3 守られている街

大岩

 レンガで舗装された街道を常歩なみあしの馬に乗っていくと、蹄の音が心地よく響いた。

 辺りは一面の黄金色。麦穂が風に揺れ、頬被りをした女性たちが収穫を始めている。

 街道の途中、道の脇に白い大岩があった。馬に乗った僕の背をゆうに超える大きさだ。


「リゼット、ここで少し休憩しよう」


 僕は岩の前で馬を止め、後ろを振り返る。

 金髪碧眼の十代半ば程の少女が、手綱を片手に額の汗を分厚いコートの袖で拭っていた。

 ケッタイな民族衣装ビキニアーマーを隠すため、彼女は口まで覆うブカブカのコートを着込んでいる。


「あら、ヨヴィにしては気が利くじゃない。ちょうど休みたかったの」


「なら良かった」


 大岩の日陰に降りて、僕たちは各々の水筒で喉を潤した。

 二頭の馬たちが道草を食んでいる横で、僕は白い岩肌を手でさすった。


 触感はつるつるしている。でも、上の方はざらざらした表面だ。

 手にチョークみたいな粉が付いた。石灰岩だ。

 きっと僕みたいにさすった人が何人もいたのだろう。


「間違いない。これが勇者聖典に出てきた岩だ」


「え、そうなの?」


 岩に寄り掛かっていたリゼットが慌てて直立した。


「寄り掛かってていいよ。聖典ではこの辺りが岩ばかりの土地だったらしくて、この岩はそれの名残みたいだから」


 僕も岩に寄り掛かった。

 緑のマントと上着越しに岩の冷たさが背中に伝わって気持ちがいい。

 視界には一面の麦畑で、ここが岩ばかりだったとは思えなかった。


 麦畑の合間にある休耕地にはヤギたちが群れている。

 麦畑の麦を貪っているのかよく肥えたヤギだ。

 のどかな景色。きっと千年前はまったく違う景色だったのだろう。


「ヨヴィ。ここが聖典で出てきた岩場なら、ここで勇者は何をしたの?」


 リゼットは隣で岩に寄り掛かった。

 僕は手の甲で岩をコツンと叩く。


「この岩と同じくらい大きな魔狼フェンリルと戦ったんだ」


「ああ、それなら知ってるわ。岩の間を行く旅人を襲う魔物よね」


「うん、それ。はじめフェンリルは食った旅人に化けていたから、騙された勇者は食べられてしまう」


 僕の話をリゼットが引き継いで、


「でも勇者は腹の中で白銀の剣を引き抜いて、フェンリルをえいや! と一刀両断したのよね」


 寄り掛かった姿勢から体を起こすと剣を振る仕草をした。

 金髪が束になって舞う。


「エイミが、……勇者が『えいや!』と言うとは思わないけどね」


 エイミは僕の妹だ。

 千年前、この世界に転生して勇者になった。

 僕はエイミが歩んだ道を辿って、彼女が救世を志した理由を知る旅をしている。


「なんだか勇者が身内みたいな言い方ね。神官なら勇者を敬いなさいよ」


 リゼットの尤もな言葉に僕はうなずく。


「その通りだ。この岩にだって敬意を払うべきだったかもしれない」


 でなければ岩肌がつるつるになるほど、多くの巡礼者が触れてきた岩に失礼だ。

 僕は寄りかかるのをやめて岩に深々と一礼した。

 振り返ると、いつの間にか馬にまたがったリゼットが僕を見下ろしている。


「そもそも神官ってどうして旅しているの?」


「勇者の救いを保つためだよ。だから各地を巡って救いを求める者を助ける」


 魔王を倒したら、はい、平和……とはいかない。

 大聖堂を始めとした神官たちが勇者の意志を引き継いで平和を維持している。

 リゼットが、ふん、と鼻で笑った。


「ああ疲れたなぁ。ヨヴィ、マッサージでもしなさいよ。神よ、わたしを救いたまえ」


 リゼットは信仰心の欠片も無いやつだと分かっている、のだが。

 そう無下にされると腹が立つ。

 勇者の救いを維持する考え方には僕も共感しているからだ。


「そんなの本当の救いじゃない」


 強めに言い返す。


「本当の救いって何なの?」


 リゼットを仰ぎ見ていた僕は、気がつくと草の生えた地面を眺めていた。

 なんて答えたら良いのか分からなかった。

 本当の救いとは何だろうか?

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