではなく、そのまま石畳の通りへ出ていこうとしていた。

 すかさず窓を開ける。冷たい空気で鼻がつーんとした。


「どこ行くんだよ!」


 肩をびくっと震わせると、リゼットの髪が逆立った。

 どんぐり眼を僕にぶつけてくる。


「もー、びっくりした! 急に何よ!!」


「危ないぞ。フェンリルが出たんだから」


 あんなの僕たちレベルで太刀打ちできない。

 白銀の剣を持つ勇者だから倒せたんだ。

 リゼットは腰に手を当てて、堂々と胸を張った。


「そうね。でも、さっきシスターが教会を出ていったと聞いても、同じことが言える?」


「それが本当なら、たしかにシスターが危ないが」


「でしょう?」


 ふふん、と鼻を鳴らして先へ行こうとする。

 でも僕は昨日のフェンリルの形相を思い出すと、ここから出ていくのは有り得なかった。


「行くべきじゃない。それに、この状況でシスターが出ていくのはおかしなことだ」


「あっそ。ヨヴィは臆病者だったのね。でもわたしは行くから」


「臆病者なんかじゃ……」


 いいや、僕は臆病者だった。

 言い返せずにいる間、エイミは立ち去った。

 リゼットは馬鹿だ。でも僕はそれ以上の馬鹿だ。


「行くよ! 待って!!」


 僕は身支度をさっと済ませ、緑のマントを肩に掛け、部屋を出た。



 ◆



「リゼット、こっちで合ってるの?」


「ええ、狼の声は広場の方からしたのよね」


「……じゃあ逆の道だよ」


 僕らは迷子になっていた。

 ぜんぶリゼットのせいだけど。

 あと、声がした方角は先に言ってほしかった。


「ああ、逆ね。わたしもそう思ってたのよ」


「嘘つけ」


 僕らは来た道を引き返し、広場にやってきた。

 広場に着く頃にはもう良いくらい朝になっていて、騒がしい人の声が聞こえてくる。


「うおー、やってやったぞ!」


 そんな雄叫びがする方へ人混みを掻き分けていく。

 すると、勇者の石碑の前で傭兵が剣を天高く掲げていた。


 傭兵の傍らには横たわる麦色の毛をした巨大な狼――魔狼フェンリルがいた。

 前足から黒いガスが出ているから間違いない。

 だけど、なんだろうこの違和感は。


 傭兵は僕に気づくと満面の笑みで手を振る。


「よお、賢者さま! どうだ見たか! まるでこの街を守った伝説の勇者さまみたいだろ!」


 剣を掲げると、切っ先の赤い血が跳ねた。

 遠巻きに見物していた商人たちが傭兵に向かって歓声を上げた。

 勇者! 勇者! というコールが鳴る。


「……こんなの勇者エイミがするわけない」


 強い違和感を覚えたなら、確かめるべきだ。

 人の感覚の中で違和感だけが最も信用できる。

 僕は倒れ伏すフェンリルに駆け寄って、その鼻先に手を当てた。


「ヨヴィ!」


 リゼットの呼びかけを無視する。

 浅くではあるけど息はしているみたいだ。

 その時、かすかな感覚が、ぽうっ、と心の底に灯った。


『守らなきゃ』


 ああ、これも想いだ。すごく温かくてお節介な気持ちなんだ。

 それが分かったのも僕だけが持つ魔法――物に宿った強い想いを聞く力のせいかもしれない。

 ただし、これは声じゃなくて、そういう感じとして分かる程度だけれども。


 だから僕は決めた。


「我が手に、命の力を宿して集め」


 右手の平を自分の胸に当てる。

 詠唱に応じて右手が熱くなった。

 これは魔素を操る魔術ではなく、自身の生命力を操る魔術だ。


傷を癒せヒール


 魔狼へと僕の命が分け与えられると、魔狼の体が薄く発光する。

 すると僕は貧血を起こしたみたいに目の前が薄暗くなった。


「ヨヴィ! あんた馬鹿ね!!」


 気がつくと、僕の背中をリゼットが支えてくれていた。

 どうやら倒れる寸前だったらしい。

 僕の顔のすぐ横に心配そうな碧い瞳がある。


「ごめん。この魔術は加減が難しくて」


「そんなこといい。それより説明しなさい。どうしてフェンリルに治癒なんかしたの?」


 そこへ傭兵の声が割って入る。


「そうだ! お前、本当に賢者なのか!? そいつの味方をするなら勇者の敵だ」


 剣先を僕に向けてきた。

 僕はリゼットに支えられながら、ゆっくりと呼吸するフェンリルの鼻先に触れる。


「きみは何かを守ろうとしているんだね」


「お前は何を言ってるんだ! そいつから離れろ!! じゃないと本当に……」


 剣を構えた傭兵は人々の生活を脅かす魔狼から人間を守ろうとしている。

 それは間違っちゃいない。

 でもその振る舞いはフェンリルの想いを知らないから出来るんだ。


「僕はこの狼が敵だとは思えない」


 リゼットの支えを借りて、僕は二本足で大地に立つ。

 僕はこの狼の想いを守らなきゃならない。

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